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「砂漠の思想 リビアで考えたこと」 野田正彰

みすず書房

リビア行き


野田氏のリビア紀行の本を読み始め。この人は精神医でそういう著作も同じみすず書房で出ている。でもメラニー・クラインなどの精神分析理論や考え方をそのまま国際政治に持ってくるのはどうかなあ、とちょっと思う。一方、アメリカメディアが時折流すアメリカ側の陰謀の露見は、それ自体が相手国への心理戦の一つになっているという視点は今まで自分になかったなあ。
とりあえず昨日は日本出発まで。中心となる旅程は1989年6月のもので冷戦末期時。
(2016 10/05)

カダフィ大佐と働かないリビア人


リビア紀行…もともとカダフィ人権賞なるものの招致で行ったこの旅行。その中でついにカダフィ大佐本人が現れた。ベルベル人家庭出身だったという。野田氏が言うには権威主義的なところはなく「気さくさ」を感じたらしい。一応アジテーションを繰り返すのだが、リビア人観客はあんまりしっかり聞いていない。でも後にテレビで様子が放映されると、聞き入っているように編集されていたという。

で、賞の祭典終わってから航空券を延期してもらって、リビア各地を見て回る。トリポリ近郊のローマ遺跡(イタリア植民地時代にイタリア人により発掘…ファシズム時代だから)と日本も関わる製鉄所。そこで言われたのはリビア人は働かないということ。もともと石油収入があるうえに臨時?も含め公務員がやたらに多い。実際働いているのは技術者はヨーロッパや日本など、労働者はフィリピンや南アジアなど…ここの製鉄所の場合は中国人。

砂の海、雲の海


「砂漠の思想」から。まず、サハラ砂漠のオアシス都市を訪れて帰ってくるところから。

 砂漠は熱暑とギブリの荒れるところであると共に、交通の海であることが実感される。人間集団が遮らない広い空間は、むしろ交流しやすいともいえる。
(p129)


ギブリとは砂嵐みたいなもの。砂漠の移動に関しては、砂漠の移動はある程度くらいはあるだろうというように消極的には考えていたが、ここにあるようにそれを積極的に考え直したことはなかったなあ…

続いてはトリポリからベンガジへの飛行機から。

 地上の砂漠と、雲の空。人は限りない平面に投げだされると不安になり、自己と世界との関係を解釈し始める。
(p133)


現地在住日本人曰く、この非公開に乗らないとリビアに来た意味かない…ということらしい。何回もの混雑をくぐりぬけて飛行機に乗ったところでみえたのは雲の海。
(2016 10/06)

リビアのアメリカ人


昨夜で「砂漠の思想」読み終え。最後の年表は眺めただけだけど…
リビアが一時オスマン朝から独立した時に、実はアメリカと戦争している。18世紀、アメリカは独立したばかりの頃。結果はというと、リビアはアメリカ戦艦を拿捕したが、敵の戦力として使われるのを恐れたアメリカ側は、決死隊を送り込みその戦艦を爆破した…という。
そして現代(といっても1989年)、リビアからフランクフルトへ向かう飛行機で、著者は(当時は入国が禁止されていた)アメリカ人技師に会う。パスポートではなく別紙にハンコを押していた。政治と実情との違いがここにも。
(2016 10/08)

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