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僕の中の地獄のミサワ

今日は朝から大人枠の、午後に小学生枠の読書・作文指導をしました。

きょうは、何だか落ち込んでいます。

何でだろう。

二人の感じていること、表現したいことを十分に大切にできなかったかもしれないって思ってる。

後悔・自責・悔しさ・無力感。

それぞれ、あのふたりとどういうことができたか?

何が満たされなかった?

受容する・受容されること、かな?

きょうはどちらのときも、ただただ聞き取るということだけでなく、自分の考えをどうしても言いたくなってしまって、自分の意見を出した場面があった、というインパクトが残っています。

こういうもどかしさを僕自身も感じながら、これから取り組んでいく二人もきっと感じながら、進んでいくんだろうなと、納得しました。

二人の感じていることを聞き取れなかった、ということは、きっと二人の中にまだまだそういう思いがたくさんあるということ。

これからもそれを一緒に見ていけるとしたら、素敵やん?

十分に大切にできなかった、と感じるいうことは、僕にはもっと聞き取る力と二人を大切にできるという思いがあるということ。

まだまだポテンシャルあるってことやん?素敵やん?


あ、やっべー、きづいちゃったわ、俺もうひとつ気づいちゃったわ。

もうひとつ、自分の傲慢さに気づきました。

僕が意見を言うと、相手はそれに従う、恐れてしまうって思ってるわ、自分、ということ。

あ、やっべ~!!自分の思ったこといっちゃったよ~、やばいよな~、相手が恐れおののいて俺の意見に従っちまう~~。

どこの地獄のミサワだ。

ないない(笑)

そんなやわな二人じゃない。

人の意見ごときで、その人の本質が動くことなんてそうそうない!

脳内で自分の感じたことを地獄のミサワ化することで、ひとりうぷぷ、と笑いそうになりながらこの考えに到達したので、すっきりしたので寝ることにします。


本当は、地獄のミサワの画像使いたいけど!!何だかシュールさが素敵だったイラストを使わせてもらいました。



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