片付けることは、自分の人生を見つめ直すこと。

最近は片付けにハマっている。きっかけは、仕事で書類を山積みにして作業を行なった結果手が回らなくなり、後回しにしていたやや面倒な市民対応の案件で市民から叱られ、大事には至らなかったものの反省した件がひとつ。また、知人宅に駐車し考え事をしながらバックしたところ車を電柱にぶつけて修理代が高くついた件がひとつ。最後に、マッチングアプリを続けていたもののなかなかうまくいかなかった件がひとつ。なんとなく、これらは全てつながっている気がして、まずは片付けと仕事についての本を読み始めた。その本にしたがって、職場のデスクの上にはパソコンと電話があるだけの状態を目指し、整理整頓し始めた。すると、職場の袖机を整理したくなり、続けて自宅の自分の持ち物についても整理したくなり、さらには人間関係も整理したくなって先日の記事にも至ったのであった。

今になって気付くのは、僕の修論は前の妻がいなければ絶対にまとまらなかったということ。書類整理の仕方、煮詰まった時の頭の整理の仕方、自尊心と劣等感への向き合い方など、前の妻はかなりうまくやれていた部分があった。今僕が学んでいるノウハウを自然とやってくれていたのだ。そして、僕はその必要性に今やっと気付き、行動を改善する気が起きてきた。普通の人なら20代前半に一人暮らしする時に身に付けるようなことを。でもそれについて自己卑下しているわけではなく、ただ自分にとって学ぶタイミングではなかったから身に付かなかっただけだと思っている。

僕は離職して離婚して何もかも失ったと思い込んでいたが、実際には長いこと溜め込んだ心の習慣をなにひとつ捨ててはいなくて、むしろ本当に捨てるべきはこちらだったのだと気付いた。そして物を片付け、整理するための小物を買い揃えるたびに、片付ける心の姿勢ともいうべきものを感じている。なにかが軽くなった、というよりも、前よりも集中力が増して、頭がクリアで、心が安定して強くなり、迷わなくなったという感覚だ。これらを総じて、軽くなったというのだろう。

職場の片付けのノウハウやフレームワークはいくらでも溢れているのでここでは詳細は書かない。僕は大学院での学びとして、新しいテーマを学ぶ時は最低5〜10冊同じテーマの本を集中的に読んで、8割方の知識を得るというノウハウを得た。あとはそれを分類選択統合して即座に行動に(正確には、行動する際の環境やツールやフローに)落とし込めばいいだけだ。実際に、僕の振る舞い方は1ヶ月前の自分とは別人のようになっている。

僕の最大の長所のひとつは、アドバイスを得た時に多くの人が「とはいえ現実には不可能だ」と諦めるようなことを明日には環境レベル制度レベルに落とし込み実行することができるということであり、ディープラーニングのやり方に近い。さらに、誰かにデータセットを与えられるだけでなく自ら外界の事象を分別し捉えデータセット化し、加えて過去の事象を想起しそれすらデータセット化できる。これこそが人間のもつ優れた機能のひとつなのだが。

これはあまり知られていない真理だが、やや極端に言えば、心とは物の射影にすぎない。物というマウスやキーボード的なものを動かせば、心というソフトウェアが動く、と例えられよう。現実世界のモノの取捨選択と整理整頓は、すなわちこの操作は、そのまま心象世界の自己や過去の編纂作業を行うという命令に等しい。だからまずは僕はできるところから、新たな自己を見出そうとしている。よってこれは前回記事を受けての最短距離の行為といえよう。

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