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「詩人たちの世紀 西脇順三郎とエズラ・パウンド」 新倉俊一

大人の本棚  みすず書房

読みかけの棚から
読みかけポイント:同時に、同訳者のパウンドの「ピサ詩篇」も借りる。読んだのは第5章の一部。西脇順三郎についてはほとんど触れることができなかった。

エズラ・パウンドと西脇順三郎

「ピサ詩篇」は、ずっと描き続けていたパウンドの詩篇(キャンツーズ)の絶唱部分。第二次世界大戦時、ムッソリーニを支持して連合国側に捕らえられ、ピサの監獄に入れられていた時に書いたもの。それまでのパウンドの世界観では、利子は悪(ダンテ「神曲」も利子に対する戦いという側面もあったという)、利子を取る代表格みたいなユダヤ人も悪、だからファシストになる…というものだったらしい。それが、どう変容するのか。20世紀はパウンドの世紀という人もいる…ジョイスもエリオットも彼が見出した。
そんなパウンドが偶然に読んで「彼をノーベル賞候補にすべきだ」と日本に働きかけたというのが、西脇順三郎。新倉氏によれば、洋東と西、それぞれのモダニストがこの二人だという。西脇順三郎は小千谷の生まれ。親戚の本家は、例の河合継之助の幕末戦争の小千谷会談の時の宿舎の一つとなっていたらしい。
(2021 04/04)

私の「ユリシーズ」?

あんまりというかほとんど読めなかったので、返す前にちょっとだけ…
第5部「ユリシーズ、私の「ユリシーズ」?-『キャントーズ』への案内から

 『キャントーズ』には叙述の論理もない。あるのはホメロスよりとった〈地獄下り〉と、オヴィディウスからとった〈変身譚〉だけで、これらに中世や現代の歴史上の人物がまぜ合わされているだけだ
(p261 パウンド自身の評)


ジョイスは『ユリシーズ』の評をパウンドにしてくれるようにエリオットに頼む。これに応えてパウンドは「ユリシーズ、秩序、神話」の書評を書く(1923)。その過程でパウンドはジョイス作品の神話的構造に注目し、『キャントーズ』を見直して、オデュッセウスの放浪を主題とする。ただこのオデュッセウスは、ホメロスやジョイスのように「帰還」はしない。

 「ダンテの『神曲』で描かれたユリシーズのように、故郷に帰らずジブラルタル海峡を越えて、さらに未知の世界に乗り出すあの精神の冒険者だ」
(p262)

 さあ おまえの旅路が終わらないうちに
           知恵は影の影にすぎないが
 おまえは知恵をもとめて船出しなさい
 あの毒を飲まされたけものたちよりもおまえは無知だから
(p262-263 第四十七篇)


(最後の行の謎解き?はこの次にあるようなんだけど、今回はここまで…)
(2021 04/18)

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