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「多数決を疑う 社会的選択理論とは何か」 坂井豊貴

岩波新書  岩波書店

「多数決を疑え」メモ
フランス革命前後の二人の理論家による多数決に変わる集約(国民の意見をまとめる)技法として、ボルダのスコアリング方式(のうち特定の付け方をボルダルールと呼ぶ)と、コンドルセのコンドルセ・ヤングの最尤法(さいゆうほう、多数項の選択を、一対一の対決に分け、その総データから「もっとももっともらしい真実はなにか?」ということを見つけ出す方法。ヤングは20世紀中頃の人なので、コンドルセの予言?を解くまでにここまでかかったことになる)がかなり有力。

選択肢が1〜5までの量的推移のもの(かなり悪い、悪い、普通、良い、かなり良い・・・など)はその選択分布が一つの山になるので単峰性と呼ばれ、この場合には中位選択が有効(メディアン、下から(あるいは上からでも)真ん中の位置にいる人の意見を採用)。
多数決の場合、過半数でなくて64%以上の賛成がなければ、他の選択肢の影響を排除できないので問題有り。ただし、日本の憲法改正での国会2/3以上の賛成項は、議員の選定自身に問題がある(小選挙区制など)ため、最後の国民投票を2/3にすればいいのではないか、と提言。

公共財サービスの発注は行政の事実上独断になっているが、ここに国民の意見を取り入れることはできないか。クラークメカニズム等がその提示をしている。公共財サービスはフリーライドを生み出しやすい、という説明は問題を隠れさせやすくするところもある、と指摘。

 消費者として、彼らは際限なく多種の財の中から選ぶよう即されている。市民として公共財の中から選ぶことも、彼らに不可能だということがあるだろうか。
(p155、イアン・バッジ「直接民主政の挑戦」から)


でも、いままで中南米やアルジェリアなどの限定選挙や選挙不正などをいろいろな本で見てきた身には、ここで前提となっている情報公開や市民の中立性やブルデューのいう社会資本などの問題が全てクリアになっているところは思うほど多くはないのでは、と思ってしまうのだが(かといって、ここでの論点が重要であることには変わりなく、多様な民意を代表する為にはどうすればいいか、考えるきっかけになれば)
(2016 03/06)

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