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『シャイニング』の脚本が出来るまで⑧『ザ・ブルー・ホテル』

『ザ・ブルー・ホテル』

 キューブリックはキングの小説『シャイニング』のどこに惹かれたのでしょうか。
 ホラー映画を作ろうとした訳ではない、とキューブリックは言います。

「私はずっとESPやパラノーマル現象に興味を持っていた。これまでの科学的実験では、その存在についての決定的な証拠が単に不足しているだけということが示されている。
 (中略)
しかし映画『シャイニング』はそれについての映画を作ろうという特別な欲求から始まった訳ではない」※1

 ESPとは“Extra Sensory Perception”の略で超感覚的知覚、いわゆる超能力を意味します。また、パラノーマル(超常)現象とは超能力も含めて心霊現象やUFOなど、現在の科学で説明できない様々な現象を広く意味します。

 超能力や心霊現象がテーマでなかったのなら、小説『シャイニング』のどこに惹かれたのでしょうか。
キューブリックは『シャイニング』の構成に惹かれたのだと言います。

「小説『シャイニング』は過去に読んだ同様のジャンルの物語の中では最も巧みで刺激的なものだと思った。それは心理的な事と超自然的な(スーパーナチュラル)事との間で見事にバランスを取っているように思え、そのため超自然現象が最終的には心理的なことで説明されるのだろうと読者に思い込ませるほどだった。
 つまり“ジャックは狂っているから、こういったことを想像しているに違いない”とね。このことが読者に超自然現象に対する疑いを一時的に忘れさせて完全に物語に引き込み、気付かぬうちに超自然現象を受け入れさせてしまうわけだ」※1


「そのことが小説『シャイニング』の書き方で極めて賢明だと思ったことだ。超自然現象が起こるにつれて、読者は説明を求めていくもので、そして最も考えられそうなのが、起きつつある異常事態はジャックの想像の産物として説明されるだろうということだ。

 グレディは自分の家族を斧で殺した前の管理人の幽霊だが、ジャックが食糧貯蔵庫から逃げ出せるようにグレディがドアの施錠を外した時に初めて、超自然現象としか説明できなくなる。

 小説『シャイニング』は決して純文学作品ではない。しかし、筋立ての大部分は極めて巧みに考えられている。そして映画にとっては、しばしばそのことが非常に重要なのだ」

 

 以前からキューブリックは、真相とは異なる方向へ意図的に読者を誘導(ミスディレクション)する物語構成に興味があったようです。同様の構造を持った別の小説に言及します。

「スティーヴン・クレイン(Stephen Crane)が『ザ・ブルー・ホテル』という小説を書いている。その小説では、主人公が被害妄想の偏執病だとすぐに分かるんだ。彼は賭けポーカーをやる羽目になるが、相手がイカサマをしていると思い込み、咎め立てた上に喧嘩を始めて殺されてしまう。

 彼の死は必然的で避けられなかったというのが物語のポイントだと読者は思う。なぜなら偏執病の男がポーカーをやれば結局は致命的な拳銃沙汰に行き着くのも無理はないからだ。ところが小説の最後になって、彼が咎めた男は本当にイカサマをしていたことが分かるんだ。

 私が思うに、小説の『シャイニング』は同様な種類の心理的ミスディレクション(誤誘導)を使って、超自然現象が実際に起こっていると読者が悟るを遅らせているのだ」
 キューブリックは1950年代にこの『ザ・ブルー・ホテル』のテレビドラマ化の企画に関わっていたそうです。

キューブリックが心配するほど、観客は超自然現象の描写に疑念や拒否感を示さないのではと思います。その心配はむしろ、超自然現象や心霊現象に対するキューブリック自身の疑いからくるのではないでしょうか。

「(純文学から失われてしまった強力な原型や象徴的イメージを大衆文学が持っていることが)大衆文学がたびたび大成功を収める一因だと思う。良い物語が常に重要であるのは間違いないことで、偉大な小説家たちは一般的に確固とした筋立てに基づいて、自分たちの作品を組み立ててきたものだ。しかし私には、筋立てとは他の何かをする間に単に人々の注意を保つだけの一つの方法なのか、それとも筋立てこそが他の何にも増して重要で、神話が以前にしたようなやり方で無意識のレベルで我々とコミュニケートすることなのかどうか判断できないでいる。


 私が思うに、幾つかの面で、写実的(リアリスティック)なフィクションやドラマの約束事は、物語に深刻な制限を課してくるものだ。一つには、もし規則通りにして、リアリズムを確立するのに要求される準備やペース、時間配分を尊重したら、肝心な点を示すのに、たとえばファンタジー空想物語でよりもはるかに長くかかる。それと同時に、物語のリアリズムに貢献しているまさにその作品が無意識への食い込みを弱めているかも知れないということは有り得ることだ。リアリズムは、議論や概念をドラマ化するには最良の方法だろう。ファンタジーは、主として無意識に関係するテーマを扱うには最適と言えるかも知れない。

 たとえば、幽霊物語に無意識に惹かれる魅力は、死後の世界が存在するという約束事にあると思う。もし幽霊物語を怖がることが出来るなら、超自然的なものが存在する可能性を認めなければならない。もし幽霊が存在するのなら、死後には忘却以上のものがあるわけだ」※1

『シャイニング』


※1:ミシェル・シマン著『キューブリック』内山一樹監訳、白夜書房 より、翻訳の一部を変更しました。

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