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「スウィム・トゥー・バーズにて」 フラン・オブライエン

大澤正佳 訳  白水社Uブックス  白水社

3つの発端、100の結末


「スゥイム・トゥ・バーズにて」。冒頭にいきなり1つの作品に1つの発端と1つの結末なんてのは好みじゃない、とか語り手に言われる。3つの発端、100の結末でもいいんではないか、と宣言されてしまう。

 あえて言うならば、申し分なき小説は紛うかたなき紛い物でなければならず
(p34)
 現代小説はもっぱら引照をこととすべきである。
(p35)


語り手の(第1の)小説の理論だそうな。彼にはジョイスのディーダラスの要素を取り入れられているらしい。
語り手の伯父というのが登場するのだけど、太鼓腹で腕を振り振り歩いているという人物…何かどこか近くにいそうな…
(2016 11/16)

ダブリンカウボーイ争奪戦


「スゥイム・トゥ・バーズにて」にて。が、なんだか他のテクストらしきものを参照しながら横滑りしていく、なんだかわからないけど楽しいスゥイム状態に。その中のエピソードが作中作のカウボーイがダブリンに繰り広げる争い。なんだけど、その中で市電が走っているという…
本筋??をたどっていけば、語り手の創作たる作家の作品の登場人物が、その作家の睡眠中(スゥイム)に作品から逃れようと画策中…
では、スゥイム…zzz…
(2016 11/19)

鳥になって追放された王の話


「スゥイム・トゥ・バーズにて」土日に148ページまで。聖職者に弓を弾いた為、鳥の身になって追放・放浪しているアイルランド中世の王の話がずっと背景に、なんかそれ聴いている作中作中作の人物たちが、時々別の話を始める、という構成。1パウンドの黒ビール詩人の話だったり、アイルランド人お得意(なのか?)の幅跳び対決だったり…
(2016 11/21)

カンガルー的人間…


「スゥイム・トゥ・バーズにて」からの引用を入れる予定。

予定実行
プーカ・マクフィリとグッド・フェアリというなんだか妖精チックな二人の会話。
ポケットなるものは人類が緊急にして肝要なる有効性を本能的に察知した最初のものであって、ズボン着用の遥か以前から用いられていたのであるー矢筒はその一例、カンガルーの腹袋もまた同じ。
(p181)
こんなナンセンスなのか深淵なのかよくわからない周到なやり取りがこの後ずっと続く。ズボンの前にポケットとか可笑しいし、ではカンガルーも人類なのか…とか読者が突っ込み入れそうになると、すぐその後でカンガルー人類説が真面目に論じられる。全てがこんな具合…

引用部分終わり
面白い小説は引用しにくい…
(2016 11/25)

作中作作中?

 歩くときも食するときも、彼らは対位法的な会話に興じていた。すなわち、相互に関連のない複数の話題が同時に展開されたのである。 
(p230)
 魂は迷宮に似て複雑なものです。肉体の時制は直接法現在ですが、魂は過去と現在と未来との重層的な絡み合いなのです。 
(p300)


上は昨日分から。なんだかこれも「この作品自体の構成を示している…」とかで終わらせてしまいそうだけど(笑)、でも関連は明らかにつけられているのよね。下の方はいよいよ作中作の作家を作中作中作の登場人物が亡きものにしようとして、その作家の息子?が作家を殺す作品書いている場面から(複雑…)。ベルクソンなども思い出すと共に、この作品(全体の)が書くことをテーマにした作品であることを再認識。 
(2016 11/27)

火付けの原稿用紙


昨夜「スゥイム・トゥ・バーズにて」を読み終えた。作中作中作の試みは、標的の作家がまるで前半のスウィーニーみたいに追放の身になり空を飛ぶかと思えば、ギャラリー?が枝葉を付け加えたり、逆に作家の息子がそのギャラリーを登場させて判事(兼陪審員兼証人)にして裁判させたり、とどこまでも横滑り。
どうなることやら…と思ってたら作家の家のお手伝いさんが、風で飛ばされていた原稿用紙を暖炉の火付けの紙に使って、おしまい。一番外側の語り手も大学の試験に合格したみたいで、書きかけの原稿など忘れたかのよう…
…で、いいのか。
以上の記述、以上の通り。
(2016 11/29)

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