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「日向で眠れ・豚の戦記」 アドルフォ・ビオイ=カサーレス

高見英一・荻内勝之 訳  ラテンアメリカの文学  集英社

時計屋が作った文学


ビオイ=カサーレスの「日向で眠れ」。なにげない日常生活描写から、破綻?へとゆっくりながら着実に進みつつある。この小説のどこかで「時計屋が書いているということを忘れないで下さい」という文があった。(主人公は時計修理工)そう、この小説はまさに時計の如く、休みない針の動きと音と共に進行するのだ。 精神過敏なのと、骨抜きになったようなのと、どっちがより自然なのだろうか… 
(2007 09/19) 

「日向で眠れ」から「豚の戦記」へ。


ビオイ=カサーレスの中編作品集。「日向で眠れ」から「豚の戦記」へ。「日向で眠れ」はなんかフーコーの監獄理論を思い出してしまう。
一方、「豚の戦記」は始まりは「青年グループ」という名前の老人の集まり。それぞれに個性的な面々で笑いを誘います。ただ、そこに忍び寄る暴力…なんとなく触れないでおこうという主人公か作者の意識(無意識)にも入り込んでくる。両作品とも日常生活描写の裏の進行しつつある狂気、という共通点を持っていると思う。
(2007 09/20) 

過去と未来に挟まれた現在


今読んでいる「豚の戦記」に過去は深い井戸で、未来は絶壁を逆にしたものだ、とあった。どっちにせよ、落ちていくだけだ、と。 過去と未来が途方もなく長く(有限か無限かは別として)現在はその間の一点にすぎず、あるいはそれすらも存在しえないのかもしれないのならば、現在というものは、激しい花火か、はたまた夢から覚醒しつつあるあの瞬間か。 なんか、よくわからない文になってしまったが、とりあえずは読み終えた。
(2007 09/25) 

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