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"あいつら全員同窓会"を媒介に、メッセージ性/コンテクストに支配された現代音楽の話

リリックがコントラバーシャルな2021年最名曲"あいつら全員同窓会"

ずっと真夜中でいいのに。の"あいつら全員同窓会"という楽曲は、
「同窓会に参加する集団」との距離を感じている人間を描いていることはストレートに入ってくる一方で、
歌詞の部分部分での単語のつながりの無さが故に、多くのリスナーに「意味不明」な楽曲として捉えられ、そして、多くのリスナーによって解釈・考察が繰り広げられている
そして、どの解釈・考察も興味深い。

"あいつら全員同窓会"の主眼はどこに

しかし、個人としては、この楽曲に対する解釈・考察の必要性に疑念を抱いている。
これは別に「解釈・考察するほどこの楽曲のリリックのクオリティは高くないじゃないか」という事ではない。それどころか、この楽曲は2021年の日本語楽曲の最名曲の一つなのだから。そのクオリティは高いに決まっている。

では、自分がなぜ「"あいつら全員同窓会"に対して解釈・考察を施さなくてもいいじゃないか」と考えるのか。
それは、「解釈・考察するに余白ある歌詞内容とすることで、コントラバーシャルな歌詞内容にすること」に楽曲の主眼があるとは思えないからである。
つまり、歌詞に意味不明な単語が連なっているということに関して、「リスナーに解釈・考察・深読みをさせるような余白を与えることで、何かのメッセージを受け取ってもらおう」という意図はずとまよ側にあまり感じられない、ということだ。
もちろん、歌詞内容を意味不明にすることによって、その解釈・考察が盛んに行われるだろうと言うことは、制作側も当然に把握していただろうが、それでもその解釈・考察を呼び起こすと言うことは、あくまで副次的なミッションであったように感じられる。

そしてむしろ、この楽曲の主眼は「関連性のない単語をひたすらに連発して歌うことの気持ちよさを伝えること」に置かれているような感を受ける。
歌詞内容そのものではなく「これだけつながりのない単語を並べても、フロウとボーカリゼーションが巧みなら、めちゃくちゃフィーリングの良い感じに聴こえるということを世に知らしめる」という、いわばよりメタな観点にこの楽曲の主眼があるのではないか、ということだ。
もう少し話を広げれば、もうここ5年ほど北米を席巻してきたラップのジャンルであるサウストラップをこの楽曲は模倣していて(これ妄想)、このサウストラップのフロウ等の部分導入(ビート等は全然違う)がこの楽曲の制作の元来のミッションなのではないかと、そう思わせられる。

「何言ってんだ」について

前項までの記述のとおり、
「歌詞をリスナーに解釈・考察させることではなく、むしろ単語ごとの語感や韻の気持ちよさのみで良い楽曲を作ることに主眼が置かれている」
というのが"あいつら全員同窓会"に関する個人の見解である。
見解には根拠がないとダメだが、それが当楽曲3分7秒あたりの「何言ってんだ」という音声の存在だ。
この「何言ってんだ」は当楽曲の歌詞に対するメタ的なツッコミの役割を担っていて、さらに「この楽曲の詞には(解釈や考察を施すほどの)意味はないんですよ」ということを伝える役割をも担っている。「何言ってんだ」と自らツッコミを入れることで歌詞に関する批評の余地をなくして批評を完結させているのだ。
「何言ってんだ」をこのように捉えば、リスナーに対しては「歌詞のメッセージを正確に受け取ることや考察・解釈をすること」が期待されているわけではなく、むしろ「歌詞はもう意味不明だという前提で、とにかくこの曲で繰り出される単語の語感を楽しむこと」が期待されているように思えてくる。

なぜ人は解釈・考察をするのか

前項までは主だってずとまよの大名曲を中心に記述してきたが、ここで話を大きくしよう。

既述のように"あいつら全員同窓会"を聴いたリスナーの多くは熱心に解釈・考察を行っていたが、どうして多くの人がこぞって解釈・考察を行なったのだろうか

それは楽曲に対してメッセージ性やコンテクスト、ひいては価値を求める風潮に現代音楽の界隈が支配されているからだ。
インターネットの発達で、誰もが製作側にリスナーになれるようになった今、製作側は「数あるコンテンツからどうやったら選んでもらえるような価値あるものを作れるか」を気にして(まあこれは当然)、またリスナー側は「数あるコンテンツから自分が選んだものに本当に価値があるのか」を気にするような世界になってしまった。
結果として、
聴く音楽からより多くのメッセージを引き出してなんとか自分の糧にしたい、
自ら選び取って聴く楽曲に価値を見出したい、
自身がその楽曲を聴くことに正当性を持たせたい、

そういうような考えから、リスナーは自発的に解釈・考察を行なって価値を見出そうとするようになっていった。
つまり、歌詞の解釈・考察文化には、長く続く現代音楽の商業化とネットの発達が大きな要因にあると言える。

ここで「楽曲の価値」というような表現をしたが、
「楽曲の価値」というのは音楽の商業化の過程で作り上げられた概念だ。
(もちろん分かっている人には分かりきった話だと思うが)
マルクスの話になってしまいかねないが、本来、楽曲どうしには価値の違いなどないはずだ。
しかし、レコードというものを通して音楽を市場経済に組み込めると一旦分かったら、「みんなが聴いている流行のもの」とか「みんなが聴いていないニッチなもの」とか「世界で一番ギターが上手い人の楽曲」とか何かしらの評価軸でそれぞれに優劣をつけて楽曲を売ろうとしてきたのが今の現代音楽シーンであって、その結果として「音楽の価値」という考えが構築されていった。
(関ジャムのような番組で「楽曲の凄さ」として解き明かされるのは主にこの「音楽の価値」の部分であろう)
そして、「共感を誘う」とか「感動させられる」みたいな切り口のプロモーションがなされる楽曲が多かったり、今までみてきたように楽曲の歌詞内容に余白があるとリスナー自身で熱心に解釈・考察してその楽曲のメッセージを探ってみようとする人がたくさんいることからも分かるように、「楽曲のメッセージ性」は「いかにリスナーがその楽曲から何かを得られるか」ということであるのだから「楽曲の価値」を動かす重要な要素だ。
そのため、「楽曲のメッセージ性」の話をした当項でも当然に「楽曲の価値」という音葉を用いるに至った。

メッセージ性/コンテクストの支配で見失ってはならない、元来の楽曲の音の気持ちよさ

音楽の意義とはなんであろうか。
当然、既述のように「音楽の価値」を構成するメッセージ性やコンテクストも重要な音楽の意義だ。
琵琶法師が熱狂的に平家物語を語るのも、ダライラマがBGMにのせてお言葉を発するのも、アンジュルムが"限りあるMoment"を歌うのも本当に魅力的だ。

そしてリスナーとしては歌詞の解釈・考察をしてそのメッセージ性を探ることも楽しい。(事実として自分も同様に解釈・考察を楽しむ人間の一人だ。読んでね。)

しかし、同じくらいに「今なっている音がいかに盛り上がるか、踊れるか、気分が高揚するか」ということも大切なはずだ。
というか「楽曲の価値」という概念が形作られる前の音楽の元来の形、マルクスで言うところの「楽曲の使用価値」ではないだろうか。
(もう自分のnoteではずっとし続けてきた主張ですが)

例えば、リトル・リチャードの"Tutti Frutti"というロックンロールの源ような楽曲があるが、あれだって初っ端の歌詞に意味はなくて語感だけで生み出された発語だけど、めっちゃ楽しいし、あの感覚こそ音楽の元来の形ではなかろうか。

あと、世界で最高のバンドThe Whoの"Cobwebs And Strange"っていう曲。
この曲にはメッセージもコンテクストも歌詞さえないけど、とにかくサイコーに踊れるわけで。これで良いというか、もうこういうのこそ良いはずなんですよ。

でも、現代音楽シーンではみんなそのメッセージ性やらコンテクストばかりを気にして、本来の「楽曲の使用価値」の部分が見失われていることも多い。
既述の"あいつら全員同窓会"について言えば、熱心に歌詞の解釈・考察を行なったリスナーはその単語のメッセージ性への探究心が故に「意味不明な単語でもあれだけ上手く歌われるとあんなに気持ちがいいんだ」ということに気付いていないのかもしれない。でも、ACAねがあそこまで歯切れよく単語を繰り出しているの聴くとその意味なんか置いといてとりあえず踊ってしまうわけじゃん?

そういうところでいくと、"あいつら全員同窓会"はメッセージ性やコンテクストに囚われがちであった現代音楽界に石を投げてなんとか「意味不明でも音楽は踊れればそれでいいでしょ」と言って、我々を引き戻してくれるわけです。

ばななの父ちゃん(吉本隆明)が読書について、「その本から何かを得てやろう」という読み方はちっともつまらなくて、やはり「何も考えずにひたすらにページをめくる」読み方の方が面白いのだ的なことを言っているのと同じように、
音楽に関しても、そっから何かメッセージを掴んでやろうとか、楽曲のコンテクストを道筋に新たな領域を体系的に学んでやろうとか、そう言うことを考えていても、やっぱりあんまり楽しくなくて
逆に言えば、音楽ってもっと楽しく聴くものなはずで

だから、もし仮に既述のメッセージ性/コンテクストに支配されて音楽を聴くのが楽しくなくなった人(特にエリートの人とか音楽ジャンキーの人)がいたら、いち早く音楽元来の意義にもう一回立ち返ってほしい

というか、みんながもっとお互いが聴いている音楽でマウント取らずに、「この曲なんかわからんけど踊れる、サイコー!」とかって言える音楽世界であってほしい。

"あいつら全員同窓会"を聴いてそんなことを思いながら、蟹江の『DONDA』とドレイクの『CLB』を前にして頭を抱え、結局、サイトランスとソカ、ロックステディに逃げる自分であった、、

[追伸]
ちなみに、"あいつら全員同窓会"について、
「『意味不明な単語を並べても踊れるよ』というのも楽曲の一つのメッセージに過ぎないし勝手にお前がそれを解釈しているだけで何も変わらんやん」
と言われてしまいますと何も言い返せませんので先に謝っておきます。
すみません。

ですが、メッセージ性やコンテクストにこだわらずにもっと音楽を原義に沿って楽しもうぜということが言いたい記事ですので許してください、、

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