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仲さんに文章を読んでもらった話

先日のこと、あきらとさんの記事を読んだ。

今、自分はライティングの講座に通っているのだが、
ライティングゼミの講師以外の方にフィードバックをしてもらうことで、
自分の文章が本当にレベルアップしているのかを確認したかった。

実のところ、年末年始から「苦しみの沼」という状態に陥っていた。
(簡単にいうと全く言葉が出てこない状態のこと)

ライティングゼミの一つ上のクラスで、
毎週課題を投稿しているのだけれど、掲載されず見送りになる状態が、
ずっと続いていた。そういった状態になると、自信がなくなってきて迷いを生じた文章になることがわかった。

読んでもらった記事はこちら、


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そして、めちゃくちゃ丁寧にフィードバックをしてくださいました。

ふみーさんへ
ライティングゼミに通われてらっしゃることもあり、読みやすさから、テーマの回収までうまく書けてらっしゃると思います。

おそらく直近半年ぐらいでかなり努力されたものだと思います。
さて、ご依頼にありました客観性のある文章について、私が思うことを今回はお話ししたいと思います。
実はどんな客観性のある文章も起点は主観的な仮定です。

そこから事実の羅列と、目の前に起こった現象と、観測を続ける上でたどり着く事象を追いかける中で客観性が生まれます。

書き続けてゆく過程で、ふみーさんが初めに抱いた仮定を捨てなければならない場面がかならずやってきます。

その時に仮定を捨てられずに事実を改ざんすると全ての客観性が失われます。ちなみに目の前の現象しか見ずに書いた文章はただの主観的な文章です。悪いことではありません。少なくとも妄想ではないからです。

ここからこじ開けて進んでください。

頂いたリンク先の文章は、ご自身の体験から今のふみーさんを形作った経緯を描いたものでありますから、
間違いなくスタート地点には立っています。大丈夫です。

書き続けてゆくとそのテーマが自分のことに向いたものなのか、
誰かのことに向いたものなのか、ふと分からなくなる瞬間がやってきます。文章が自分を離れ、自分が消えるんです。そこまでゆくと誰かが必ず読んでくれる世界がやってきます。

そして、最後に仲さんからアドバイスをいただきました。


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一緒に仕事をする仲間

自分には何もないと思い、ひとりの時間を増やしてライティングを武器にしたくてやっていた。多分だけど、そこに居るだけの存在になりたくないと思ったからだ。

無能力の人が上に立ってはいけないこともオンラインサロンで知ったから、

どうも、一緒に何かをすると、
「迷惑をかけてしまうのではないか……」
「個人で強くならないといけない……」

そういった感情が出てしまうのかな。

まずは、誰かの企画に乗る、もしくは自分が企画を立てるようなことをしないといけないのかなあ、具体的に何をしたいのかというのが、今のところ思いつかない。

だけど、記事を読んでもらい、自分では気がつかなかったことを知れたのはよかったな…

そういえば、自分を仕事にする生き方というのに憧れがあったけど、
仲間と一緒に仕事をすれば、その生き方に近づけるのではないかと思った。

今の自分の現状を考えて、仲間づくりの意識をしてこうと思います。

仲さん、記事を読んでくださりありがとうございました。



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