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「古道巡礼 山人が越えた径」 高桑信一

ヤマケイ文庫  山と渓谷社
元々は岳人の連載

八十里越

越後側栃尾から会津側只見に抜けた記録。現在でも歩けるのかな。只見ぐらいまで行くと、この街道を通して越後の文化がよく見られるとのこと。
(2015 11/29)

米沢街道大峠ほか

昨日は古い峠道の本から、米沢街道の項を読んでいた。新潟村上からの米沢街道。通常は現在の国道113号(米坂線)沿いのコースだけど、ここで紹介しているのは、も少し北側のダイレクトコース。大峠経由。昔は村上近辺でも塩を作り、山の人々は木を切って川に流し、それと塩を交換したそうな。これは塩が専売制になった後も昭和の始め頃まで木の切り出しの方は行われていた。

この本の他のコースは難易度高いものも多いが、このコースは写真と文章見ている限りは行けそう?

帰宅時に白神山地のマスを追う道と、仙北街道(焼石岳の南側)の章を読む。
(2016 05/06)

下田街道砥石道

今日は新潟県三条市奥の下田街道砥石道。山奥の砥石坑道から一旦山を登り(渓は危険なので)、そして降りた道は、信仰の道と生活の道も兼ねる。この章に限らず著者は「道」「路」「径」と字を意図的に使い分けている。
(2016 05/08)

皇海山の群馬側

高桑氏の古道本から標題のところ。今の山と高原地図では全く集落のない利根町根利(回文)地区には、足尾銅山等の木材供給の為にこの辺りに集落が2、3あった。今でもそこの出身者が年に数回集まって現地を訪れるという。

今の栃木銀山平から六林班峠へ至る登山道も、元々はこれらの集落へと繋げる為に作られたものだという。
(2016 05/10)

平ガ岳の群馬側登山道

今度は奥利根の八木沢ダムの奥、ダムを建設する際の原石山道路(コンクリート生成の為の採石の為の索道?建設の為の道路)…この本で見てきた中で一番新しくできた道で、そして一番藪に埋もれている道。で、今回は結局たどり着けなかった一番奥の水長沢から尾根をつたって行けば平ガ岳…この道を30年前くらいに整備したらしいのだけど、今は使われていないという。現在まで続いていれば、群馬側からの平ガ岳登山道として結構賑わったのではないかな。
(2016 05/11)

会津中街道と会津西街道

今回は那須、板室から三斗小屋、大峠を経て野際新田までの会津中街道。会津西街道(田島から小佐越?へ)が地震と暴風雨で五十里湖に水没してから、幕府主導で作った道。すぐにまた西街道が復活するのだけど、中街道の道筋は実は白湯山信仰といって、ローカルな出羽三山見立ての巡礼道でもあった。那須三山と出羽三山を重ねている。

…で、東街道は奥州街道白河までの道でいいのかな?
(2016 05/13)

黒部峡谷鉄道保安道

高桑氏の本からは黒部川沿いの道。下の廊下の水平歩道が有名だけど、黒部峡谷鉄道沿いにも保安の為の道がある。途中の猫又に合宿所があり交代で入るほか、逓信という郵便物と食料等の配達人も通るという。ほとんどがトンネル。
(2016 05/16)

川内山塊ゼンマイ道

高桑氏の本からゼンマイ道。この人のフィールドの一つである川内山塊、川内→村松→五泉の地域の奥。戦後から高度成長期になるまでは日本各地の山の中に、ちょうど今頃(5・6月)ゼンマイ小屋が作られて採集してきたゼンマイを煮る加工をしていた。子供たちも手伝う為、学校はゼンマイ休暇になったとのこと。

さて、径の方はなんとなく伸びやかな名前とはうらはらに渓谷沿いのかなり険しいコース。昨夜読んだのは1回目ので、また次のもあるので、そっちはどうかな。
(2016 05/18)

増毛山道

雄冬と増毛を繋ぐ山道。海沿いの道も船も使えない時の臨時用。50年以上前に試験用紙を配りに行った?時が最後の利用だったみたい。高桑氏によると、北海道では今まで見てきたような径の多目的な使い方(例えばゼンマイ採りの径がイワナ採りにも使われるなど)をあまりしてこなかったという。駅逓という山道の簡易宿泊所もあったらしい(間取り図が掲載されている)。この増毛山道はこのルポにも出てきた人の整備でイベントの時に限り一部歩くことができるようになった。
(2016 05/21)

小辺路・鈴鹿経由

小辺路は高野山から本宮へ。この辺りの「○○辻」という地名は山の上の道から下の各集落に降りる地点を指し、谷の道は昔はなかったという。

鈴鹿千草越。永源寺の甲津畑から菰野の千草まで。甲津畑から琵琶湖側に繋がる道を昔は夷大路とか言っていたみたいで、蝦夷征伐の際の捕虜をこの辺に入植させていたとか。雨乞岳付近には明治期頃まで鉱山があって、その跡が今も残っている。

八十里越へ回帰

最後は円環を成すように会越の八十里越に戻る。今回は八十里越の裏街道。何回も現地調査を重ねて聞き取りもしてきたという。越後側では砥石道の山々も見える。

道は一つだけの目的だけでなく、地元の様々な仕事に複合的に使われてきた…
(2016 05/25)

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