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「商人と更紗 近世フランス=レヴァント貿易史研究」 深沢克己

東京大学出版会

読みかけの棚から
読みかけポイント:東京大学の公開講義動画からたどり着く。本はさわりだけ。できれば購入したいのだけれど…

インド更紗とディアスポラ


今回は東京大学の「歴史学」から深沢克己氏のインド更紗についての講義。
何度洗濯しても色落ちしない茜染めや藍染めの技術はインド(南東部と北西部)から伝わった。これを伝える役割を担ったのが、ペルシャサファヴィー朝とオスマン朝のアルメニア人。アルメニア人は主に商人としてこの時期(近代)以前からヨーロッパからインドまで各地に広がっていった。こういう民族拡散をディアスポラというが、この言葉につきもの?のユダヤ人(それからアルメニア人も)の大虐殺…というイメージを越えて、近代まではこうしたディアスポラは普通のことではないか?とする。

確かにムスリム商人とかドイツ東方移民から華人にいたるまで、そうした動きが「常態」であった、と言える、かも。世界史の授業で習ういろんな国や王朝も、実は下層の人々も含め「帰属意識」など持っている人はそれほどいなかったのでは? このインド更紗から世界史を再考する考えまでに至る深沢氏の本を探して、図書館で借りてきた。

それによると、ディアスポラという現象は近代特有のある意味出るべきして出た現象だと言う。また特にアジアの研究者からのディアスポラ研究はウェーバーの資本主義概念に批判する、という形をとるものが多い。 近代以降現代まで(今も?)個人の最大の拠り所となっているのが国家だとすれば、こうしたディアスポラの人々は何を拠り所にしていたのだろうか?宗教?
(2012 01/17)

マルセイユの商人

これまで読んだところは、深沢氏が密輸された更紗の切り貼り帳を発見したマルセイユの都市・港湾的性格。
マルセイユは地中海に面しており、都市城壁が海に向かって開かれている(城壁が閉ざされていない)。これがボルドー・ルーアン・ロンドンなどの北西ヨーロッパの内陸港都市とは大きく異なるところ。市庁舎などの公共施設も海に面するようにあり、これまた先述の北西ヨーロッパ内陸港都市とは異なる。
一方、居住住民を見ると、近隣の地中海沿岸部からスイス・ドイツなどのプロテスタント商人までで、レヴァント商人(ユダヤ・アルメニア商人など)は居住を市当局から認められていなかった。これはフランス王権側の判断より(こちらはレヴァント商人を入れさせようとした)、地元の有力商人達の思惑らしい。「商品は海から、人は内陸から」らしい。またマルセイユでは三代以上続く町を代表するような有力家は現れず、勢力交代が頻繁であったらしい。
(2012 01/20)

ウェーバーとウォースラーティン

前にこういう研究の潮流の一つにウェーバー批判というものがある、と書いたが、それに付け足してウォースラーティン批判というものもある。
近代以降、オスマン帝国などの中東地域はヨーロッパの貿易圏内(世界システム)に従属してしまった、というウォースラーティンの近代世界システム理論に対して、そうでない事象はいくらでもある、という批判。確かにここで取り上げられている更紗のレヴァント交易などはその実例。

でも、ウェーバーにしてもウォースラーティンにしても「そんなに俺の理論を杓子定規的に全てに当てはめるなよ、そんなことまで言ってないよ」とでも言いたいところだろう。まあ、批判する側も、それぞれ先行の理論が使えるから批判・修正しようとしているのだろうし・・・(ほんと?)
(2012 01/29)

 すなわち一方には胡椒の道、ついで商品の大量輸送の道があり、他方には隊商の緩慢な歩みでつづけられる「質的な」交易の道が存在したのである。
(p159)


ルイ・デルミニの言葉から、らしい。 この本で取り上げられているのは、後者の質的な交易の道。
(2013 02/24)

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