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人体実験の終わりとはじまり


いつかは来るであろうと思っていた歓迎されない未知のウイルスが、私の住む場所にも近づいてきたのは春の香りがする頃だった。各局同じことばかり繰り返すワイドショーでは、訳知り顔のコメンテーターが推測で物を言い、不安を煽る。右肩上がりの感染者数と死に至る病。ニュースでは医療現場の方々の緊迫した様子を伝える。目に見えないものほど恐怖を覚え、どこで罹るか分からないと、人との接触をなるべく控えるよう、実家から、そして家族から外出を禁止され、家庭内ロックダウンとも言える状態が続いていた。


いつ解放されるのか、得体のしれない不安に耐えきれなくなる。日々眠れないのを逆手に取り、1日中、朝も夜もなくTwitterを見始める。本を読んでみても、ぐるぐると回る頭には文字の羅列にしか感じられない。一度読むだけでは理解できず、手を止め、メモをし、何度も何度もページを繰りながら読み進める。本を読むにしろ、イベレポを書くにしろ、あの頃は体力だけではなく、知力、気力も含めすべてが足りなかった。短文しか理解できなくなっていたあの頃、横になっていてもできることと言えば、片手で持てるスマホを弄ること。


まだ起きてる人?

仕事が終わらない

飲み会が終わった

おやすみなさい

そんなツイートに答えては、二言三言会話する。

夜中、時差のある海外組が会話し始めたところにも紛れ込んでツイートする。

そのうちに、おはようのつぶやきが聞こえ始める

誰かが起きている、誰かが話している、眠れない日々に動いている言葉を見るだけで救いを得られたような気になっていた。

どの音がどの通知か判別できないほど、電子音が鳴る。徐々に欲求は増していき、通知を気にして、誰がどんな会話をしているか、全てを把握しなければ不安になる。それほどまでに、noteの世界の人たちに、そして会話に依存することで、ひとりではないと信じたかった。

寝ていないことを心配し、声をかけてくれる人もいた。それなのに、言葉を受け止めきれず、依存度を増し、転がり落ちるスピードは制御できなかった。

動くことができないから会話に参加して、寂しさを紛らわせていたはずだったが、その内に動ける人に嫉妬し、考えに嫉妬し、文章に嫉妬した。

軽い冗談も言えず、気の利いたコメントもできない。ましてやnoteの帯もかけやしない。

方や企画をし、イベントを開催し、生き生きと大きな輪を作り上げていく人たち。

方や見えない敵に怯えて、閉じていく私。

自分にないものを持つ人たちに囲まれて、とうとう醜い感情しか湧きあがらなくなった。汚れた感情の鎖が絡みついて、余計に体と心をがんじがらめにする。自己肯定感の低さに加え、手に負えない醜い自分が疎ましく、憎むべき存在に変わった。


不安になるなら見なければいい


動けない自分が、置いていかれる恐怖と闘いながら、それでも眩しいあの世界にしがみつきたい自分がいた。余計に惨めな思いをすると分かっていても、あの頃は孤独が怖くて、離れられなかった。

いくら言われても、理解力不足の私は痛い目に合うまで気づくことが出来ない。

焦るばかりで空回りして、何も言葉が生まれてこない。心をすり減らしては目の下の黒くにごらす。

誰かの言葉をリツイートしても、誰かのnoteをリツイートしても、それは私が生んだものじゃない。一体私は誰なんだろう、誰かになりたいのか、それとも自分を消したいのか。

正解が分からない。

Twitterを情報発信のツールとして使うのでなければ、心のつぶやきを書き留めておく場所でもなく、もちろん訴えかけるようなメッセージを書けるわけでもない。

去年の秋はイベント開催を賭けたクラウドファンディング、開催告知、参加者の募集、開催に対する想いを何度となく発信した。Twitterのおかげで情報が拡散され、直接お会いしたこともなく、話したこともないたくさんの方々に協力を募り、想いを伝えることが出来た。私を知らずとも、福岡の地でイベントを開催したい、未来のチームを語り合いたいという想いに対し、参加できなくても応援したいと声を上げてくれた方々。多くの出会いのきっかけを作ってくれたのは紛れもなくTwitterだった。

だからこそ、見知らぬ人とも貢献し合える場所 として大切に育んでいきたかった。

にも関わらず、闇の部分に飲み込まれてしまったのは私の心の弱さのせいだった。サクサクと使いこなすのではなく、ぬめぬめとした不安と嫉妬に覆いつくされて抜け出せなくなったのは、SNSという空間で適度な距離感を保つことが出来なかったからに他ならない。

仲間、チームに固執した私を、自分自身が足元から揺るがして、失くしてしまった。小さな石を積み上げて、やっと見つけた場所だったのに、壊すのは一瞬。

Twitterは正解を見つけなければいけない場所であるはずもなく、コミュニケーションツールに過ぎない。



ある日、Twitterを見るのをやめた。

やっと理解できた、身をもって経験した人体実験の終わりだった。

たまに情報やニュース検索とDMのために利用しているけれど、今はもうそれ以上でもそれ以下でもなく。

楽しく話をすることが出来ないのであれば、覗き込んで変な感情を生み出すこともない。ツールとして上手に扱うことが出来なかっただけで、もしかしたらまた利用することがあるかもしれないけれど、今は距離を置くことが正解だと感じている。noteも書きたい感情がわき上がるまで無理して書く必要はない。

ないものを砂粒で埋めるような間違った方向性の努力ではなく、肩の力を抜いた私で生きたい。


訳あって、noteもしばらく開くことが出来なかった。その間にあちこちで変化が起きていたらしいと気づいたけれど、敢えて深読みはしない。私だって、書けなかったうちに存在を忘れられているかもしれない。

どこにも属さない私は、興味の範疇から消えてしまっているかもしれない。

それでも

私を失くしかけたあの頃の私と、私を取り戻した今の私

行きつ戻りつだけれど、諦めずに進んでいく。

大事なものと執着をそっと一枚ずつ薄皮を剥がすように手放して身軽になった。何もなくなった私の中に風が吹く。その風は心を動かし、時には気になる種を遠くから連れてきて、まだまっさらな寂しい土地に植え付ける。

平易な文章しか書けず、深部まで掘り下げた表現、言語化には程遠い。書こうと思っても、最後まで仕上がることのない、下書きがたまるばかり。

あとから来た人が、どんどん先へ先へと進んでいく姿を見ている。それでも、私の速度を変えることはできないんだから。ゆっくりとゆっくりと歩みを止めることなく進んでいく。



そっと声をかけてくれたあなたへ

話を聞いてくれたあなたへ

手紙をくれたあなたへ

誘ってくれたあなたへ

沈黙を守ってくれたあなたへ


ありがとう




第三回目の「教養のエチュード賞」、ようやく参加する勇気が出ました。





私のnoteを見つけて、そして読んでいただいてありがとうございます。サポートしていただけるのであれば、少し離れた場所への取材や学びの場への参加費に充てさせていただきます。