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ヴァナキュラーと限界芸術─2000年代以後の日本現代美術の状況

現在から過去15年のアートシーンを振り返ったとき、もっとも大きな特徴は、時代を象徴するほど強力なムーヴメントがきわめて乏しいという事実である。「スーパーフラット」(2000年)、「マイクロポップ」(2007年)以後、そのような突出した流行現象は日本のアートシーンには見られなくなった。少なくとも戦後美術に限ってみても、「反芸術」、「もの派」、「ポストもの派」などのカテゴリーが美術史を更新してきた一面を鑑みると、ついに歴史の終焉が到来したような悲観的な印象を禁じ得ない。だとしても、数々の優れた作品が発表されていることもまた、厳然たる事実である。であれば、歴史は終わったのではなく、そのような特定の運動や様式が、歴史を語る言語の機能を失ってしまったと考えるべきだろう。このような運動や様式と歴史との乖離現象は、いったい何を意味しているのだろうか。おそらく「ヴァナキュラー」というキーワードが、この問いを考えるための糸口になるのかもしれない。

これまでのモダニズムとポストモダニズム

「ヴァナキュラー」(vernacular)とは、特定の土地に根ざした言葉、すなわち方言。語源的には主人の地所に生まれた奴隷を意味するvernaculusというラテン語に由来するが*1、近年、建築や写真など、多くの文化表現の領域において注目を集めている。ヴァナキュラー建築といえば、それぞれの土地に特有の資材を用いた民俗的建築のことであり*2 、ヴァナキュラー写真といえば、名もない人びとが撮影愛好してきた、ごくごく普通の写真のことである*3 。つまり、この言葉には民俗性および無名性が含まれているわけだ。

注目したいのは、どのような文脈で用いられるにせよ、ヴァナキュラーがある種の対抗関係に位置づけられているという点である。ヴァナキュラー建築は様式の変遷を繰り返す従来の建築史にたいして、ヴァナキュラー写真は芸術性を重視した従来の写真史にたいして、それぞれ批判的な距離をとっている。アメリカの写真史家、ジェフリー・バッチェンが言うように、それは「その親元たるディシプリン(学問分野)の安定性にたいする重大な脅威となっている」のである*4 。つまりヴァナキュラーという言葉の核心に置かれているのは、既存の歴史を根底から見直すようなラディカリティにほかならない。

では、美術ではどうだろうか。現代美術における対抗軸といえば、たとえばモダニズムとポストモダニズムの拮抗関係があった。前者はアメリカの美術評論家、クレメント・グリーンバーグによるフォーマリズム批評理論が代表しているように、絵画の本質を絵画によって追究する自己言及的な運動である。これは、作家の経歴や文化の固有性、物語性や具象性を絵画の本質から徹底して排除する反面、色彩やマチエール、平面性といった形式を重視することで、作品の質の普遍性を唱えた *5。一方、後者は、そのような普遍性への疑いの立場をとる。モダニズムが排除してきた物語性やイメージ性を画面に大々的に前面化した新表現主義や、新しさを追究する近代的な進歩史観にたいして、過去のすべての様式を等価とみなし、それらの流用と盗用を戦略的な方法としたシミュレーショニズムは、ポストモダニズムの典型である *6。

モダニズムとポストモダニズムの対立は、日本のアートシーンおいても長らく構造化されてきた。たとえば前者は「VOCA展」を準拠点として依然として再生産されているし、後者の立場から「スーパーフラット」や「マイクロポップ」が生み出されたともいえる。つまり一見すると相容れない両極は、しかし結果的には、その振幅の大きさによって美術の制度を強化し、その緊張関係によって歴史を更新してきたのである。ところが、この両極とは異なる新たな対抗軸が現れたのが、おそらく2000年前後のことだった。

これからのグローバリズムとヴァナキュラー

グローバリズムとヴァナキュラー。その新たな関係性を、さしあたりこのように図式化することができよう。前者は「世界基準」を名目にしながら、実質的には欧米による富の寡占を正当化する立場だが、美術においては90年代のマルチカルチュラリズムを経て、欧米の美術市場による第三世界やアジア諸国のアートを支配下に置く、ある種の囲い込みとして現れた。90年代以後、アジアやアフリカでの国際展が急増した背景には、もはやそこにしか活路を見出すことができなくなった欧米のアートシーンの窮状がある。

ただ、ここで重要なのは、グローバリズムは表面的には世界の画一化として現象するものの、その平面の下では各国の国民国家の枠組みを再生産しているという点である。まるでワールドカップのように、「国代表」という冠があってはじめて、アジアやアフリカのアーティストたちは承認される。そのことを村上隆は「欧米の美術の世界特有のルール」という言い方でつねづね強調しているが、村上の慧眼は自分自身のアイデンティティと国民国家のそれを巧妙に重ね合わせた点にある*7。グローバリズムにおいては、「日本」というナショナル・アイデンティティが求められていることを村上は敏感に察知したのだ。

これにたいしてヴァナキュラーが照準を当てているのは、国民国家そのものではなく、むしろそれを形成している無数の地域や共同体である。グローバリズムが国民国家を通して欧米という名の世界に飛び上がろうとしているとすれば、ヴァナキュラーは国民国家の下の地域や共同体に分け入ろうとしている。しかもヴァナキュラーは、国民国家を代表し、再生産するグローバリズムのように、必ずしも地域や共同体の再生産に寄与するとは限らない。むしろ、地域や共同体の中の関係性を組み換え、場合によっては新たな共同体を創出するところに、ヴァナキュラーの醍醐味がある。ちょうど2000年からはじまった「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」が、まさしく「妻有」という行政上のカテゴリーにはない、ある種の「想像の共同体」を構築しつつあることは、そのもっとも明快な例証である*8。今福龍太が的確に指摘したように、ヴァナキュラーとは土地性を明示しているが、それは決して特定の土地と癒着しない、「非本質的な土地性」なのだ*9。

むろん、モダニズムとポストモダニズムの構図が完全に失効したわけではない。それは依然として一定の影響力を及ぼしている。だが、2000年以後、そこから魅惑的な流行現象を生むほどの磁力は次第に失われていった。事実、新表現主義的な要素は現代絵画の中にかたちを変えて残存しているにせよ、シミュレーショニズムはもはや風前の灯であるし、モダニズムの牙城として威光を示していたVOCA展にしても、その規準を満たした抽象画にVOCA賞を授賞していたのはおおむね90年代までで、2000年代に入ると、その規準では到底推し量ることのできない作品を目前にして、選考委員のあいだに明らかに戸惑いや欲求不満、逆上の念が広がっていく*10。現代美術のハードコアは、モダニズムとポストモダニズムの対抗軸からグローバリズムとヴァナキュラリズムのそれへと転位してしまったのではないか。この15年のあいだに日本の現代美術はそのような決定的な構造変化を引き起こしていたのである。

ヴァナキュラーの中の限界芸術

とはいえ、ヴァナキュラーとは、たんに土着的な反都市性を意味するだけではない。大地に根を張る身ぶりが、腰の据わらないグローバリズムを批判的に照射することは事実だとしても、そうした反都市社会への志向性であれば、関西の「THE PLAY」や新潟の「GUN」など、60年代の反芸術パフォーマンスにも見出すことができるし*11、ヴァナキュラーが非本質的な土地性だとすれば、それは都市社会の中にも発見しうるはずだ 。2000年代以後に顕在化したヴァナキュラーに内蔵されているのは、むしろ限界芸術の地平である。

限界芸術とは、哲学者の鶴見俊輔が1950年代に提起した芸術概念で、非専門家によって作られ、非専門家によって受け取られる、ありとあらゆる創作物や活動を指す*12 。鶴見は、専門家のあいだでやりとりされる芸術を純粋芸術、専門家によって作られ非専門家によって享受される芸術を大衆芸術と区別した上で、それらの基底に庶民が日常的に実践している限界芸術の地層を切り開いた。その具体例として鶴見が挙げているのは、落書き、竹馬、絵馬、手紙、祭り、家族写真のアルバム、労働の合の手、デモなど。現在の視点からすると、いかにも古色蒼然とした感は否めないが、それにしても芸術のエリート主義的な排他性を回避しつつ、それを庶民の当事者性と直接関係づけたという点は画期的だったと言わねばなるまい。

しかし限界芸術は長らく歴史の底に沈んでいた。ところが、それがアートシーンに再浮上したのが、じつのところ2000年以後のことだった。それは、わたしが批評的な活動によって仕掛けたからだけではない 。むしろ時代そのものが限界芸術を要請したのだ。言うまでもなく、ネット文化の普及は誰もがつくり手になりうる環境を新たな民俗として整備した。携帯電話やスマートフォンに常備された高性能のカメラは、元来幅広い射程を持っていたスナップ写真の支持層を、これまで以上に押し広げたのである。あるいは、近年の演劇やダンスにおいては非専門家としての素人やアマチュアが演者として舞台に上がる作品が明らかに増えているし、彼らを作品に「参加」させるだけでなく、その重要な構成要素として考える美術家も少なくない*13 。

こうしたなか、これまでの現代美術が等閑視してきた歴史や様式、運動が疑問視されるのは時間の問題だった。誰もが表現の主体になりうる以上、表現を特権化するアーティストは必然的に鑑賞者=表現者によってその根拠を厳しく問われるだろうし、美術館によって権威づけられた美術作品にしても、それ以上に価値のある作品が路上やネット空間に転がっていることを鑑賞者はすでに知っている。美術批評ですら、かつては特定のマスメディアと形式的に密着していたが、ブログで発信される批評が台頭して以後、批評の質をメディアが自動的に担保することは難しくなった。それゆえ、歴史を構築する参照点は、マスメディアから離れ、様式や運動からも離脱し、路上やネットなど不定形の空間に拡散してしまったのである 。つまり、これまでの「美術」を支えてきた暗黙知や制度が大きく揺るぎはじめているからこそ「脅威」なのだ。

おそらく、そのとき必要とされるのは、まさしくヴァナキュラーという言葉が含意しているように、土の中から価値を掘り起こす、ひじょうに地道な、ある種の考古学的な身ぶりである。既存の制度的な枠組みの中で限られた情報を鵜呑みにしているようでは、いままさに育ちつつあるヴァナキュラーの豊かな実践を、みすみす見逃してしまいかねない。今後の現代美術に展望があるとすれば、それは泥にまみれながら地面を這いつくばって歩む、そのような肉体的な足取りから開けるにちがいない。

*1 今福龍太「旅する理論〈ヴァナキュラーをめぐって〉」、『現代思想』1990年8月号

*2 長谷川堯「ヴァナキュラー建築の歴史とヴァナキュラリズムの成立」、『自然と必然の住まい』武蔵野美術大学美術資料図書館、2007年

*3 前川修「ヴァナキュラー写真の可能性」、『美学芸術学論集』神戸大学芸術学研究室、2007年

*4 ジェフリー・バッチェン「スナップ写真―美術史と民族史的転回」、『photographer's gallery press』no.7、2008年、p88

*5 浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫編『モダニズムのハード・コア』太田出版、1995年

*6 美術評論家の西村智弘は、モダニズムとポストモダニズムの対立の頂点を1995年と見ている。以下、参照。西村智弘「1990年代の美術をめぐる状況について――モダニズムの美術とポストモダニズムの美術」、『あいだ』64号、2001年

*7 村上隆『芸術起業論』幻冬舎、2006年、pp88-89

*8 国民国家そのものが「想像の共同体」であることは、すでにベネディクト・アンダーソンが指摘している。『想像の共同体』書籍工房早山、2007年

*9 今福前掲書、p14

*10 拙稿「絵画におけるゼロ年代――VOCA展選考所感の言説分析から」、『国立国際美術館ニュース』第176号、2010年2月1日発行

*11 黒ダライ児『肉体のアナーキズム』grambooks、2010年

*12 鶴見俊輔『限界芸術論』ちくま学芸文庫、1999年

*13 ここでは詳述できないが、たとえば美術家の鴻池朋子が近年熱心に取り組んでいる《物語るテーブルランナー》は、きわめて限界芸術的な作品である。秋田の地元住民たちから聞き取った物語を鴻池が描き起こし、その下絵をもとに地元住民らが布を縫い合わせてテーブルランナーをつくる。専門家と非専門家による、ある種の協働作品といえるが、作者の主体性がどちらにも公平に分有できるため、結果として専門家と非専門家の境界を問い直すことになっている。

初出:「われらの時代:ポスト工業化社会の美術」展図録、金沢21世紀美術館、2015年


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