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「人性論」 デイヴィッド・ヒューム

土岐邦夫・小西嘉四郎 訳  中公クラシックス  中央公論新社

1年ぶりの大阪梅田のジュンク堂では、この間池袋のジュンク堂ではなかった中公クラシックスのヒューム「人性論」と、フーコーの「知の考古学」(河出文庫)購入。
(2013 01/04)
後注
1、フーコーは未だ未読。
2、あと、「人生論」ではない。

人性論


昨日からヒュームの「人性論」読み始め。中公クラシックのシリーズのこの本は抄編。前書きに一ノ瀬正樹氏の解説ついてる。抄編だからということもあるけど、あっさりと重要なことを言う。今朝読んだところでもさっと生得観念を否定してたり。じっくり読みたいところだけど…
(2014 08/15)

内的宇宙?

 想像を天空に、宇宙の果てにまでめぐらせてみよう。そうしたところで、実際はわれわれ自身から一歩も外へ踏み出してはいない。つまり、心という狭い限界内に現われた知覚以外には、いかなる種類の存在も思いいだくことはできないのである。
(p37)


宇宙の果てまで行ってから、なんだ、自分の心の中にあった!みたいな(笑)
というのは少し?誤解で、外世界に何があろうとも、それが人間の内的心的作用を経てからでないと理解できない、ということ。まあ、実際に宇宙の果てまで行けるのか、という問題もあるが…
これから因果関係とはなんぞやという核心?部分に入っていく。
でも、なんの因果でこんな(以下、略)…
(2014 08/20)

教育の強力な力


40ページくらいから70ページくらいまで。
因果関係などのつながりの強さは累積印象の強さで決まるというのは、なんだか現代脳科学のシナプス電流からなるネットワークを先取りしているかのよう。一方、どの人も同じ事象を観念として想像できるというのはなんか今からしてみると違う気も。

今日読んだ最後のところでは、教育は反復の作用で、(これまで見てきたような印象の連合による因果関係のネットワークの)作用よりもっと強力な力を発揮するとあった。行動学でいう学習効果がより強いのだろう。その強い力に対し、ヒュームは肯定も否定もしていない(どっちかというと否定的に見える?)。
(2014 08/21)

知覚の束あるいはパラパラ漫画


「人性論」から有名な一節を。

 人間とは、思いもつかぬ速さでつぎつぎと継起し、たえず変化し、動き続けるさまざまな知覚の束あるいは集合にほかならぬ
(p110)


稲刈りのあと干されている稲の束、あるいはパラパラ漫画なんかを思い出すが…現代の視点から見てどうなのだろうか。
で、問題はこのパラパラ漫画を見ているのは誰か(何か)なのだけど…デカルトはそこにコギトを見た。でもヒュームはそこに想像力の様々な働きを見る。ここら辺かなり重要なのだけれど、自分の頭がついていかない…
いっそ、なければ…
(2014 08/26)

情念篇開始


というわけで「人性論」第二篇の情念論に入った。
ちなみに第一篇の認知論(という言葉は使っていないが)のまとめでは、いきなり後悔とも自負とも取れるヒュームの本音(ほんとの本音かはわからない)が出てきて、ちょっと意外。ひょっとしたら、第二篇への目配せ?
(2014 08/28)

理性は情念の奴隷である


「人性論」(中公クラシック抄訳版)本論読み終わり。ここでもまずは有名な一節を。

 理性は情念の奴隷であり、またそれだけのものであるべきであって、理性は情念に仕え、従う以外になんらかの役目をあえて望むことはけっしてできないのである。
(p179)


こう聞くとなんだか理性と情念の壮絶な争いみたいなのを空想するかもしれないけど、実際はもっと肩透かし(笑)。あくまで一次的な太線は情念で感じとり、細線の補助的なのが理性(と呼ばれる何か)。
続いて

 正義は人為的であっても、正義の道徳性についての感覚は自然的である。つまり正義の行為を社会に益あるものとするのは、行動の体系という形での人々の結びつきである。
(p205)


この前のところでヒュームは自然的という言葉の定義をいろいろしているのだが、ここでは人為(事後教育)の反対概念として使っている。
正義の場合は、何が正義なのかという決めごとは社会によっていろいろ異なる、でも正義という概念というか入れ物は生得のものである、という整理の仕方かな。
引用文の後半はなんだか昨日の佐藤俊樹「社会学の方法」であった自己産出系の一つのような気がしてきた。

あとおまけ?の「原始契約について」。契約といっても政府を合意で作るという方の契約。選挙の辺りの記述が、日本の今の政治体制を見ているような感じもするが、ヒュームはこうした原始時代にあったかのような理想の契約の概念は否定する。
こっちはあと20ページくらい。
(2014 09/01)

「人性論」最後の謎と小咄


というわけで、「人性論」をおまけ?まで読み終えた。
年譜見てたら死の直前にこの「人性論」を自著から消して欲しいと言っていたらしい。死を目前にして、無神論者扱いされるのが怖かったのか。謎ですが、年とるに連れて成長を続けるというのは、かなり難しいものだ。とにかく遺言が実行されなくてよかった。

最後にヒューム小咄。
最後まで独身通した。
渡仏した際にルソーと知り合いになったが、翌年ルソーから絶縁される。何があったかは、これも謎。
一方、カントは最大の影響を受ける。ヒュームが自分の眼を覚ましてくれたが、別の懐疑という暗礁に乗り上げた、と回想している。
功利主義の先駆者にして、20世紀英国分析哲学の源流。
生前は哲学者というより、「イングランド史」などの歴史家として有名だったらしい。
アダム・スミスとはどんな話したのかな?
(2014 09/02)

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