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「J・G・バラード短編全集5 近未来の神話」 J・G・バラード

柳下毅一郎 編  浅倉久志 他 訳  J・G・バラード短編全集  東京創元社

読みかけの棚から
読みかけポイント:「交戦圏」や「近未来の神話」など拾い読み。このシリーズは今のところ3と5だけ触れた。短編全集はどういう構成なのだろうか。

「交戦圏」


前に「3」借りたっけ。今回は冒頭の短編「交戦圏」を。この「5」は「近未来の神話」とサブタイトル付いていて、現代社会寄り。「交戦圏」は前の「4」に含まれている短編にもあったというベトナム戦争を他の地域に移植?した作品、でこの「交戦圏」の舞台は英国。さすがに英国が内戦状態になることはないと思うが・・・(スコットランドは独立寸前までいったが)・・・それより、この短編の様々な声は全て(とバラードは言う)実際のベトナム戦争の報道から取ってきて変形したものらしい。

巻末にウィリアム・ギブソンのインタビュー有り。12歳の頃からずっとバラードを読み続けてきたという。

 ぼくらは実際には今生きている瞬間のことを書いている。バラードはそれをごく意識的にやっていた、とぼくは思っている。
(p420)


(2018 09/09)

バラードの短編集5から、今度はラストの墜落云々という短編。ピサの斜塔押したら倒れたという…そこに夫婦不和を流し込んだもの。
いつかは倒れるよね。
(2018 09/11)

「楽しい時間を」と「ユタ・ビーチの午後」

バラード短編集5一応順番通り読み
今日は2、3作目。「楽しい時間を」と「ユタ・ビーチの午後」。前者はバラードがたまに手がける「終わりなき休暇もの」の一つ。この短編集では「世界最大のテーマパーク」もその系列。書簡形式なのが、書かれていない隙間をあぶり出して考えさせるきっかけとなる。後者はノルマンディの海岸での戦争ものと異次元交差ものに、またしても夫婦不和が侵入してくるかたち。
(2018 09/12)

「拡大し続ける宇宙ステーション」


(昨夜)寝る前にバラードの短編をまた一つ。500メートルの宇宙ステーションが推定の中で膨張を続け、最後には宇宙と、それから崇拝と同義になってしまう…というもの。仕掛けがわかりやすい分、いろいろ盛り込める。
バラードは長編になるボリュームを短編にする、らしい。
(2018 09/13)

「近未来の神話」


バラードは(図書館で借りた期間では読みきれないので)せめてポスト宇宙時代小説三部作「太陽からの知らせ」「宇宙時代の記憶」「近未来の神話」のうちいずれかは読んでみたいと。

上記バラード三部作の中から「近未来の神話」を読む。なんかしらんが「宇宙病」という衰弱の果てに「自分は昔宇宙飛行をしたことがある」と思い込んでしまって狂うという病気が流行し、気温が上昇しフロリダ半島は熱帯樹に街や宇宙基地まで覆われるという背景の中、語られるのはまたもやうまくいかない夫婦、その妻が宇宙病にかかって精神病医と一緒に向かったフロリダで死ぬ。それを追った夫と精神病医との駆け引き。ストーリーで読ませるのではなく、一幅のシュールレアリスム絵画のようなコマが次々と断片的に現れては消える、そんな小説世界。

 もしかすると、中枢神経系にとって、宇宙は直線構造などではなく、時間の、進歩した状態のモデルなのではないか。永遠のための隠喩であって、そもそも理解しようとするのが間違いなのでは・・・
(p184)


この小説も「そもそも理解しようとするのが間違い」で、理解をやめたところから小説の光景が読者を包み込んでいくような。そうそうこの小説のテーマは光であり、時間である。それらも連続せず断片的に、それも過去と未来が蝟集して現れることもある。光をともなって。

 大気をつらぬく時の流れはゆるやかになって、時間の層は幾重にも重畳し、過去と未来の薄層がひとつに溶け合った。まもなく光子の潮はとまり、時空は二度とうごかなくなるだろう。
(p197)

 そうやってすわっていると、なんだか自分が、ベッドサイド・テーブルのプロジェクターにかけたフィルムのひとコマの、うごかぬ像であるような気がした。
(p199)


マレーの「連続写真」やプロジェクターの妻エレインのポルノグラフィなど、コマ割りされた図像、そして時間というのが頻出する。こうした構図はバラード好みの一つのようで、この短編集の中の「モーテルの建築術」という短編では、ヒッチコックの「サイコ」のシャワーシーンだけを繰り返し見続けている人物が登場する。こういうコマ割りの絵や画像を並べては並び替えて唸っているのが作者たるバラードの姿なのではと思ってしまう。
(2018 09/23)

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