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「逃亡派」 オルガ・トカルチュク

小椋彩 訳  白水社エクス・リブリス  白水社

2018年国際ブッカー賞受賞。同年ノミネート作品のうち、当時唯一邦訳有り(しかも邦訳が英訳より早い)。

例外のクマネズミ

 クマネズミを迷路に放すと、かならず一匹、理論と矛盾するのがいる。その行動は、わたしたちが機械的に立てた仮説とぜんぜん一致しない。パブロフの犬もどこ吹く風で、ちらとこちらを一瞥すると、もと来たほうへ戻っていくか、のんびり迷路の探検に出かける。
 (p12) 


トカルチュク「逃亡派」から。語り口がユーモラスなのでちと長めに引いた。実際にトカルチュク自身が心理学学んだかどうかはわからないけれど、行動主義全盛かとも思えるの東欧とそれに批判的なまなざしが実感できて楽しい。
小説の主要テーマはここで示されている例外のクマネズミ。外れたもの。 
(2014 06/23)

クニツキの話


 「逃亡派」は並行して走るいくつかの筋のうちの主要な一つ、クロアチア旅行中に妻子が消えたクニツキの話が進行中。
警察や村人と探し回りながら、クニツキは「なんで人間には(動物の生態を調べる時につけるような)ICチップをつけないのだろうか」と考える。そういう全てを監視できたらなという思想と、そこから逃れたい思想と。それらが絡み合うのがここからの作品全体の流れなのか。
珍品収集館みたいなのに惹かれる「作者」(トカルチュク自身とは多分少しはずれてはいるようなそんなこの作品の作者)にもその絡み合いは感じられる。博物館という存在自体が、そういうアンビバレンツなものの上に成り立っているから。 
あとは、「作者」自身も書きながら常に移動し続けているみたい。今はオランダ・ベルギー国境付近に…
 (2014 06/24)

回転する車輪

 車輪は線路から一ミリたりとも離れない。でも接するのは瞬間だけ。いつだってそれは、くりかえしのきかない配列。車輪とレール、時間と場所、全宇宙でひとつの特別な点。
 (p62)


 ここの他にも時間と空間の様々なバリエーションが展開されているが… 自分という存在が車輪のような何らかの回転体で、一回転のうちの一瞬だけ実世界(平面それとも直線?)に接続している…という空想を広げてみると、実は99%くらいは実在していないのではないか。その99%に何が起こるかはわからない。しかも他の人はその99%に割り込んでくる… 
(2014 06/25)

旅行心理学とエリック症候群?

「土星の環」のゼーバルトは20世紀初頭のガイドブック持ってのイギリス行脚だったが、今回のトカルチュクは18世紀の2冊らしい…というわけで「逃亡派」。 (自分はパリに行ってもガイドブック症候群にはならなかったなあ…) 
空港で開催されているという(実際にこんな感じなのかなあ)旅行心理学の講義というか演説?人間にあるのは目的ではなく渇望であるとかなかなか興味深い内容。

次の長めな話は島と大陸を結ぶフェリーの船長エリックの話。ある日突然、真ん中くらいで航路を外れ外海に出ようとしてしまう話。ぷっつり何処かに行ってしまおうというのも渇望から来るのだろうか。前のクニツキの妻子もそうだったけど… 住む人と消える人… (先に書いた18世紀のガイド2冊のうち1冊は「白鯨」らしい)
 (2014 06/26)

「逃亡派」は地図から消した街とかいう章が楽しい。自分の頭の中で存在を消しただけなのに、ラストはそれが前提になっている皮肉な表現。
 (2014 06/27)

中世の遊牧民と現代の驢馬 


2つとも短い章で、多分パレスチナ付近の十字軍当時の小さな遊牧集団の処世術と、多分これもパレスチナ付近の現代の観光客用驢馬が太ったアメリカ人を嫌うという話があるのだけど、なんか共通するテーマもあってそれは(弱い者が)周囲の音や匂いなどで反応していくこと。そして態度を変えていく。それは近代的自我とは正反対だけど、トカルチュクの言うように「中欧」的でもある。カフカのように。 
 (2014 06/28)

ブラウ氏の仕事 


「逃亡派」はこの小説のもう一つのテーマである、内なる宇宙、人体について。臓器とかもろもろを保存したり精密な模型化するのが仕事のブラウ氏の話。前の旅のテーマを受けて、「人体とはよくできたパッケージである」とはよく言ったものだ。 そこから今回はこの間引用できなかった文章を。

 蘭とちがって人間は、自然の支配からそっとぬけだす精神を与えられているとは思いもせずに。すばらしい思いつきを隠しているとは思いもせずに。下着のなかに。言いきらない余白のなかに。沈黙のなかに。 
(p127)


こういう思いがけないものの並置がここ以外にもたくさん出てくる。女性性器を写真に撮るブラウ氏→指紋みたいに女性性器も各個人でそれぞれ違う→そういう(一見無駄のような)自然の奥深さは、「製作者」の自然の意図を越えて人間には個人という「存在」を与える。幻想かもしれない何かを。 ブラウ氏の話はまだまだ続く。
 (2014 07/02)

英語話者にも秘密の言語を


昨日読んだところでは、英語話者にももう地球上で話者がいなくなった言語の使用許可を与えて、周りの人から何を話しているのかわからなくするようにしたらいい、ということが書いてありました。もちろん皮肉だけど、そいえば、英語話者はいわゆる洋楽を母国語で聴いているんだよね。なんだかわからない歌を聴く権利なんてのもあってもいい。
 (2014 07/07)

今読んでいるところは17世紀フランドルの2人の解剖学者の旅。師にあたる方の人が若い頃はスピノザのサークルに出入りしていた、という設定。まるで(自説のように)線分か矢印みたいだったという記述や、一回も帽子をとったことがなかったなど、スピノザがなんだか身近に(本当のスピノザがどうなのかは不明…)
 (2014 07/15)

切断し保存した足から何故か痛みを感じるという話。幻想肢か幻覚肢とか書いてあったけど、そういうのって実際に(現象は違うけど用語としては)あったはず。もちろんそれをふまえてのことだろうけど… 

 いかなる分断も細分も、見かけだけで、それは表面的に進行しているにすぎず、その下では、破損も変更もないまま、全体は保たれているのかもしれない。断片は、そのもっとも微細なものさえ、ひとつの全体とされるのではないか。 
(p211)


全体と部分の論考。 また次の小さな章で助産婦の話が出てきたら、次のメイン?の章でも助産婦の記述が繰り広げられるとか、そういうスライド的話のつながり方。
 (2014 07/16)

逃亡派とモスクワの珊瑚礁


いよいよ?標題の「逃亡派」。といっても、こんな思わせ振りなタイトルとはウラハラに、モスクワのとある一家の日常が妻の視点から淡々と描かれていく…今のところは? そんな中からの引用。この一家は(旧共産圏によくある?)大きな集合住宅に住んでいるのだが… 

 集合住宅は、灰色の大きなサンゴみたい。干上がった海に生えていて、活発な有機体が棲んでいる。 
(p231)


 こういう発想はなかったな。「逃亡派」は移動と旅の物語なのだけど、ここなどは前作の「昼の家、夜の家」の定住のテーマが出てきているのかもしれない。実は裏返しなのだけど。 

さて、しかし、こんな淡々とした日常の「逃亡派」も、やはりここまでにも逃亡のテーマも潜んでいる。訳ありな場所から帰ってきた夫と難病らしい息子を持つこの妻は、姑がくる日だけはモスクワの街に出かける。所用を済ませた後、「泣く場所を見つける」為に歩く。教会の隅が多いらしいのだが…ここから標題通り、またクロアチアの妻子やエリックみたいに、不意に消えてしまう…のだろうか?そういう孕みがあらゆるところに潜んでいる。前の章であったダークマターのような感じで…

ちなみに、今さっき読んだ4ページで彼女は家に帰らず別方向へ。彼女に何が起きたのかはまだよくわかっていないが、この作品の最初のクロアチアの妻子の話とは逆に、消える方からの描写になっているところがポイントかな。
 (2014 07/18)

逃亡派のルール


なんだかよくわからないままに「逃亡派」の章は終わってしまい、その後逃亡派の女は何をしゃべっていたのかという章が続き、その両章を、死体がホルマリン?漬けされて展示されているオーストリア皇帝臣下の黒人の娘が書いた嘆願書の章がサンドイッチしている、というそんな構造。

逃亡派の女が語っていたことというのは、逃げろ、動き続けろ、さもないと巨大な権力に支配されるぞ、とそういう内容。死体のホルマリン漬けと両極にある配置。 他の様々な人はこの中のどこかにプロットされるのだろうけど… 例えば、結局家に戻った「逃亡派」の妻はどこかな。一方、逃亡派の女はなんだか警察にも相手にされていないようなのだけど… 
 (2014 07/25)

今朝はは短めの章を少々。ジェームス・クックの航海ネタ。後にニュージーランドと名付けられる「未知」の陸地を、船員はそれぞれ自分の故郷のようなものでは?と思いつつ航海していた、人間が空想できた最後の土地それがニュージーランドだ、という話。
もう一人のクック、トーマス・クックについても少々。旅行社を思いついたきっかけが禁酒集会だったというのがなんだか皮肉。
(2014 07/28)

神の国と支流 


昨日は「神の国」を読んだ。安楽死を扱っているのだが、今回はこんな文章を。 

 どんなふうだったか、彼女はよく覚えている。瞬間的な、するどい痛み。その原因をもたらしているものが、いかにもやさしい、とがっていないものだけに、この痛みは彼女にはひどく奇妙に思われた。 (p282)


「やさしい」かどうかはともかく、これは何かというと主人公である彼女の処女喪失の回想。この相手が今、生死をさまよっていて、地球の反対側から彼女は会いに行く。という話。 で、今回はさっきの文の近くにある表現を挙げておく。

 そこにはちいさな茶色いバッグさえ保存されていた。戦前のもので、母から譲りうけたのだ…(中略)…バッグのなかはすべすべでつめたく、手を差し入れると、そこには、静かな時間の支流があるような気がした。 
(p282~283)


この作家のこういう感覚の文章が好き… 支流に入ってしまいたい、気持ち。 
(2014 07/29)

クニツキ地


「逃亡派」もやっと終わりが近づいてきた。ここで、最初の方に出てきたクロアチアで妻子が突然消えたクニツキの話が戻ってくる。それもいきなり妻子ともどもポーランドに戻っていて普段の生活が始まっている。 と、今度はクニツキ自身の様子がおかしい。

 朝はなんともなかった通勤路が帰りには… しるしがしるしの上を歩いている、しるしを横切っている。しるしはべつのしるしをさし示している…(中略)…しるしの陰謀、しるしの網、彼の背後で結ばれた、しるしの協定。 
(p342)


 (中略のところにも「しるし」の連鎖が続いている)
世の中は全て記号なのだが、その面が表に出てしまうとこうなってしまう。文章を読んでいて、「なんでこの「と」というのはこんな形をしているのだろう」って思い始めた瞬間、文章を構成している文字が蠢き始める。そんな体験。
(2014 08/04)

クニツキ、出る


 「逃亡派」のクニツキの話は、今度はクニツキが逃亡することに…この作品には「逃亡」することは結構出てくるけど、「逃亡」から戻ってきた時のことは出てこない、欠落しているように思える。クニツキの話しかり「逃亡派」の話しかり(復帰する直前て話が切られている)…ある意味逃亡より復帰の方が難しそうに思うのだが。 
あとに続く断章では、ポーランドとスカンジナビア(表記はとりあえずこれで)諸国の関係って実際どうなのかなあと思ったり。対岸なんだけど、いろいろ考え方違いそうなそうでもなさそうな… も少し、かな。 
(2014 08/05)

 連想は思いもよらない旅路をたどり、類似は、もっとも意外なバージョンのなかに発見される。まるでブラジルのテレビドラマみたいに、あらゆる登場人物が、たがいの子どもで、夫で、姉妹なのだ。踏み固められた小道には、なんの価値もないことがわかる。通信不能だった道こそが、歩くに適したルートに変わる。
 (p377)


脳内シナプスと知識の創造と道筋の対比のような文章が印象深い。「小道」の文章は前のページの文章に呼応している。「ブラジルのテレビドラマ」はどのようなものか知らないけれど、面白い表現だ。
 (2014 08/08)

逃亡派万華鏡?


ここで突然にクイズ。 以下に挙げる文章は何のことを言っているのか。

 あらゆる大陸に生息し 群れをなし、風力を利用する 中身は空っぽで、あらゆる内容に対する歴史的拒絶が、進化の過程でメリットに 携帯できて、軽く、持ちやすい耳を持っている 定着するのは一時的だが、かわりに、より遍在性を求める傾向にある。 
(p395~396を適宜修正)


答えはレジ袋。プラスティックバックと言えば、この作品のもう一つテーマである身体の保存につながる。というように、ある何かが、角度を変えて別のものに変わっていくのが、この作品を読む醍醐味。

 偶然こそが事件の推進力です。
 (p409)


作者インタビューから。中欧には連続性よりも断片性に傾く傾向があるという。カフカもクンデラもそうか。というわけで、時空を越えたレジ袋の物語もこれで終わり…終わり?
(2014 08/09)

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