「アフター・ヨーロッパ ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか」 イワン・クラステフ
庄司克宏 編訳 岩波書店
ヨーロッパ・ガラパゴス
序章を昨晩寝る前に読んだ。
序章冒頭がヨゼフ・ロートの「ラデツキー行進曲」で始まるように、このクラステフ氏、結構文学からの引用が好きな模様。この本を染めるテーマが「既視感」(EU分裂はソ連崩壊の再来?)なのだから、小説世界から引っ張ってこられるのは当然ということか。特にお気に入りはサラマーゴらしい。
(というか、ここで例に引き出されている、日本の「ガラパゴス携帯」が技術的には進んでいたというのを初めて知った)
最初は読み飛ばしていたけれど、「共謀」という言葉に今気づいた。実際にエリートと移民が「共謀」していたわけではもちろんないことは普通に考えればわかりそうなものだが、それが見えなくなるくらい、この「多数派」は視野が狭くなっているのだろう。
(2021 11/29)
第1章「われわれ欧州人」
スラヴォイ・ジジェクは難民危機が欧州に与える影響を、エリザベス・キューブラー=ロスの「死ぬ瞬間-死とその過程について」の死の受容5段階説と似た経過をたどるという。
否認→怒り→取引→抑鬱→受容
ただし、ジジェクの難民の受容5段階説には最後の「受容」の段階が欠けている。
続いてはデイビッド・グッドハートの言葉から。
p46にて紹介されている社会実験は、移民問題とは少し離れるが、直近未来社会を見る視点として重要な視座。
後半は中東欧と西欧との分裂。及び中東欧での「同情の欠如」。それと反する?3つの現実。
1、20世紀、中東欧の人々は自身が大きな移民排出国だった。
2、現実中東欧諸国にはほとんど難民はいない
3、中東欧諸国は高齢化と人口流出で、実は移民の労働力が必要視されている。
ここからはクラステフ氏の母国であるブルガリアの事例が多くなる。
元々、中東欧では自国政府よりブリュッセル(EU)の指導者を頼りにしていたが、今では自国政府に多く傾くようになった。
(2021 12/02)
第2章「かれら人民」
ここから、3つのパラドクスに分けて説明される。
1、中欧諸国の世論調査による親欧州の傾向と、自国の政治には反EU政党が票を集める「中欧のパラドクス」
2、西欧での、汎欧州的・親EU的ポピュリスト運動の出現をもたらさなかった「西欧のパラドクス」
3、欧州人が能力主義で選抜されたはずのブリュッセルの「エリート」に憤慨している「ブリュッセルのパラドクス」
この説明から次回。
(2021 12/03)
今まで読んできた本では「デモのメディア論」も参照。ポーランド、カチンの森虐殺訪露での飛行機墜落事故に関しては、松里氏の「準大統領制」も参照。
(2021 12/05)
つまりは支持層と政党の間に乖離が起きているのか。支持層が支持層たり得ない(若者の人口が少ない、若者が選挙に行かない等)のか。
能力主義的エリートはサッカーの一流選手みたいなものだという比喩はわかりやすい。国から出られない人々からすれば、どこかへ流れそうなエリートよりも、その国にずっといる人を信頼するのか(ただ、ポピュリスト政治家が本当にずっとその国にいるのかはわからないのだが)。
(2021 12/07)
国民投票(結果はともかく)とEU統合の同時化は、もっと言うと「経済統合」「国家主権」「民主主義」の三つをすべて同時に達成するのは不可能である(というダニ・ロドリクの仮説…訳者あとがき参照)…しかしブリュッセルのエリートも、ポピュリスト政党もこれが可能であるかのように振る舞っているという。国民投票の具体例として、イギリスのEU脱退についての投票のほか、イタリア・オランダ・ハンガリーのそれぞれ性格の異なる投票を取り上げている。
EUはこのまま分裂していくのか。著者クラステフはそうは考えてはいない。即興と妥協の精神で生き残っていくこと自体が必要であり、すべきであるという。
(2021 12/08)
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