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「死体展覧会」 ハサン・ブラーシム

藤井光 訳  白水社エクス・リブリス  白水社

図書館で6冊借りた中のひとつ。
イラク出身、2004年からフィンランド在住の映像作家、作家。小説の作風はイラクの暴力を生のまま剥き出しに示す。のため、アラビア語圏ではなかなか発表されなかった。暴力シーンを緩和した版もヨルダンではすぐ発禁。イタリアの出版社からアラビア語訳が2015年に出る。
一方、様々な歴史的・文化的背景を持つ移民たちを、まとめて「ムスリム」と呼んでしまうヨーロッパ側の反応にも批判的エッセーを書いている。
彼の第1短編集「自由広場の狂人」、第2短編集「イラク人キリスト」からの14編セレクトして編集したアメリカ版短編集の英語版からの訳が本書。訳者藤井氏の着目点である「英語で書く非英米系作家」ではない(ブラーシムはアラビア語で書く)。

「カルロス・フェンテスの悪夢」、「死体展覧会」


今日はそんな中から最後と最初「カルロス・フェンテスの悪夢」と「死体展覧会」。自分がこれを手に取ったきっかけの「カルロス・フェンテスの悪夢」は、作家フェンテスとは全く関係のない、イラク人の清掃人がオランダに亡命するに至って変えた名前。サリーム・アブドゥルフサイン改めカルロス・フェンテスは、オランダ語を覚え、オランダ人女性と結婚し、市民権を得る。悲惨な母国を忘れ、受け入れ国の国民に成り切ること、それが彼の目的だった。が、そうしているうちに彼は悪夢を見、奇矯な行動を繰り返すことになり、悪夢の中で転落死してしまう。

「死体展覧会」は「芸術的」に人を殺し、その死体を市街に展示するという謎の集団。こういうのがイラクにいるのか、フィクションとしてもそれを提示する意味はあるのか、ちょっと自分の中で疑問の一つ。ひょっとしたらこれはイラクから投影した先進資本主義社会の姿なのかも。

 この世界では、アイスクリームを舐める映画女優が何十という写真や記事になり、飢餓に苦しむ遥か彼方の村までに届く。悲鳴と踊りのこの石臼こそが世界なのだ。
(p10〜11)


(2018  11/25)

ブラーシムの静なる構図


昨夜(というか今日未明)と今日、「死体展覧会」から読んだ短編
「コンパスと人殺し」「グリーンゾーンのウサギ」「軍の機関紙」「クロスワード」「穴」「自由広場の狂人」「あの不吉な微笑」
(読んだ順番は異なる)

どれもやはり暴力に溢れた短編(イラクに限らず、作家が今暮らすフィンランドなどでも)なのだが、今まで読んできたものより、幻想的なSF的な要素も増えてきた。バクダットの戦乱の最中落ちた穴にアッバース朝の老人が住んでいたとか(「穴」)、雑誌社へのテロ攻撃時に駆けつけて焼死した警察官の声が助かった男の腹に住む(「クロスワード」)とか、なぜか知らぬが微笑が顔に貼り付いて動かせない(「あの不吉な微笑」)とか。
一方「コンパスと人殺し」みたいに、殺伐とした殺しと暴力がただ描かれているような作品でも、ペシャワールでのテロで殺されたアッザーム師のコンパスが作品の筋とは一見無関係に、しかし対峙されて置かれているのが構図的に意味深い。

 これは人生をあざける笑顔なのだ、理由もなくこの子供を作り出しておいて、これまた理由もなく力ずくで奪い去っていく人生をせせら笑っているのだ、と穏やかに説明できるのか?
(p176 「あの不吉な微笑」)
 あなたが賢明にして全知全能であり、荘厳な御方であるとは承知しておりますが、あなたもかつて、軍の機関紙にお勤めだったことがおありでは? そして、なぜあなたは、ご自分でお作りになった登場人物たちのために焼却炉を必要とされるのですか?
(p50〜51 「軍の機関紙」)


なんか、気になる文章二つ引っ張ってきたら、どちらも似たような痛切な問いかけの文章になった。とにかく書かれている表面の筋から、構図や印象の力で落ちていく深いところへと。
あと5編、続けて今日中に読み終えるのはやめておく。
(2018 12/02)

の、5編を、日曜に残りのうち2編、火曜日に2編、木曜日に1編で読み終わり。12/06読み終わり。図書館返却したあと感想書いてないの気づいた…

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