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尽くしすぎて不機嫌になってしまう妻たちへ

私は、サービス精神旺盛な性格である。

仕事でも友人関係でも、あれこれ気を回して、お節介を焼いて、頼まれてないことまで取り組むものの、
相手から見返りがなかったり無下にされたりすると、密かに恨み続けるという、サービス精神旺盛界隈では相当悪質なタイプだ。



この性格をベースとして、私は夫に対しても(歴代恋人全員に対しても)尽くしてしまいがちだった。

例えば、なんでもない日でも相手を喜ばせようと贈り物やお土産を用意したり、頼まれてもいないのに駅まで傘を持って迎えに行ったり、勝手に相手のスーツをクリーニングに出して次回商談までに回収しておいたり、お互い別の部屋にいても相手が空のグラスを机に置く音が聞こえたら、お茶をつぎにいったりするといったことだ。たまのプレゼントくらいなら普通だとは思うが、いくつかの行動は、共働きの対等な立場の大人が享受する無償サービスとしては少しやりすぎだと思う。

当然、自分が尽くしたことに対して同じ量と質では尽くしてもらえないので、その度に私は相手を憎み、自分は尽くしてもらう価値もないのだと卑下したりしていた。不満は胸の内では収まらず、ことあるごとに相手に吐き出され、「尽くされ損」な夫はよくまあ結婚してくれたものだと思う。



本来あるべき、相手にただ喜んでもらいたいという純粋な動機では起こり得ないこの悲惨なプロセスは、結局のところ私が以下のような動機で行動していたために発生してしまっていた。

  • 不純な動機①

    • シンプルに自分が尽くしたような形で相手にも尽くしてもらうことを求めている。私だって急なプレゼントを贈られたい。

  • 不純な動機②

    • 私はこんなに気が利くんだということを見せつけたい。(気が利くということだけでは仕事の成果には直結しにくいため、家庭内でより発揮されがち)

  • 不純な動機③

    • そもそも自己肯定感が低く、なにか相手にプラスになりそうなことをし続けていないと自身の存在価値を見失ってしまうため、マグロが泳ぎ続けるごとく尽くし続けてしまう。

ついパートナーに尽くしすぎてしまい、何らかネガティブな感情に苛まれる世の中の(主に)妻たちは、たいがい上記のいずれかを背景として、尽くしムーブを取ってしまっているのではないだろうか。


ともかく私の場合、頭ではわかっているが、なかなか尽くすことがやめられない状態だった。やめられない理由には、夫のリアクションに拠るところもあることを付け加えたい。

夫は、私の尽くし芸の数々に対して、必ず感謝してくれる。また、3回に1回は本気で驚いている。

例えば、まだ寝室で眠る朝、私は夫が冷蔵庫を閉める音で目が覚めたのだが、そのタイミングから10秒以内に「お茶が飲みたいんでしょう?でもあなたはパッと見で見つけられずに扉を閉じたね。ほら、お茶は野菜室に入っているよ。」と淀みなく唱えながら私がリビングに現れた時なんかは腰を抜かしていた。

一方、夫は感謝と驚愕こそすれど、私の行動に常に心底喜んでいるわけではないことはわかっていた。まったくもって、夫はそこまでの無償サービスを受けることをそもそも求めてはいないのである。

私が傘を持っていかなければ、雨に濡れながら普通の顔をして帰って来るし、スーツから変な匂いがしてくるようになったら自分でちゃんとクリーニングに出すし、喉が乾けば水道水でも何でも飲むのである。

ただ、私の行動の結果、夫は自身に利があった事自体への心からの感謝の気持ちと、自分と異なる未知の生物が繰り出す奇行に好奇心を抱いているだけだった。夫のほうがよっぽど純粋である。


夫が私の尽くしを真に求めているわけではないことはわかっていつつ、夫がいつも感謝したり面白いほどびっくりしていることも、尽くしライフを継続してしまっていた理由の1つだった。

ところが先週、あることに気づいたことで私は急に「尽くす」ことから解放された。いや、気づいてからまだ日が浅いので解放され始めた、というのが正しいかもしれないが、全国の(範囲広っ)悩める妻たちに、尽くし沼から抜け出す方法を一刻も早く伝えたいので、第一報として書き残してみる。



週末の夕方、一人でKALDIに行った時のことである。

KALDIに行ったのは、11月も下旬になったのでアドベントカレンダーを買うためだった。10年以上買っていなかったが、急に欲しくなったのである。

お目当てのアドベントカレンダーを手に、店内を一周する。その日は夫が会社の研修旅行に行っており、翌日に帰宅する予定だった。疲れて帰宅するだろうと思い夜二人で飲むためのちょっといいビールを2缶カゴに入れる。

そのあと、いつものように夫になにか喜んでもらえるようなおつまみを物色し始めた。習慣である。夫の好物である1パック1000円の高級生ハムを手に取り、カゴに入れようとしたときに、ふと思った。

「この生ハム買って、夫って嬉しいんだっけ?」

これまでの100案件を超える弊社の尽くし実績から、生ハムを夫に与えたとしても、1000円の価値ほど喜んでくれない可能性はぜんぜんあるな、となぜかこの瞬間は冷静に考えた。

私がこの高級な生ハムを買った場合、高級な生ハムは夫を待ち構えるようにして、夕食ができるまでの間の晩酌のお供としてテーブルに載ることになるが、その時もしかしたら夫は生ハムなんかじゃなく、まずは醤油系の味の濃い炒め物と白飯にがっつきたい口なのかもしれない。
冷蔵庫で干からびそうになっているキムチで全然構わないかもしれない。(大半はそれでいいような気がする。)

どうなるかはその時が来てみないとわからないが、夫は喜ばない可能性があるということ自体は確実で、さらに実績を振り返ってみると夫は「ごめん今生ハムの気分じゃないんだ」なんて断ることはまずないので、逆に気を遣わせてしまっていた可能性すらある。仕事で取引する顧客であればサイレントカスタマー状態のままリピなし失注、となってしまうところ、家族なので致し方なくリピート受注していただけかもしれない。


KALDI店内で高級生ハムに向かい合いながら、私は今までの行いを反省し、そして気づいたのだ。

「夫が1000円で喜ぶかはわからないけど、私のことを1000円で喜ばせて私自身がご機嫌でいたら、夫も幸せじゃない?」

私は当然私なので、どうしたら自分が嬉しいかを知っているし、1000円で1000円分の喜びをもたらすことは大抵の場合可能だろうなという感覚もある。

また夫は、私が幸せだったりご機嫌なことに喜びを感じる人間である。
これらをまとめると、以下のような状態になる。

KALDIの生ハムが並ぶショーケースの前で考えた図


いくつかの不確実な要素がある中で、私が自分自身にお金や手間をかけてご機嫌になることは、かなり高い確率で夫婦とも幸せになれるのだ。

自分で自分の機嫌を取れる女はいい女、なんてことはよく言われるが、私だって自分の機嫌取る方法くらいわかってるし、と男性視点的な(偏見)その説を鬱陶しくも感じていた。
ただ、私にとって自分で自分の機嫌を取るというのは、最もコスパよく、私の精神衛生を損なうこともなく、夫もサイレントカスタマーを装うことなく、不確実性をできる限り排除した状態で夫婦円満になれる方法の一つなのだ。
いい女になる必要があるとは思わないが、結婚した以上夫婦平穏は必要だ。

そんなことに気づいた私は、その日お気に入りのカフェに行って、大好きな牡蠣とデキャンタの白ワインを堪能した。ほろ酔いでカフェをはしごして、本屋に寄って立ち読みして帰ってみたら、結局8000円近く使ってしまったのだけれど、とっても満たされた。

1000円で喜ばれるかどうかわからない高級生ハムを買わなくて良かった、と心から思ったし、今後、尽くして不幸になる人生を歩まなくてよくなりそうだということはこの上ない希望なのである。



ただ、往生際が悪いが、尽くしの人生を終える前に、1つだけやっておきたいことがある。

夫は付き合った頃から、なぜか「帰り道に他の家から漂ってくる夕飯の香り」に憧れを持っていると度々口にしていた。

当初私は共感できず、なんなら若干亭主関白予備軍的な願望だな(酷い)と感じたこともあるが、もしかしたら夫は鼻が良いからなんか色々感じるのかな…と結論づけたりしていて、意識して夫をあの住宅街でしか漂わない夕飯の香りで迎えることはなかった。

ただ、最近私も住宅街から香る和食っぽいだしの香りに、ほっとするというか、日常ってええな的な気持ちを抱くようになったので、いつか実現して感動させたいと思うようになった。

ただ、基本的に平日は職場の近い夫が定時退社のため、意外と夫の帰宅タイミングでだしの香りを漂わすのは難しい。私は和食のレパートリーが少ないのでそもそも料理自体に気合いも必要だ。

いかにコスパよく実現するかという観点では、だしの香りのアロマでも玄関で炊いておければいいんだけれどもね、と風情もくそもないことを考えてはみるものの、実現できればいいなと考えている最後の尽くしイベントであることは事実である。


そういえば、私は冒頭で多方面にサービス精神旺盛、と書いたが、両親に対しては昔からまったく尽くすなんてことはしたことがないなということに気がついた。
ただ、子どもが幸せであれば親も幸せなんだろう、と雑に考えて生きてきた。

そういう意味で、きっかけは他人特有のものであったとしても、夫も私にとっての家族の仲間入りをしたといえるのかもしれない。

ようこそ、私の家族へ。

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