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モニター1期を終えて

読書&作文指導オンラインのモニター1期が終了して、思い返していること。

作文指導なのに、「書く」という作業が少なかった。

なんでだろう。

一人ひとりとの時間も、全体での時間も、よく考えたら僕は「個別指導」ではなくて「個別対話」「全体対話」と称していました。

対話ありき。なぜ?

これには明確に理由があって、感じていることがあれば、作文は書ける、むしろそこがなければ作文は成立しないと確信しているから。たとえ荒削りでも、感じていることを表現したときに、一致しないもどかしさ、伝わらない悔しさもきっと大事なエッセンスだと思っているから。そこから、文法的なことやルール、技法を求めるという欲求が生まれて、それが学びの根源にあるから。

それはそうなんだけど、僕の中でかけていた認識は、欲求があっても到達するための指標がないと、人は手を伸ばそうとしないかもしれないということ。こういう書き方があるよ、というある種のお手本のようなもの。

僕は今回も、そのお手本を示すとか、指標を示すとか、「指導」にまつわることから遠ざかろうとしていたのかもしれません。僕がやり方やお手本を示したとして、その通りに子どもたちが文を書いたら、僕は「強制的にやらせた」とか「子どもたちに無理やりやらせた」という風にとらえている。そういう教育はまっぴらごめんと思っている。自分がそういう指導しかできないと思い込んでいる。

仮にお手本を示したとして、それを受け取ってやってみるという子どもたちの能動的な活動の可能性も考えていなかったし、そういう風にやってみたいという信頼からの行動かもしれないということも考えていなかった。

お手本を示したときにそのやり方をしない子を見たとき、自分の力不足だとか不十分さだとか自分の不甲斐なさの証明のための証拠に使うという、自分中心の発想。子どもたちがただ選ばなかっただけ、というその選択を見守るという発想がない。

オンライン読書&作文指導、という名称にある「指導」のイメージと、作られている場のあり方のギャップ。個別だからこそ出来ることって、僕はその場の関係性があると思う。即興的で流動的、なんだけれど、その子の現状や希望に添えるという軸がある。それが強みでもあるはずなのに、それを自覚していないから、売り文句として使わない。

僕が作る場は、その一人ひとりと作っていきたいという思いがあるから即興的で流動的です。でも、その子の現状に最適な提案を、希望に添うための目安になるものを提示していく場です。

これを盛り込まないと、これからもギャップがあり続けると思います。

「そういうことを伝えたいんなら、こういう風に書くのがオススメなんですよね~、お客さん。これとこれを加えて、トータルコーディネートでこんな仕上がりになるんです。絶対それがあなたの思いが伝わると思うな~!」

「今回はこのコーディネートやめときます?そっかそっか、残念だなぁ、絶対オススメなんだけど。また気が向いたら声かけてくださいね。お客さんのためにキープしとくんで」

「全部やるのは厳しいですか?うーん、じゃあ、これだけは、っていうマストアイテムは伝えるんで、それは出来たら持って帰ってください!これだけは信じて!絶対損させないので!」

こんな感じで、商売のための営業トークじゃなくて、「本当にあなたにおすすめなんです、私もこれ大好きなんです」っていう感じの、ショップの店員さんとかいいよねって思うように、僕もこんなスタンスでいれたらいいんじゃないかと想いました。

私は読書や作文が大好きで、語彙も知れば知るほど嬉しく楽しくなります。こういう風に書いたらいい感じになる。文法的ルールを身につけるのも大事だと思っています。

この、僕自身の想いはゆらがない。

本当、この想いは本気なんですっていう、大好きなんですっていうところに自信を持つ。

それを伝えて、受け取ってもらえるかはわからない。受け取ってくれたら嬉しい。受け取ってもらえなかったら、今じゃなくてもいいから、いつか受け取ってほしいな、という寂しさを感じつつ次への期待を持つ。

モニター1期のみなさん、ありがとうございました!!

写真は、なんか、今年の夏のマストアイテムは、麦藁帽子なんですよ、絶対これ来ますから!ワンポイント、ブラックのリボンついているか、シンプルなやつか、どっちがお客さんにおすすめかな~、的な。


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