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「ポーランドと他者 文化・レトリック・地図」 関口時正

みすず書房

読みかけの棚から
読みかけポイント:ショパン・シマフノスキ・マリノフスキー・コンラッド辺りを少々。

始めの方はショパンの反(超)ロマン主義、反民族主義について。同時代のシューマン、リスト、ベルリオーズらに対し、ショパンはほとんど文学作品に作曲の糧を得なかった(標題ついている曲はほとんど後世のもので、勝手に標題をつける楽譜出版社については厳しい言葉で批判している)。だけど、後からミツキェーヴィチのバラードをもとにショパンのバラードが作られたという「伝説」が出来上がっていった。このショパンの「超」ロマン主義を的確に指摘した一人がシマフノスキ。

 防壁論の支配が強いということは、とりもなおさずヨーロッパ中心主義が強烈だということであり、そこへさらに協力な民族主義が加わっているのが近現代ポーランドの典型だとすれば、右に挙げた表現者たちにはどこかその二重の磁場から脱出できたのではないかと思わせるような面があった・・・(中略)・・・マリノフスキーとコンラッドについては、二人とも物理的にヨーロッパとポーランドの磁力の圏外に出て、強い磁力を振り切ったからこそあれだけ遠くに行けたのだろうと解釈した。
(p336)


防壁論についてはまたいずれ(結局わからぬまま)? ゴンブローヴィッチやシュルツも含め、ポーランドの作家(その他)は一旦ポーランド外に出て、或いはポーランド外で評価され、後に国内に戻ってくることが多い。まあ、それはどこの国でもあることかもしれないけれど。 カントル(演劇)やコッド(自伝を関口氏が翻訳)のところも読んでみたい・・・
(2016 07/10)

「ポーランドと他者」からマリノフスキー

 思想を破壊する、思想が屹立することも肥大することも許さないような、旅というものがあるような気もする。
(p212)


マリノフスキーもコンラッドもこの愛国主義全盛の時代にあって無国籍的だった。第一次世界対戦時、マリノフスキーは調査地ニューギニアから離れようとせず、ちょうどポーランドにいたコンラッドはイギリスへ向かう。両者とも非難を受けながら。 ポーランドでは伝統的に?哲学・思想が発達してこなかったという面もあるのでは、と関口氏。

他には、ポーランドアバンギャルド芸術のスツシェミンスキとコブロ夫妻(ウッジ美術館は彼らの寄贈)、ポーランド文学と防壁論、クレスィと呼ばれる現リトアニア・ベラルーシ・ウクライナの旧ポーランド領への旅とそこを舞台とした文学など。
(2016 07/17)

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