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「アラブ、祈りとしての文学」 岡真理

みすず書房

アラブ文学自体にまだ自分になじみがない為、取り上げられている作品をまずは列挙しておく。

「アーミナの縁結び」(2004) イブラーヒム・ナスラッラー(パレスティナ)
「悲しいオレンジの実る土地」(1962) ガッサーン・カナファニー(パレスティナ)
上記短篇集の中の表題作と「ラムレの証言」
「四角い月」(1994) ガーダ・サンマーン
「黒い警官」(1962)
「肉の家」(1971)
「アル=ハラーム」(1959) ユースフ・イドーリス(エジプト)
「肉体の記憶」(1993) アフラーム・モスタガーネミー(アルジェリア)
「遠景のミナレット」「姿なき呼び声」「ゴバシ家の出来事」「わたしと姉さん」アーリファ・リフアァト(エジプト)
「ひまわり」サハル・ハリーフェ、「零度の女」ナワール・エル・サァダーウィー(エジプト)
「越境の夢」ファーティマ・メルニーシー(モロッコ)
「アラベスク」アントン・シャンマース(1986)イスラエル(パレスティナ人))
「ハイファに戻って」ガッサーン・カナファニー(パレスティナ)
「ファカハーニー広場を見下ろすバルコニー」(1983)リヤーナ・バドル(パレスティナ)
「太陽の門」(1998)エリヤース・ホーリー(レバノン)
「鏡の目」リヤーナ・バドル

やはり自分の読書傾向としてヨーロッパ及び南北アメリカ大陸の文学が多いと思われるので、少しは広げてみようと、一つはあんまり入り込めなかった日本文学からちらほらと、もう一つは先程挙げた地域以外の文学を。前にもアフリカ文学案内とか、ベトナム短篇集とか読んだが、そうした中でも文化的・歴史的にはかなり前から自分にとっては興味ある地域のはずである中東・アラブが、まだ文学未体験・・・ではまずいなあ、と思って読んでみた。はるかに状況は深刻。主にパレスティナの事例が多いのですが、まさに「祈る」しかできないような状況、でも人は生きていくのだ、そういう状況。
救いは文学にはナショナリズムを超えて、理解できる(理解しようと努める)ことができるということ。

 小説を読む者たちは潜在的に非国民である。
(p306)


小説の前に何があったか?西洋の場合はやはり「聖書」ということになろう。イスラームであれば「コーラン」…聖書やコーランが祈りのためのものであるならば、小説はその近現代化されたものであり、祈りの原型を保っているのも不思議ではない。そして「祈り」とは元来全ての人間に開かれているものである。
ということで、「アラブ、祈りとしての文学」を読み終えた(本のカバー写真もどこかに迷い込みそうなアラブの入り組んだ町の印象的な青の情景)。ペースとして一日一章。知らなかったこと、考えられないようなひどい状況、その痛みを分かち合おうとする小説・・・いろいろ学ぶところが多い本だったけど、ここにほとんど自分なりの意見を書いてないのはなぜか?
(2010 03/17)

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