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手記 2

11月20日。
成類とのお別れの日まであと一日となってしまいました。
次の日には、火葬しなければなりません。
子供達を預けて病院へと向かいました。
離れたくない。お別れしたくない。戻ってきてほしい。そんな言葉が何度も出てしまいます。
今しか出来ないことをしようと、成類を何度も抱っこしてみたり、ベッドに寝かせて添い寝してみたり、僕と妻と成類の3人でチェキで撮影をしたり、折り紙を追って棺に入れたり、限りある時間の中で出来る限りのことをして過ごしました。
いつまでも一緒にいたい。いつまでも抱っこしていたい。離れたくないけど、帰らなければなりません。
「また明日ね」
成類にそう声をかけて帰路につきました。

成類が産まれてきた11月18日は、ミッキーマウスとミニーマウスの誕生日だそうです。
「ママとパパ、いつまでも仲良くしないとダメだよ」
そう成類に言われたような気持ちになりました。

11月21日。
妻と成類が退院してくる日。そして、火葬の日。
11月の第3日曜日は「家族の日」でもあるそうです。
病院から一度家へと連れて帰る途中で花屋さんに寄ってみんなで成類の事を想って、それぞれ想い思いの花を買いました。
家では、家族みんなで抱っこをしたり、添い寝をしたり、暮らすはずだった家の中を抱っこして「ここが成類ちゃんのお部屋だよ」とか言いながら歩いて回りました。
みんなそれぞれ書いた成類への手紙を読みました。
庭から柚子と金柑とユーカリ、アカシア、かすみ草を採ってきて、棺に入れました。

もう斎場へと向かわなければいけない。そんな時間に差し掛かっても、やはりそう簡単に離れられませんでした。
長男が「なるちゃん、大好きだよ。ありがとう。じゃあね。バイバイ」と大粒の涙を流しながら言うと、みんな涙を堪えることが出来なくて、大声で号泣しました。
おもちゃや手紙、一緒に撮った写真、折り紙、お花や植物、成類が寂しくないように棺に沢山想いを込めて飾りました。
棺の蓋を閉めて、まだチャイルドシートが付いたままの車に乗り、斎場へと向かいました。

到着する頃には、子供達は疲れ果ててすっかり眠っていました。
「成類ちゃんとお別れの時間だよ」そう言って起こすと、いつもはなかなか起きない子供達も飛び起きてくれました。
斎場でも最後まで顔を触ったり、頭を撫でたり、離れるのが辛くて、斎場のスタッフさんをかなり待たせてしまいましたが、もうこれで本当に最後のお別れになってしまうので心ゆく迄、成類に触って感謝とお別れの言葉をかけました。

成類の身体が旅立っていきました。
扉が閉まる時、心が引き裂かれる思いで、何度も何度も成類の名前を呼びました。
行かないで。そう何度も思いました。
長男も泣き崩れていましたが、今まで泣かなかった長女や次女も大きな声をあげて泣いていました。
泣き方がわからなかったんだろうなと思いました。

一時間後には、成類は、骨となって帰ってきました。
収骨しながら、「おかえり。ありがとう、成類ちゃん」と声をかけました。
赤ちゃんはあまり骨が残らないかもしれないと聞いていましたが、成類は、大腿骨や骨盤、腕の骨も綺麗に残っていました。それだけしっかり育ってくれてたんですね。

とうとう成類の面影はどこにもなくなってしまいました。
今はただ空っぽで、悲しくて、時々思い出したように涙が流れて、でも、時々笑って。
元気になんて、とてもじゃないけど、まだなれません。
しょうがないよな、そう言い聞かせつつもまた悲しみに暮れて、目の前の一瞬一瞬をやり過ごすのが精一杯という感じです。

成類は、もうどこにもいないけど、戸籍にも名前を残せなかったけど、確かにこの世にいました。
僕と妻の可愛い可愛い娘です。

だから、やっぱりこの悲しみは乗り越えずに、共に生きようと思います。
この悲しみさえも、成類が遺していったプレゼントだと思って、しっかりゆっくり味わって、夫婦でまた前を向けるようになったら、その時はゆっくりと前に進んでいこうと思います。

「さよなら」とは言いたくないな。
魂がどうとか、輪廻転生とか、そういうのはよくわからないけど、もし願いが叶うのなら、もう一度成類をお迎えしたい。
きっと家族で仲良く、楽しく暮らすから、成類がお空から見て、また戻って来たいと思えたなら、いつでも戻ってきて欲しい。
ここは、いつまでも成類のおうちだからね。
またね、成類ちゃん。お父さんの娘になってくれてありがとう。
いつまでも愛しています。

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