見出し画像

比叡山延暦寺と日吉大社を巡拝するの巻(令和3年11月17日)

 今回、比叡山延暦寺を巡拝する前に、滋賀県側の麓、坂本という集落に鎮座されている「日吉大社」を参拝することにしました。
 794年の平安遷都の際に、都(京都)の表鬼門(北東方向)に比叡山が位置していることから、ここ日吉大社が、都の魔除け・難除けを祈る神社として守護してきたと言い伝えられています。
このように、方除・厄除の大社である日吉大社には、「神猿舎(まさるしゃ)」という檻にお猿さんが飼われており、また、楼門の軒下の四隅には「棟持ち猿」として、木造の猿が参拝者を見守って頂いています。
そもそも猿は、縁起のいい動物とされ、神のお使いである神猿を「まさる」「何よりも勝る」「魔去る」として、古くから大切にされてきました。

 その後、比叡山ドライブウェイを通過して、比叡山延暦寺の東塔・根本中堂へ…

 世界文化遺産で「日本仏教の母山」といわれる比叡山延暦寺ですが、円仁慈覚大師、智証大師など天台宗の基礎を築いた高僧だけでなく、融通念仏宗の開祖である良忍聖応大師、浄土宗の開祖である法然や浄土真宗の開祖である親鸞、臨済宗の開祖である栄西、曹洞宗の開祖である道元、日蓮宗の開祖である日蓮など多くの名僧を輩出しています。
天台法華だけでなく、密教や禅、念仏も教えていた延暦寺は、いわば総合大学のようでした。

 日本天台宗の開祖であり、この比叡山延暦寺を開いたことで知られる、伝教大師「最澄」が遷化(没後)されてから、今年で1200年の節目となる大遠忌法要が厳修され、特別事業の一環として特別拝観が開かれています。

 その比叡山延暦寺には、悲しい歴史があります。
1571年、織田信長による「比叡山焼き討ち」事件が起こります。
当時勢力を拡大していた信長は、延暦寺の領地を横領したことから、延暦寺は、朝廷にも働きかけて返還を求めましたが、信長は従わず、その後、「姉川の戦い」により、信長軍は、決戦相手であった、朝倉義景、浅井長政の両軍が逃げ込み、かくまい続ける延暦寺に対し、約3万兵を送り込み、数千人の男女を惨殺し、さらに、延暦寺のほとんどを焼き尽くしたといわれています。
 その後の延暦寺は、信長の死後、豊臣秀吉、徳川家康・家光らが再建しましたが、かつての強大な寺社勢力が復活することはありませんでした。

 このように、歴史と格式のある比叡山延暦寺を巡拝する機会があったことを感謝します。
最後に、伝教法師・最澄が遺されたお言葉を書き記します。
 「一隅を照らす 此れ則ち国宝なり」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?