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『シャイニング』の脚本が出来るまで①『バリー・リンドン』の不入り

『バリー・リンドン』の公開後、キューブリックは次作の題材を探し始める

 キューブリックが監督した『バリー・リンドン』は1975年の12月を皮切りに世界各国で公開されました。
 ヨーロッパ諸国での『バリー・リンドン』の興行成績はまずまずでしたが、イギリスとアメリカでは配給会社ワーナー・ブラザースの期待に届きませんでした。キューブリックも落胆したそうです。

『バリー・リンドン』

 「『バリー・リンドン』でキューブリックはありふれた商業映画と全く逆の位置にある映画を作った」と映画評論家のドナルド・リチーは評します。
「その結果の一つは、これを理解したものがほとんどいなかったということである。普通の観客もプロの批評家も見た人は、ともに退屈した。彼らが興味を無くしたのは、理解できなかったからであり、さらに適切に言えば、理解しようとしなかったからである。その結果、映画は商業的に失敗となり、次回作『シャイニング』ではキューブリックは普通のパブロフの犬的な映画作りに戻った。しかし『バリー・リンドン』でキューブリックが果たそうとしたものは誠に壮大であり、理解されるに値するものである」(『映画のどこをどう読むか』訳:三木宮彦、司馬叡三)

 すでに1972年のインタビューの中で、キューブリックはシュニッツラーの小説『夢奇譚』をいつか映画化するつもりだと言っています。
 しかしこの頃は未だ映画化の機が熟していないと考えていたようです。
 オーストリアの小説家アルトゥール・シュニッツラーが1926年に発表したこの古い小説をキューブリックは後に『アイズ・ワイド・シャット』(1999年公開)として映画化しました。

『アイズ ワイド シャット』


 『バリー・リンドン』の興行が振るわない中でキューブリックは次の作品の題材を探し始めます。
 ではキューブリックはどのような方法で題材を探したのでしょうか。


 

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