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東京から砂の街へ

2018年6月、
日本を経ちベルリンへ向かう航路の覚え書き

東京を出発し、日本の海域を超え中国大陸の上空に着いた頃くらいまでは、座席のモニターを表示しては、『すごい!今私中国の上にいる!!!!!』などと心を踊らせていた。しかし真夜中のフライトで、待てど暮らせど外は真っ暗だった。私は途中からいまいち現実味を感じられなくなったのか、無事に飛行機に乗れた安心感からか、眠気に襲われ、いつの間にか私は気を失っていた。次にハッと目が覚めて窓に目をやった時には、見慣れない形をした夜景がもう近くに見えていた。
私は自分が思っていた以上に、いとも簡単にアラビア半島に到着した。

私は半ば寝ぼけたまま飛行機を降り、カタール・ドーハ空港のターミナルに降り立った。
一緒に同じ飛行機から降りてきたはずの日本人たちは、ターミナルに出た途端に足早にそれぞれどこかへ散っていき、気がつくと一人も見当たらなくなっていた。私は突然、「RPGゲームのストーリー部分の後、ダンジョンに入って今から自分でキャラクターを操作する段階に入った時」の気持ちになった。

どうしよう、もう飛行機から降りてしまった。
次の乗り場を探さなければならないらしい。

早朝に到着したからか、空港はやけに静かで、人はそんなにいなかった。タイルを弾くコツコツという誰かの足音と、外国語のアナウンスが、駄々広い空間に反響している。
つるつると光る黒い床には、ドアが縦に開くタイプのスーパーカーが、突然ぽんと停めてあったり、全長4mぐらいはあるだろうか、死ぬほどでかいクマの縫いぐるみが中央にどかん!と置いてあったりした。
あたりをキョロキョロと見回していると、今度は視界上方に透明のモノレールが横切った。
五感に入って来る全ての情報に身に覚えが無かった。ここはほぼ未来かよ。

それにしてもカタールって、自分にとってはあまりにもゆかりが無さすぎる土地であり、そしてそもそも空港の中から街が殆ど見えないもんだから、今自分が違う大陸にいる実感もあやふやで、
私はいまいち自分が今一体どこに居るのかもわからないまま、時差で時間の感覚も掴めないので、もはや過去か未来か現在かも曖昧なレベルだが、トランジットの時間を潰すべく、空港の中を当てもなく彷徨っていた。


慌ただしくどこかの国の人達がどこかに向かって行き交う中、背の高いアフリカ系の女の人が大きな荷物を頭に乗せてスーッと歩いていく姿(テレビで見たことがあるアレ)が目の前を横切った。そのすぐ横では白いターバンのおじさんが携帯で誰かをまくし立てていた。きっと彼は油田の話をしていたんだろう。していて欲しかった。

私もすっかり旅慣れしてる人みたいにしゃきしゃきとスマートに移動し、特に目的もないのにラップトップを開いたりして、トランジットの時間を有意義に過ごす人のフリをしたかったが、そんな余裕はある訳も無く、初めて文明を見つけた人みたいにあたりをずっとキョロキョロしていた。

ああ、どうやら私は既に日本を出ていて、とにかくよく分からないけどもう今は国の外にいるらしい。

ふと気がつくと、緊張感と高揚感で私の喉はカラッカラになっていた。

私は日本円を握りしめて換金所と思しき場所へ一直線に向かった。換金所のお兄さんは終始何を言っているか理解できなかったので、相手も困っていたが、小さくため息を着かれたのちトレイを渡されたので、私はそっと5000円を置いた。お兄さんにありがとうとだけ伝え、おそらく金輪際使わないであろうカタールドルをゲ手に入れた。初めて触った外貨、それだけで嬉しい気持ちになった。今思えばクレジットカードを使えよという話だが、新しすぎる状況で私のIQは2ぐらいしか無かったので、こうする以外の選択の余地はなかった。

そして私は売店で何カタールドルを払ったのかも分からないまま、ようやく水を手に入れた。
私はカタールの水を一気に飲み干した。それはそれはごく普通の水だった。キンキンに冷えた水が気管をを通って体に染み込んでいく。ここは砂漠の国、その瞬間、私は汗だくで砂漠のオアシスにいた。気がした。

お金と未来の匂いがする未来の空港を徘徊する事にも飽きて来た頃、時刻は搭乗時間を迎えた。

私は窓側の席を予約していて、真ん中一つ席を開けて、後から通路側には西洋人のふくよかなおばさんが座った。おばさんはニコッとして、ハーイとだけ言葉を交わした。離陸直前インターネットを切る前にGoogle翻訳で、『トイレに行きたいので通りますね』を英語に変換してスクリーンショットを撮ったが、幸いふくよかおばさんは慣れた様子で、ほとんどの時間私がまたいでも気がつかないくらいには爆睡していたので、再びこの画面を使う機会は訪れなかった。

時刻は午前8時前、私はポケットに、結局水と変な味の小さいお菓子にしか使わなかったカタールドルをたんまりと残して、飛行機は無事に離陸した。

地上から遠ざかっていく機体の窓を覗くと、ターコイズ色のペルシャ湾に浮かぶ、人口埋立地らしき砂地の浜の上に超高層ビルが所狭しと並んでいる景色があった。きっとすごく都会なんだろうけど、虎と、その虎を飼っている石油王が最上階にいるんだろうけど、遠くから見るその巨大なビル郡達は、どうしてか、全く人気を感じない無機質さを感じた。

飛行機はアラビア砂漠を通り抜け、トルコに向けて北上するらしい。目の前のモニターの地図上には、カタールからベルリンに向かって航路を示す矢印が伸びていた。
目下には砂の街が彼方まで永遠と広がっている。遠くの方は砂が舞っているのか白く霞んでいて、地平線は空の水色と混ざり、天と地の境目は見当たらなかった。
朝の光が少し黄味がかった白い砂の街に反射して眩しく、そして凄く美しかった。本当に見惚れる景色だった。
私は目下に広がるミニチュア模型の様な砂の街と、その上に建っている家や、街の区画をまじまじと眺めながら、そこにいる人たちの生活を想像していた。

そして私はこの時になってようやく、今まさに自分は違う国に向かっていて、そこで暮らそうとしているという事実に少しだけ現実味を感じた。私はもちろん中東にも国があり人が住んでいることも、そこに長い歴史があった事も知っている。そりゃ知ってるよ。広大なアラビア砂漠だってNHKの特番とか、ディスカバリーチャンネルとかで見た事ありますもの。

しかしどうだ、実際に初めて自分の肉眼でそれらを見たとき思い浮かんだ言葉といえば、「ほ、本当に存在してたんだ〜」とか「これは地球!」とか「へえ〜これがアフリカ大陸か!」とか「砂漠はめちゃくちゃ広いな〜」とか、そういうのしか出てこなかった。童心とはまさにこの事で、きっとあの時の私は本当に6歳くらいの少年と化していて、「すごい、すごい」と小さな声で呟かずにはいられなかった。もう勢いで白亜紀くらいまで行けそうだったし、とにかく長い時間窓に張り付いたまま、
私は自分が知っていた情報と想像と現実が溶け合っていく様な感覚にただただ感動していた。

私は今までカタールで喉がカラカラになった事もなければ、そこで水を一気飲みしたことも無かった。窓から見た景色は全てが新しいものだった。2回目にはもう存在しない、この"初めて"の感覚はすごく特別な時間で、私はいま好きなだけそれを噛み締めて良いし、なんて贅沢な瞬間だろうと思った。

砂の街はやがて岩の地形と混じり始め、次第にゴツゴツとした黒い岩の山脈に変化して行った。見たことのない山肌に再び釘付けになっていた。時折、筋斗雲の様なぷくっとした雲がぽつんと浮かんでいて、なんかかわいいなあなんて思いながら、私はそれを長い時間ぼうっと眺めたまま、いつの間にか眠りについていた。

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