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『シャイニング』の脚本が出来るまで⑤原作選びは恋と同じ

映画化の決め手は恋と同じ
 キューブリックは映画の原作としてどのような物語に惹かれるのでしょうか。フランスの評論家ミシェル・シマンのインタビューには次のように答えています。

「正直なところ、何が私にこれまでの監督作品を作らせたのかを答えることは出来ない。私に言える最善の答えは、私がその物語にただ恋をしたということだ。

突き詰めると、なぜ夫がその妻に恋をしたかを説明するのにいささか似てくる。つまり、彼女が知的であるとか、茶色の瞳であるとか、スタイルが良いとかいった具合だ。

私は現在(『バリー・リンドン』の完成後)、次回作をどんな映画にしようか決めようとしているところなので、ある物語を探すという仕事がいかに制御困難であり、いかに多くの運や自然な反応に左右されるかが理解できる。

力強いプロットか、面白い登場人物か、映画的に発展させ得るか、俳優にとって感情を表現する好機であるか、主題の思想を正直で知的に示すことができるかとか、映画の物語がどうあるべきかについて建設的なことはいくらでも語ることが出来る。

しかしもちろん、最終的にその物語を選ぶ理由は本当に説明することはできないし、その理由が選ぶべき物語へ導いてくれることもない。ただ言えるのは、いま言った要素の大部分を備えていない物語を選ぶことはないということだ」※1

 スペインの作家、映画監督のヴィセンテ・モリーナ・フォアによるインタビューでは次のように言っています。

「何よりもまず、その物語に対する言い表わすことの出来ない何か個人的な感応だ。
これはあまりに単純に聞こえるが、その物語が本当に好きだという事実と関連がある。
それから次の疑問は、その物語は刺激的であり続けるか、もし二週間考え続けてもまだ刺激的であるかということだ。
その段階を過ぎると次は本当の疑問だ。つまりその物語は映画化に適しているか、だ。

なぜならば大半の小説は実際のところ、もしそれが優れた小説ならば映画化には向いていないものなのだ。
その理由は優れた小説に固有のもので、物語の規模が大き過ぎるかまたは最良の小説は登場人物の外面的な行動よりも登場人物の内面に関係する傾向があるという事実のどちらかだ。

だから主題や登場人物の要素を映画として具体化しようとする際には常にその要素を単純化し過ぎてしまう危険性がある。
だから、そう、決して良い映画にならない小説も多分あるだろう。

しかし、映画にするのが可能だと決心すると、次の疑問は、映画的な実現性はあるか?観て面白くなりそうか?俳優にとって良い部分はあるか?映画を完成させて時に他の皆んなも興味を持つか、といったことだ。
それらが私の脳裏をよぎる考えだ。
しかし主に心を占めるのは、そのことについて個人的に興奮しているという感覚、すなわちその物語にまさに恋に落ちたという事実だと言えるだろう」※2



 とは言え、情熱だけではなく、冷静にビジネスライクな判断も忘れません。

「製作の意図がどんなに真面目でも、その物語の思想がどんなに重要だと思えても、一本の映画作りには莫大な費用がかかる。だから出資者に資金回収と、願わくば利潤を得る最良の機会を与えるために、できるだけ多くの観客にその物語を理解してもらうことが必要だ。それを成し遂げるには、まず良い物語が不可欠の出発点だ。
そのことには誰も異論は無いだろう」※3

※1:Cement ,Michel  faber and faber, inc. 2001 “Kubrick the definitive edition”p167
※2:https://cinephiliabeyond.org/interview-stanley-kubrick-vicente-molina-foix/

※3:Cement ,Michel  faber and faber, inc. 2001 “Kubrick the definitive edition”p157



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