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「ウェブ社会をどう生きるか」 西垣通

岩波新書  岩波書店

モバイル宗教


西垣通氏の「ウェブ社会をどう生きるか」を読み始めた。情報というものは世界を主体的に認知できる主体が環境と接していくパターンと定義づけている。この意味で人間以外の生物も情報と関連づけられるし、主体的だから情報は絶えず変化していくものである。それが書き言葉が生まれる辺りから変化する。言語が権威と関連しあたかも「不変・共通」の情報があるかのごとく社会が成立する。

この情報のアーカイブとして羊皮紙から本そして情報媒体というものが発達する。持ち運び自由で通用する。宗教で言えば、土地に縛られない天空の一神教と聖典がそれにあたる。まさにモバイル宗教というわけ。こういう傾向が歴史の流れで言語・教育もろもろに入っていく。こうした情報の不変性だけを情報だと決めつけるのはおかしいのでは?という考え。詳しくは基礎情報学で。
ところでこの「情報」という言葉。もともとは軍事用語で「敵情報告」というところから来ているといいう。
(2011 09/15)

西垣氏の小説


「ウェブ社会をどう生きるか」の西垣氏、親が俳人だった影響か、小説も書いているという。それもコロンブスの時代とか米西戦争とか、なかなか自分好み?の題材。ちなみに米西戦争は日本では知名度はあんまりない感じだが、結構転換点的な戦争。アメリカの帝国主義的な展開の始まりでもあるし、スペインや南米で文学興隆のきっかけになってもいる。またフィリピンがアメリカ領になった戦いでもある。
(2011 09/17)

生きる意味を検索できるか


って聞かれて、できる…って言う人はそうないと思う。

標題は西垣氏の「ウェブ社会をどう生きるか」の第4章。

 生きているわれわれが世界の゛意味゛を解釈することから、ダイナミックに立ち現れる「関係」こそが情報という存在なのです。
(p112)


これは前章までのまとめ的な文章。
ここの章では恒常性維持システム→自己組織システム→オートポイエティックシステムと生命やそれから成り立つ社会の理論が進み、階層性を成り立たせる為に、コミュニケーションとそれをまとめあげるメディアが出てくる。ここで言うメディアとはマスメディアだけでなくもっと広義に、真理とか愛なんてのも含まれる(学問システム、家族システムをまとめあげるもの)。
(2011 09/18)

コモンズの問題ほか

 フロンティア精神にもとづく自由競争にもいいところはあるにせよ、それは「手つかずの財貨」を分け合う「分配問題」の場合であって、ゼロサムの「再割り当て問題」においては残酷な悲劇をうむ
(p170)


所謂コモンズ社会学にも通じるところがあるこの点ははっきり押さえておきたいと思う。とにかく現代という時代が「新しいもの」「オリジナリティ」「競争」を最優先しがちなのは、その基になっている(経済)思想がアメリカ発フロンティア自由競争であるから。これから宇宙というフロンティアにどう広がるかはわからないが、まず現実の地球の考え方を変える必要があるみたい。
でも、本のタイトルとは大部かけ離れたような気も…(その話は前半部分が中心?)。

それと、本人も若干認めていますが、
東洋→多神教→染み込み教育(非明示的知)
西洋→一神教→教え込み教育(明示的知)
という分類は単純…というより正確ではないかも。どちらかというと、時代的な(モダニティ)問題ではないかと。ただその人類思想(その他もろもろ)全体的なエントロピー拡大的な流れが、前千年期後半以降西洋において急速になっただけの話なのではないか(西洋と東洋という次元では)。それ以前は中国とかイスラムとかの方が早かった、という話ではないかと。

とにかく、
1、人間が直接出会う「場」作りを30人くらい単位で行う。
2、ウェブはそれを支える新たな道具とはなり得る(ウェブだけで全てが成立すると考えるのは誤り)。
3、情報概念の転換
4、本、映像、ウェブ全ての「メディア」において、制作者(関係者、前読者含む)が見える、感じられるものを多く受容すること。
というのが、今日感じたこと。
(2011 09/21)

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