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「それでも世界は文学でできている 対話で学ぶ〈世界文学講義3〉」 沼野充義

光文社

加賀乙彦と谷川俊太郎&田原

「それでも世界は文学でできている」は、これまで読んだところでは、加賀乙彦と谷川俊太郎&田原(中国人。中国語で谷川俊太郎の詩を翻訳した、自身も詩人)の回。

加賀乙彦は都電で遠回りして通勤(通学?)してた時間で、バルザックからロシア文学、「ジャン・クリストフ」まで読み通したという話や、亀有の貧困家庭や東京拘置所での診療、一方沼野氏は加賀氏の「宣告」のロシア語訳を出す窓口になったという話。

谷川俊太郎(まだ途中)では、1980年代くらいまで、日本の現代詩人?の翻訳は石川啄木くらいしかなかったこと、それで自分の詩の英訳本を出した田原氏が中国の雑誌に紹介したら無許可の転載も含め「ブーム」になったこと、日本人としてはやさしそうに見える言葉遊びの詩「かっぱらった」とかいうのが、翻訳に丸一年かかったとか、そういう話。
(2020 12/01)

詩の話、追加。


詩の翻訳は可能か?という話に大いに議論が沸騰する。最終的には不可能なのではとする谷川氏に対し、田氏は普遍的な水準の作品ならば可能であるとする。沼野氏は翻訳しやすいものとしにくいものがあるのでは?と一番無難な?立場。
ロルカと中原中也は時代も若くして亡くなったことも音楽的な詩というところも似ているが、ロルカは全世界で読まれているが、中也は英訳されたものを見ても良くない(と翻訳した人が言ってたそう)。
それは置いといて? 朗読された詩。シンボルスカ、ブロツキー(元々英語で書いたもの)、田氏の元々日本語で書かれた詩、そして谷川氏の自作…また詩も読んでみようかな(って、そもそもそんなに読んでたかな?)
(2020 12/02)

辻原登 編

 神様はたくさんいて、視点も無限にあるわけですから…(中略)…そういうふうに考えると、神の視点と言うけれど、それは自由な視点を持つということと同じことになると思います。
(p125)


(2020 12/03)

辻原登編続き
スティーヴンソンと中島敦の小説。「赤と黒」の翻訳読み比べ(ソレルに初めて言い寄られた時のレナール夫人の台詞)。ナボコフの「賜物」(ロシアに帰れなくなったナボコフがもう戻れない領域を描いた作品)…沼野氏が訳した作品。

ロジャー・パルバース 編


スプートニクに憧れてロシア語、そしてポーランド、フランスと留学し、消去法?で日本に来た。最初に覚えた日本語は目黒駅近くのおでん屋の「ちくわ」。
「雨にも負けず」の英語翻訳は、ほとんどが否定形。パルバース氏は否定形ではない英訳をした(パルバース氏曰く、日本語は喋るだけだとそれほど難しくない、のだそう)。英語教育をする前にまず日本語をという。
ポグロムや第二次世界大戦後の虐殺があったためユダヤ人はロシアやポーランドを良い印象では見ていない。そんな中パルバース氏はポーランドに渡ってルーツなどを調べた。

アーサー・ビナード 編


「釣り上げては」(英語だと「キャッチアンドリリース」)の詩は、ミシガン州の父親の思い出を描いたもので、父親とは当然英語で話していたが、それを詩にしようとすると先に進まない。日本語から作り上げていくことにより、距離をとることができた。翻訳と創作には具体的な違いはない。記憶はキャッチアンドリリース、浮かんだら、離して、また浮かび上がるのを待つ。
「雨にも負けず」の絵本。賢治の百年以上前の岩手と今の日本では違うことが多いのに、ほとんどの人がわかっているつもりになっている。例えば「少しの野菜」というのは、今の基準では全然少しではない、とか。わかっていると思っているのをもう一度考えさせるのが文学の使命、役割。
ベン・シャーンという画家の「ラッキードラゴン」という船の画集を、父親が購入しビナード氏も見ていた。後に日本に来て、ラッキードラゴンというのが、ビキニ環礁水爆実験の第五福竜丸だったということを知り、シャーンの絵とビナードの詩と合わせて本にしたという。
(2020 12/05)

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