「日本奥地紀行」 イザベラ・バード
高梨健吉 訳 平凡社ライブラリー 平凡社
双方等距離の視線
紀伊国屋で本見てたら、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」発見。ずっと捜していた本。
(2008 08/03)
今日から「日本奥地紀行」を読み始めている。その当時(明治10年)の日本人と西洋人、どちらの立場からも等距離に見ることができるかな、今になってみると。 奥地紀行、自分も行きたいけど、日光かあ、混むんだろうなあ…。
(2008 08/07)
小佐越って…
東武ワールドスクウェアがあるところだよね?
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」、日光での興味深い明治初期の風俗観察の後、田島へ向かい北に進路をとる。現地の人の中にも道があるとは知らない人が多かったらしい、鬼怒川沿い(またもや東武線沿い)を行く。
小佐越から藤原まで。藤原で一泊したバードと日本人通訳、双方とも蚤の多さにまいったり、ほぼ裸で村を歩いている人あり、と貧しい生活をまのあたりにする。これが同じ「文明国日本」なのか、と。
まあ、ひょっとしたら、江戸期より貧しくなってたのかな、とも思う。まだまだ全国的にはこういった村が多かったのだろう。そういったことを頭のすみに少しでも置いといて、鬼怒川温泉などに遊びに行く時には、したいものだ。 と、いうことで…(どういうことだ?)
(2008 08/08)
壁に耳あり、障子に目あり
イザベラ・バードの「日本奥地紀行」も山形・秋田を過ぎ、今は黒石にたどり着いたところ。
繰り替えされる話題といえば、村の人々の不衛生なこと、大雨のこと(この年は随分大雨だったみたい)、それから「外人」を一目見ようと集まる人々。穴の開いた障子には全て目がある、という状況。群集の中の一人は言う「家に帰ってみんなに話してやるんだ」。一方、バードにしてみれば耐え切れない毎日。「笑ってくれた方がいいのに、ただじっと見ている」。
このところ、帰る前に本屋に寄って東北の地図を見て、イザベラ・バードの足跡を確認している。
(2008 08/12)
(この後、バードは北海道へ渡る)
1880年
昨夜イザベラ・バードの「日本奥地紀行」を読み終え(旅行の2年後に刊行されたが、その年1880年というのは、バードの最愛にして旅先の手紙の受け取り手であった妹が亡くなった年でもある)
(2008 08/15)
(読み終わった後、宮本常一「イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読む」も読んだけれど、そちらには読書記録残っていない…)
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