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ブランクーシ 本質を語る

アーティゾン美術館

ブランクーシ 本質を語る

東京駅近くアーティゾン美術館(元ブリヂストン美術館)。
前にデ・クーニング展見たブリヂストン美術館が新規改装したアーティゾン美術館。事前時間予約ネット割で1800円。

まずは6Fブランクーシ展。コンスタンティン・ブランクーシ(1876-1957)。ルーマニア南西部の出身。
よく出てくるモティーフは、顔の形だけが直に横になっているものと、垂直に上に向かっていくもの。前者は睡眠の、後者は飛翔のイメージ。特に前者は何故横に直置きなのか疑問だったけれど、睡眠と聞いて納得。後者はブランクーシが自分自身に重ねた雄鶏(ルーマニアの民話マイアストラに起源)とつながる。この系統に「無限柱」の作品群も連なる(さすがにここにはなかったけれど)。
ブランクーシといえば彫刻、なのだけど、絵画も写真も取り組んでいる。特に写真は、ニューヨークで撮影された自作の写真に不満を持ち、友人でもあったマン・レイに教わりながら自分で自作を撮り始めた。マン・レイ曰く「そこには爆発があった」。ブランクーシにとっては写真も(作品の紹介ではなく)それ自身で表現媒体だったのだろう。

ブランクーシはなんと正規の美術教育はおろか(後で学んではいるが)普通の学校にすら行かなかったそうな。そんな彼が働きながら美術をブカレストなどで学び、パリに向かう。それもなんと徒歩で(フランス北東部の町からは列車だったらしいが)。たどり着いたパリで、まずロダンにつくが、分業制となっている制作現場などに反発してすぐやめる。当時外国からの芸術家が多く住んでいたモンパルナスで作業場を持つ。どの流派にも属さない立場とされる(モディリアーニが唯一近いとされる)ので、一人淡々と創作していたのか、と勝手に想像していたけれど、意外に他の芸術家とも交流している。特に(これもかなり意外だが)マルセル・デュシャンは、ブランクーシの作品を主にアメリカで紹介し、デュシャンのトランクケースにいろいろなオブジェを挟み込む作品には、ブランクーシ作品が映り込んだりしている(そこまでわからなかったが…購入したカタログのp128に拡大写真あり)という。ブランクーシとデュシャン、それにフェルナン・レジェの3人でパリ航空博覧会見に行ったこともあるという(しかし作風違う3人だなあ)。あと、ブランクーシに師事したイサム・ノグチの作品もあった。ブランクーシ作品だけでなく、他の人の作品も適度に混じっているのがこの展覧会の特徴で自分的にはよかった。

5・4Fと「石橋財団コレクション選」。こちらでは、ボッチョーニの彫刻、毛利眞美(なんと毛利元就の七男の直系子孫だそうな)と隣の堂本尚郎の共同生活?の作品、4F特集の清水多嘉示…この人もパリ・モンパルナスへ行き、ブールデルの彫刻に感銘を受け、このアーティゾン美術館の全身ブリヂストン美術館や久留米の石橋美術館開館にも協力。創設者石橋正二郎の像もあった。

パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」


さて、ブランクーシ展見ながら、一つ気がかりがあった。確か「ブランクーシの庭で」とかなんとかいう詩を誰か書いてたなあ、誰だっけ?というもの。家帰って「集英社版世界の文学37 現代詩集」見たら、パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」だった…ということで。

ブランクーシ宅で、ふたりで

 ここの すぐかたわらの
 この老人の松葉杖のそばの
 この石たちのひとつに
 その石をおしだまらせているものを
 語らせたら-
 その沈黙は 傷口となって ひらくだろう
 そのなかへあなたは
 ひとりさびしく
 わたしの すでにともに
 切りとられた白い叫びからも遠く
 沈みこんでいくことだろう

(飯吉光夫 訳 p348-349 集英社版世界の文学37 現代詩集)

さて…困った…今日見てきたブランクーシ作品の印象と全く異なったツェランの詩…傷口というテーマはツェランが生涯かけて追ってきたと思う。ブランクーシのフォルムを貫き通した完成したように見える石を、開いて語らせようとする。「ふたりで」は誰と誰だろう。ブランクーシとツェランだとしたら。「ひとりさびしく」「沈みこんでいく」のはブランクーシ? それとも、ツェランの中にいつもいる誰か?
たぶん自分の中でも定まることはないだろう。
(2024 05/30)

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