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「物語の海へ ギリシャ奇譚集」 中務哲郎

物語の誕生  岩波書店

妻の選択

今日は「妻の選択」の章を読んだ。捕われた夫、子、兄弟のうち誰か一人だけ助けても良い、というシチュエーションでさて誰を助けるのか。答えは物語によって様々だけど、以外に兄弟というのが多い。夫や子供はまた自分で作ればいいけど・・・というのが理由。

こういう「アンティゴネー」の理由付けに対し、「ここだけ後世の付け足しだと認定してくれたらなあ」と嘆いたのはゲーテ。一方、当のソポクレスはこの兄弟選択の話をどうやらヘロドトスから聞いたという。その元ネタ?がこの章の冒頭のペルシャの話。
(2015 01/18)

人鳥別離


殺人現場に鳥がいて、後にその鳥を見て犯人が何故かそのことを口走ってしまう、という物語が結構ある。
これは中務氏の推測によると、元々は殺された人そのものが鳥に生まれ変わって復讐するといった内容だったものが、次第に生まれ変わりではなく人と鳥の役割が別れ、そして鳥は直接手を下さなくなっていくという流れをたどっていったという。

この推測(中務氏は結構断定しているが)の過程を中務氏は「合理化」と言っているが、自分はもう一つ「ユーモア化」というのも入れたい。犯人が何故か犯行を口走るという話は意外感を生む。ひょっとしたらこの合理化とユーモア化というのは表裏一体で、人間世界に合わせた合理化によってできた物語の隙間がユーモアとして知覚されるのかもしれない。と考えて、前に読んだ「石の葬式」(これもギリシャ)を少し思い出した。
(2015 01/29)

トリックか否か


またしてもヘロトドスによると、トラキアには子が産まれると悲しみ、人が死ぬと祝宴をあげるという民族がいたそうな。産まれてきてもろくなことはないし、死んだら一切から解放される…
でも、本当にそんな意味なのかな、と中務氏は考える。産まれてくる子供に変な名前つけたりとかするのは日本も含めいろいろあるけど、あれは邪悪な霊などから子供を守る為なんだよね…でも、それでも、後半(死んで喜ぶ)は説明できないんだよね…
とそういうところまで…
(2015 01/30)

指輪の話


寿命交換の話から、ポリクラテスの指輪の話へ。話をいろいろ分解して、それぞれに類似の話を世界中(ヨーロッパはもとより、アフリカ・インド・日本など)から集めてくるというスタンスがこの本の興味深いところ。

前半(指輪を海に投げ入れる)では例えばヴェネチアの総督就任時の海との結婚儀礼、後半(指輪が魚からみつかる)では指輪が見つかってだいたいの話は幸の方向性なのに、この話みたいに不幸になるという方向で類似性を持つ「阿呆物語」とか。
そういう要素に、運命は既に定まっていてどうにもならないとかいうヘロドトス自身の思想と絡み合って、この話はできている。
(2015 02/03)

接吻の起源


接吻の起源なんて妙なこと考える人がいるんだなあ…と、3、4種あるそう。
鼻接吻説(犬みたいですね、元々は鼻同士でじゃれあっていた)
唾かけ説(唾には邪視を逃れるとか(この章の主題はそこ)から)ー以上2種は民族学的考察(現在でもそういう挨拶している民族がいる)
言語学的考察(例えば鼻と接吻の言葉が類似)が根拠らしい。
それから極めつけが3つ目のカンニバリズム説。他動物の生殖行為には相手の一部(もしくは全部?)を食べることを含むことから…らしいけど…まあ、人間でも軽く噛み合ったりはするが…

物語の復元と工夫


「物語の海へ」読み終わり。

 筆者はここに、非合理から合理への説話の進化を見るのではなく、異伝の語り手たちの工夫の豊かさを認めて喜ぶ。また、スミスのようにこれらから原形の復元へと向かう代りに、このような異伝の工夫がいかにして見出だされたかに思いを致す。
(p204)


(なんか前の章では割と物語の歴史的遷移について断定込めて語っていたような気もするのだが)ギュゲスの話の多くの異伝は、進化直線的に並べられるものではなく、同時並行的に作者の好みと「工夫」によって出来上がってきたものだとする。

この本の各章はだいたい、ある物語のテーマを分解・類似性を持つ他の物語を世界中から集める、というスタイルで統一されている。だけど、初出は結構バラバラなのね。
ヘロドトス「歴史」って、今入手できるのかな。トゥキディデスは?
(2015 02/04)

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