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書く目的をもう1度振り返ってみた話

憧れたクリエイターがいた。そのnoteを読むたびに、「うん、タメになった、最後まで読みました!」という意思表示をしていた。

期間は約1年半。正確には覚えていない。

いつの間に「この人のように書きたい!」という憧れがあった。去年だったら、「憧れ」の力で乗り切れただろうけど、外から受けた熱量の影響も最近になって薄くなったように思える。

その動機は言語化してみると、キレイで前向きなようにみえるのだけど、内から出てくるものではなかった。

そういえば、どうして書いてるんだろうと振り返ってみると、良いものではない。

SNSをはじめたきっかけも、目の前の現実に目を逸らしたくてはじめた。高校のときの友人がマルチ商法をはじめて、そこから逃げるように新しいコミュニティを探して、オフ会を見つけた。「知り合いが欲しかった」という理由でもあり、逃げたから生まれた「つながり」だった。

当時、毎週末は梅田の東通商店街に行き、イベントに参加していた。実家ぐらしだったため、金銭感覚がマヒしていたと思う。今では考えられない。当時20歳だった。(高卒で働いていたため)

参加し続けているといつの間に当日にスタッフをさせてもらったり、今でもたまに連絡をくれる政治家の秘書の友達との出会いから、サンタさんの格好をしたボランティアに参加をしたり、人とのつながりが自分の人生を変える出来事ではないかというのも、その時から感じていた。

全てが上手くいったわけではなかった。

2012年1月末、見ず知らずの人からmixiのメッセがきた。思い当たる節があった。当時行きつけだったカフェで撮った子どもの写真をアップしたのだった。その母親から罵倒した言葉が並べられていた。

はじめてSNSで失敗した経験だった。幸いにも政治家の秘書の友達が、元々弁護士を目指していたため、ついていってもらいコトなきを得たのであったが、それもつながりがあったから救われたのだ。

この経験もバッググランドにあったのかもしれないが、知的財産、コンテンツに関することに興味を持ち、大学に行くことを決意する。

かなり遠回りをしているが、今ようやくコンテンツを生み出す側になっている。

ただどうしても、まだ自分がどちらかわからないことがある。

「ライターになりたいのか?」
「作家になりたいのか?」

こういった記事をTwitterを眺めていると、たびたび目にする。この一年書いてきたのだけれど、いまだにこの質問に答えることが出来ていない。

第二回note酒場の雑記レポにも書いたのだけど、

『書くことなどのスキルや関わりで好きな人と働きたい』

ということもあり、どちらかというと手段に近い。自分の書いたnoteは好きなことばかりしか書いてない。また専門的なことは皆無に近い記事たちだ。

ひたすらに好きになったことばかり書いてるし。
生存確認日記みたいものばかりだ。

去年と同じように、気を張らずにマスクをせず、外出することが出来れば、自分の行動力と書くスキルでインタビュー的なこともしていたのだろうけど、どうしても状況的にあまりよろしくない。

また、自分の記事の特徴として「人とのつながり」のエピソードからの記事が大半である。実体験というエビデンスをそのまま記事にしている。そのため、考察系や読書感想文系などの文章は苦手。

何度か読書感想文を書いてnoteにあげてみたりしたのだけど、どうも感触がないように思える。改めて、自分がその文章を読んでその本を読みたくなるのかというと疑問もあった。第三者目線が足りないのもある。

ただ、noteのプロフィールに書いてあるとおり、「読んだら前向きになれる文章」という点は、最近書いた文章もしかり、そういったのは得意。

ライティングゼミの講師の方にもその点はめっちゃうまいと言われたので、間違いない。

ネットの情報か何か忘れてしまったのだけれど、プロの応援団がいるらしい、プロの応援ライターっていうのもありそうな気もするが……

まだまだ、このあたりは具体的に落とし込まないといけない内容な感じである。

ただ、具体的にやってみたいなって思うことは、

・クラウドファンディングの記事を書いてみたい。
・誰かをひたすら褒めまくる記事を書いてみたい。

そんなこんなで、言語化トレーニングをnoteでしてみたのだけれど、まだまだ修行が足りないようです。

振り返ると200記事くらい書いてるみたいだけど、量が足りてない。

この1週間だけ毎日書いているのだけれど、継続することの難しさを今、痛感している。






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