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「トリホス将軍の死」 グレアム・グリーン

斎藤数衛 訳  早川書房

この本は、パナマのトリホス将軍からの招待を受けた時の記録。1976年から毎年4回のパナマ訪問、そしてトリホス将軍事故死(陰謀説も)ののちのエピローグ。

トリホス将軍のスケッチ


最初は知らない名前の人物からの招待状で始まった。
グリーンによる、初めて見たトリホス将軍のスケッチ。

 やがて二人の人物が私たちに加わった。一人は素足で、一人は寝室用のスリッパをはいていたが、二人ともパンツに部屋着という恰好で、どちらを将軍と呼べばいいのか私にはわからなかった。二人とも四十代で、一人は、小太りの、終生変わらないのではないかと私には思われた若々しい屈託のない顔をしていた。もう一人は、前髪が額と正直そうな目に垂れかかった痩せ気味で、ハンサムな男だった(素足なのはこの男の方だ)。私たちが顔を合わせたとき、正直そうなその目に、用心深さだけでなく、まるで新しい人種に出会ったとでも感じているような警戒心すら浮かんでいるのを、私は見た。私はこの男こそ将軍にちがいないと、確信した。
(p30)


将軍のことを全面に出さないさりげない書き出しから、徐々にこのルポの中心人物であるトリホス将軍に迫っていく書き方。二人の人物のうち、違う方(たぶんこの家を提供した銅山の経営者でもあるゴンザレス氏)から外見を書き出す。もう一人の(すなわちトリホス将軍の)外見のところで、()書きで素足を結びつける。そして、トリホス将軍はこちらだというが、それはグリーンの直感内であり、断言はしていない…ところも巧いなあ。
表紙の写真の男が(明言はされていないが)トリホス将軍なのだろう。髪型は違うけれど。
同じページで。

 いつだったか、一度将軍に、あなたが一番繰り返して見る夢は何かときいたことがある。そのとき、彼は何のためらいもなく答えた。
「死」
(p30)


まさしく、この本のタイトルになっている「死」。この本では今のところ行動するトリホス将軍とそれを書くグリーンという構図で、特に「死」について長々と語っているわけではない。が、その裏にはいつも「死」が見え隠れしている。
そのトリホス将軍はまたこう言っている。

 「一般に村の共同墓地に行って、そこの芝生が刈り込まれていないようなら、その村はよくない村だ。死者を大事にしない連中が生者を大事にするわけがないから」
(p32)


この後、パナマの政治集会?と運河の「アメリカ地区」の政治集会の対比とか、取次役でマルクス主義者の教授でもあったチュチュという人物との詩の話と逸話などが入る。

 ウォン大尉、不思議なキリスト像、〈幽霊屋敷〉、みなすべて“帰り道で”の約束だ。『帰り道で』という題の小説が幻のごとくまた闇の中から浮きあがってきた。私の小説では、約束された回帰が実現されることは決してない-私の主人公が回帰するところは絶対にないからだ。
(p61-62)


「絶対に」と言い切っているところを見れば、これがグリーンの小説を書く上での最初の動かせない一点であることがわかる。ただ、今書いているこの本ではどうなのか。ノンフィクションでは違うのか、それとも…
(2022 10/06)

「闇の奥」と死のテーマ

 まるで私はあなたがたに夢の話をしようとしているようだ-結局は虚しい試みに終るだろうに。いくら夢の話をしても、夢の感覚を伝えることはできないのだから-あのばかばかしさと驚きと当惑が入りまじった気持を、必死になってさからおうとする身の震えを、そして、何か信じがたいもののとりこになってしまったというような思いを…
(p84)


これはコンラッド 「闇の奥」の一節(だという)。この前の1958年にコンゴにグリーンが行った時、そして今回、グリーンは「闇の奥」を読み返した。この文章は、パナマの島で対岸にパナマシティのビル群を見つつ「闇の奥」を読んだ時にグリーンが印をつけたもの。グリーンはその時構想していた「帰り道で」というパナマを舞台にした小説の銘文に使おうと考えていた。そしてこの文章を書いている今グリーンは、結局書かれなかった小説より、この本つまり「トリホス将軍の死」にこそ上の文章は相応しいと考えている。
さて、この「トリホス将軍の死」、原題は「Getting to Know the General」(将軍について知り得たこと?…じゃなくて、将軍と親しくなって(冒頭に書いてある))というもの。前にタイトルにもなっているから、この本のテーマになっているのでは、などと書いていたけど、そういうわけでそれは憶測に過ぎなかったらしい…いや、裏テーマでの「死」は見え隠れしながら進行中ではないかと思う。
(2022 10/08)

逃れてきた人々との面会と役者の少ない芝居

第2部に入り、今回のパナマでは、将軍やチュチュより、サンディニスタ(ニカラグアの反政府勢力、このあとソモサ政権を倒す)や、その他アルゼンチンなどの独裁政権から逃れてきた人々と面会する。パナマはそういった人々の隠れ家のようになっていたこともあるが、グリーンの行動力も(この当時70歳代)注目に値する。

 パナマ・シティでは、一度しか姿を現わさない人物は一人もいない。出演するには役者の少ない芝居のように、同じ役者が絶えず役柄を変えては繰り返し登場することになる。
(p126)


これも書きかけの小説の構造かもしれない文章。
(2022 10/14)

パナマ運河新協定締結とベリーズの首相

第2部の残りと第3部、読み終わり。
第2部はついに、アメリカとの運河の新協定締結のセレモニー。グリーンはパナマ代表団の一員としてガルシア=マルケスとともにそこ(ワシントン)にいた。反対側にはアメリカ側、そして米州機構の指導者たち。トリホス将軍はこの中で呼んでほしいのはコロンビア、ベネズエラ、ペルーだけで、他の国の独裁者たちと同じに見られたくなかった。一方、カストロは呼ばれもしなかった。この中で仇敵でもあるピノチェトとトリホスが一瞬見方によっては抱擁しているように見えた、というのがなかなか興味深かった。

第3部は翌年、こちらは何故かグリーンの生涯に二度しかなかった飛行機乗り間違いが二度あり、それを含みながら中米を行く。

ベリーズ(この時はまだ独立前で、グァテマラとの国境紛争で苦しい状態だった、それにハリケーンも襲ってくる)のジョージ・プライス首相に会いに行く。このプライスという人、自分にはひょっとしたらトリホス将軍やチュチュより印象的な人かもしれない。前にグリーンに手紙を書いたことのある文学好きなカトリック神父を目指していた人物で、ベリーズを人口14万人の「教区」という。車の中ではトーマス・マンを激賞してグリーンと一致。「魔の山」より「ワイマルのロッテ」の方が優れている、という点でも一致したらしい。自分が一番惹かれたエピソードは、グァテマラ国境で国境を越えてグァテマラ側の警備員達とおしゃべりしているところ。

帰りは(ニカラグア支援で便宜を図ってもらっているのに関わらず、何故かチュチュが軽蔑しているという)コスタリカで、オルテガ夫妻に会ったり(挨拶くらいだったらしい)している。
さて、第3章では、こうした中米旅行?に出かける前、トリホス将軍の描写から。

 私は、ハンモックに揺られている“怪物”、“ユダ“のことを思った。そしてまた、ある漁夫のことを思いだした。この漁夫は、週末になると必ず浜辺にやってきては、守衛をやりすごし、ベランダに座っているオマールに向かって酔払いの罵声を浴びせかけ、帰り路は散歩で酔いもさめたのか、黙って通りすぎて行く。オマールは週末にきまって起こるこの行事が気に入っていた。
(p158)


怪物とかユダとかは、オマール・トリホスが国外追放させたアリアス大統領がパナマに一時帰国を許されて、そこで行った演説からトリホスを批判した言葉。一方、グリーンは、この漁夫のような人物がアリアス時代にいたらどうなっていたのだろう、と想像する。
(2022 10/15)

第4部(1979年より1980年)

 パナマではいつものことだが、二人の計画は、ラム・ポンチを飲んでいる間にかかってくる数多くの電話の中身によって、すぐに狂ってしまう。そして、そのラム・ポンチそのものも、いつものことだが、うまくないのに値段ばかり高い。
(p187)


洒脱な印象の文章だが、その理由は、普通に書くと後ろの文の内容は前の文のラム・ポンチの前で修飾するか括弧付きで注釈にするか辺りなのを、独立させそれも(あたかも計画通りにいかないことより、ラム・ポンチがまずいことの方が重要であるかのように)後ろに持ってくる、というところにある。

さて、1979年といえば、ニカラグアの革命でサンディニスタが勝利し、ソモサ一族が亡命する年。翌年、グリーンは四度目のパナマへ向かう。親しい友人の娘に関する懸念事項などもある中、そしてエルサルバドルのゲリラに対して西洋人誘拐の交渉などもしながら(この時、ガルシア=マルケスもメキシコシティで同じ交渉をしていた)。

で、今回は、前回のベリーズのように、ニカラグアへ渡って勝利集会を見る。コスタリカの大統領が「選挙を実施しよう」と演説した時には聴衆は冷ややか。新しいニカラグア国防大臣ウンベルト・オルテガが「1985年まで選挙は実施しない」というと拍手が湧く。この時のグリーンもそれから読んでいる自分も何故そうなのかわからなかったけれど、ソモサ時代にはとにかく「選挙」で不正に独裁を続けていたからだ、という。中米の政治はとかくわかりにくい。そして、この時グリーンの眼は、エデン・パストーラ(前の部でも出てきた内戦の英雄だがそれだけに警戒されている)に止まる。グリーンの不安は的中し、パストーラは正面切ってサンディニスタ政権とは争わなかったが、その外部で敵対する勢力を支援するようになる。作家としての、人間を見る鋭いというか反射的に感じ取ってしまう、そういう感受性。

第4部の後半は、ボカスというグリーンが行きたいと前々から思っていた島への旅。

 数日以内にパナマから引き揚げる飛行機の予約はすでにとっておいたが、ボカスには何か運命めいたものがはたらいているような気がする-絶対にここから逃げ出せないという感じだ。私がいけなかったのだ。コロンブスが引き返した場所を見たいばかりに。観光客が一人もいない場所を見たいばっかりに。これまで二度来ようとして二度とも来れなかった場所だった。天の配剤し給うた神意に私は気づくべきだったのだ。
(p210)


脚色はあるだろうけど、グリーン自身が思っていたことそのままだろう。
第4部が終わる時、それ以前のように「もう二度とパナマに来ることはないだろう」と思ったりせず、また来るはずだと明るくパナマを旅立つ。ところが、次の電話は、トリホス将軍の死を知らせる、その電話となった。ここで冒頭に戻って数ページ読み返すと、少し切ない気分になる。
(2022 10/17)

エピローグ1983年


トリホス将軍事故?陰謀?死が1981年、2年後にグリーンはパナマへ再び向かう。
そして、今回も周辺諸国へ出かける。ソモサ一族は追い払ったが、ホンジュラス軍とアメリカの介入(いわゆるコントラ)に苦しむニカラグア。ニカラグアでは、まさに戦場地域のホンジュラス国境近くの村へ視察。ニカラグア最後の夜は、前の部でも出てきたエルサルバドルのゲリラのサルバドール・カエターノに再会。この後3か月後、本国に残してきた腹心(女性)が残忍な仕方で殺害され、それを知ったカエターノは自殺する。この事件は様々な説があるが全ては謎のまま。
そしてソモサの自家用機であった飛行機でついにキューバへ向かう。そこにはカストロとガルシア=マルケスがいた。グリーン自身は1966年にキューバに来ていてカストロにも会った。

 「私はメッセンジャーではなく、私自身が一つにメッセージなんですよ」
(p247)


とグリーンが言えば、カストロは

 「メッセージは受け取ったと、伝えてくれたまえ」
(p249)


カストロに伝えたメッセージとは、トリホス将軍と親しかったグリーンの姿を通して、トリホス将軍の精神は未だに健在である、ということ。社会民主主義の共同体を目指したトリホス将軍の夢は、はかないかもしれないけれど、着実に引き継いでいるものがある。
…も少し、考えてみたいところだが…
(2022 10/18)

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