「グレアム・グリーン・セレクション 二十一の短篇」 グレアム・グリーン
高橋和久 他 訳 ハヤカワepi文庫 早川書房
エンターテイメントなグリーンの短編
昨日から読んでいるグレアム・グリーンの二十一の短編。昨日は冒頭二編(「廃物破壊者たち」、「特別任務」)を読んだ。どっちもラストに巧いなあと思わせる短編らしい短編。自作をシリアスとエンターテイメントに分けていたというグリーンにとって、これらの作品はエンターテイメント?
でも、第二次世界大戦での空襲等の爪痕が作品のバックグラウンドとなって、読む者に伝わってくる。
(2014 04/08)
二重映しの世界
グレアム・グリーンの短編集から昨日は3つめと4つめ。
4つめの「説明のヒント」から。ここで言う「あのもの」というのが、人間の悪徳なのかそれとも神と一体化した何者かなのか、自分にはよくわからないが。でも、そういうところを抜きにしても、この文章には頷かせられるものがある。
この作品は、鉄道コンパートメントの中で同室した紳士の話という枠の中で、この紳士の子供の頃の体験が語られるという構造だけど、子供が遊ぶ鉄道模型と枠の実際の鉄道が響きあって独特の雰囲気を出している。グリーンはこういうの好きだったのかな。1つめのも、戦争の破壊の中での子供逹の悪戯の破壊だったし。
ちなみに3つめ「ブルーフィルム」は倦怠期らしい夫婦がタイらしき街で、昔夫が別の女と撮ったアダルトな映画を見るという話。グリーンは映画の様々な側面をかなり巧妙に使っているのだなあと感じた。
(2014 04/09)
ちなみにグリーンはだんだんエンターテイメント性が多くなった掌編に移ってきた。お役所仕事皮肉った短編のラストのカタツムリ云々の文が、ちょっと「事件の核心」の冒頭の比喩を思い出させたりしたけど。
(2014 04/10)
虫の感覚
グリーン短編集は折り返し地点。
偽の大学でっち上げて騙すとか腹がいろんな音を真似てしまうとかいう滑稽な話から、だんだん死者が出るシリアスな話になっていく。上の文は前に書いた二重映し世界かつ映画をいかしたというグリーン凝縮な短編「エッジウェア通り」から。これまたグリーン的な表現。この虫の感覚が次からのシリアス?な短編にも共通しているのではないか。それは信仰心だけではなく、その裏返しともいえる不安の感覚にも。
そんな中で、「無垢なるもの」はちょっと落ち着く一編。だけど、そこにも過去にあったナイフを持った男の自殺事件というフラッシュバックが出てくる…
このナイフ持った男の事件というのは、グリーンのオブセッションとして他の作品にもでてくるとのこと。
(2014 04/11)
地下室
今は喫茶店でほろ苦のペーパードリップ珈琲飲みながら、グリーンの「地下室」を。映画化されて「堕ちた偶像」というタイトルにもなった。
大人の憎悪と嘘に巻き込まれるフィリップをグリーンならではの醒めた筆致で描く。ナイフ持ちの映像がここでもちらつく(別にナイフが絡んだ事件ではないが)
ちょっと長めに引用してみた。どうやら語り手はもうフィリップが老年を迎え、死に至った後の時点にいるらしい。でもここ他2、3箇所で出てくる後年の立場の挿入以外には、多分半世紀以上は経っている時間の流れは感じさせない。というか、どこかの博品館で人生の一典型としてピンで止められた展示物見ている感じさえする。そういうのが前に書いた醒めた筆致から伝わってくる。
後は、こうした少年期の経験の発達心理学的な関連かな。興味あるのは。
(2014 04/13)
スパイと双子と隠れんぼ
昨夜、残りの短編をよんでグリーンの二十一の短編を読み終えた。
そこに交わるテーマを考えて並置したのが標題。例えば、双子と隠れんぼはラストの短編「パーティの終わり」の主要テーマだが、スパイがテーマの「アイ・スパイ」や「一日の得」といった短編にもしみこんでいる。また双子というかドッペルゲンガーというかのテーマはこの他にも、「確かな証拠」の二人などなんか随所に見られるような気が。
まあ、自立確固たる近代的人間像が綻びをみせるところをグリーンが主に取り上げているから、だろうけど。
(2014 04/15)
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