ハーバード見聞録(33)

「ハーバード見聞録」のいわれ
 本稿は、自衛隊退官直後の2005年から07年までの間のハーバード大学アジアセンター上級客員研究員時代に書いたものである。


ボストン・シンフォニー・オーケストラ(8月29日の稿)

散歩から帰宅すると「今日、遅くなっても構いませんので、お電話を下さい」という留守電があった。マサチューセッツ工科大学名誉教授の増淵博士令夫人の文子様からだった。妻が電話をした。

電話での会話の後、「増淵博士ご夫妻がボストン・シンフォニー・オーケストラのチケットを下さるそうよ」と妻はやや戸惑い気味だが嬉しそうに私に伝えた。博士ご夫妻が日本に一時帰国されるため、あらかじめ年間予約購入された10月20日夜8時から開演のチケットを私達にくださるとのことだった。

私はそのころ、「ハーバード見聞録(32)」で、増淵博士を取り上げさせていただき、間もなく書き上げるところだった。これを書き上げたらどのようにして増淵博士に御了解を得ようかと思い悩んでいたところだった。まさに、そんなタイミングに増淵令夫人からお電話を頂き、博士のご自宅に妻が行くことになるなんて、何だか不思議なご縁を感ぜずにはいられなかった。

私は博士の御了解を頂くために、大急ぎで原稿を書き上げ、ワープロを打ち、プリントアウトした原稿を、チケットを頂きに博士のご自宅に伺う妻に託した。「本当に不思議なものだ」と改めて思った。

オーケストラ公演当日は、妻とハーバードヤード横のバス停からバスに乗ってボストン市内の「シンフォニー・ホール」に出かけた。

「音楽と言えば『カラオケ』しか知らない私のような者にクラシックが分かるだろうか」、と不安と恥ずかしさが入り混じった気持ちだった。

普段はリラックスした服装のボストニアン達も、この夜ばかりはバリッと決め込んだ紳士淑女に変身していた。流石にクラシック音楽を嗜む社会階層は風格があり、一見して上流階級と見て取れ、気圧されるような気がした。また不思議なことだが、町中に溢れている肥満タイプの人士は一人もいなかった。

私達の席は前列から7列目のほぼ中央で、最上級の席に属するものだと思った。黒革張りの椅子に座り、金の塗料を施した二本の柱の奥に広がるステージに目をやると流石に緊張感を覚えた。少し早めだったので、折角の機会と思いホール内を見て回ることにした。オーディトリアム後方の壁の向こうには休憩室があり、コーヒー、ワイン、ブランデーなどを悠然と楽しむボストニアン達で溢れていた。勿論全ホール禁煙であるため、葉巻をくゆらせるジェントルメンは見ることが出来なかった。

開演が近づいたので、再び席に戻った。その直後、私のすぐ前の席に80歳をとうに超えたと思しき老夫婦が座った。厳密に言えば、老婦人が私の席のすぐ前に、その御主人らしい目の鋭い正装した老人がその右に座った。例外的にその老婦人の左右には空席が3つずつあった。

ステージの上では、オーケストラのメンバーが次々に自分の席に座り、それぞれのスタイルで本番直前の音出しや楽器のチェックを始めた。音出しとはいっても演奏者個々にとっては立派な演奏のはずだが、指揮者がいなければ、流石の名演奏者達の演奏もただの雑音になってしまう。

ステージの上に目をやるとたった一つだけ不思議な「仕掛け」が目に付いた。指揮者が立つ指揮台の上に脚の高い「椅子」が設置されていた。何に使うのだろうか?

パンフレットを見ると今日の演奏曲はフィンランドの作曲家シベリウスとショスタコービッチの曲で、シベリウスが「Violin Concerto in D minor, Opus 47」、ショスタコービッテチが「Symphony No.8 in minor, Opus 65」と書かれていた。勿論私にこの意味が分かるはずがない。

また今日の指揮者は、二人の作曲家と同じフィンランド出身のパヴォ・ベルグランド(Pavvo Bergulund)氏だという。そして最初のシベリウスの曲の演奏には、今世界的に売り出し中の若手女性バイオリニストのジュリア・フィッシャー(Julia Fisher)が特別参加するというのだ。

突然一人の中年女性バイオリニストが立ち上がり、サッと右手を上げたら練習の雑音が一瞬のうちに止み、観衆がいっせいに大きな拍手を始めた。二人の主役の登場である。ジュリア・フィッシャーとパヴォ・ベルグランドがステージに現れた。

「おや、パヴォは身体障害者だったのか。脳梗塞か何かで。」私は正直なところ驚いた。しかも80歳は過ぎているように見える。目も半眼で、表情が分かりにくい。短く刈り込んだ白髪頭の色こそ違うものの、何だか勝新の「座頭市」の雰囲気に似ている。ステージの上の短い移動もままならない様子で、介添えの手を借りてようやく指揮台に登った。

これでやっと先程の「脚の高い椅子」の謎が解けた。パヴォは、3分の1程この椅子に腰をかけた状態で指揮をするつもりなのだ。パヴォは指揮台に登ると慎重にゆっくりと客席に対し後ろ向きになり、懸命に椅子に座ろうとしているがお尻が座席に収まらず、今にも左右に転落しそうに見える。更に演奏直前に楽譜を確かめようと前のめりになると、そのままつんのめりそうになった。兎も角、開演前にパヴォが指揮台の上で、無事に準備を終え得るかどうか、これほど心配することになるとは全く「想定外」のことだった。「今日は、指揮者が壇上から転げ落ちて騒然となるかもしれないな」と思えるほど、ハラハラ・ドキドキさせられるような雰囲気だった。

パヴォのお尻がどうにか座席に収まると、10秒も立たないうちに彼の手が小刻みに動いた瞬間、演奏が始まった。指揮者は大袈裟にも見えるほど全身全霊でタクトを振るものとばかり思っていたら、パヴォは僅かの手だけの動きで完全にボストン・シンフォニー・オーケストラを操っている。

突然バイオリンの甲高い音色が響き渡った。パヴォに気を取られ、マネキンのようにしか見えなかったジュリアの体に精霊が舞い降り、バイオリンに命が宿った。起伏に富んだバイオリンの音色がステージを支配した。溢れるほどの長い金髪を紐で束ね、タックの沢山入った豪華な舞台衣装をまとっている。黒地のベースに織り込まれた金ラメ(織糸)がライトに輝いている。

ジュリアが全身全霊を込めてバイオリンを弾いている様は、神がかった預言者の恍惚状態のように見える。両手の指が鶺鴒の尾のようにリズミカルに動き、1750年にGuadagniniの手で製作されたバイオリンが完全に彼女の体の一部になっている。彼女がバイオリンを弾く姿は空手の型の演武や剣の舞を見ているようだった。四弦を擦る弓が洋剣の剣先のように見え、上下左右に、時に早く、時に緩やかに動いている。またその緩と急の変化は空手の型のそれに似ている。

パヴォの枯れたような静かな指揮とジュリアの若さが躍動する演奏の取り合わせは実に絶妙であった。

この素晴らしい演奏の最中、全く予期しないものを見てしまった。なんとパヴォは、左手に持っていたタクトをポロリと取り落としてしまったのだったのだ。しかし流石に名指揮者、慌てず騒がずそのまま指揮を続けた。そのうちタイミングを見てパヴォの近くにいた男性バイオリニストが静かにさりげなく拾ってそっとパヴォに手渡した。恐らくこのようなオーケストラの演奏においては滅多に見られない場面だろう。

パヴォとジュリアの絶妙なコンビの音楽に酔いしれていた私の傍で、驚くべき出来事が起こった。「ギーッ、ギーッ」と革椅子の軋む音!! 見ると私の前に座っていた老婦人が体をこわばらせて痙攣しているようだ。上流階級のアメリカ人がコンサート場でのマナーを知らないはずがない。否、知っているからこそ、その老婦人は必死で痛みに耐え、絶叫したいのを堪えていたのかも知れない。右横隣の80歳を超えたと思しき老主人が懸命に小声で話しかけ、ハンカチで夫人の額の汗を拭いてやっている。

「オイ、大丈夫か?救急車を呼ぼうよ?」

「大丈夫だからほっといて」

「本当に大丈夫か?」

「コンサートが台無しになるから止めてよ!」

「……?」

老夫婦の会話を推測するとこんな会話だったのではないだろうか。勿論、私のところまで聞こえるはずがない。

ご主人と私の目が合ってしまった。
「済みません」と目で合図を送ってきた。

目をステージに戻す。その間にも、パヴォの指揮とジュリアの演奏は絶妙の絡み合いを見せ、演奏は最高潮に達しつつあった。

倒れそうなパヴォを私は「気」で支えてやっているつもりだった。もちろんそれは非現実的な話なのだが、私の心がパヴォに乗り移っているような気になった。

「ギーッ、ギーッ」

また老婦人の発作が起こった。ご主人は音楽どころではないはずなのに、奥様の汗を拭く間に時々ステージに目をやっている。よほどの音楽好きに違いない。ご主人は、また声を掛けている。

「オイ、救急車を呼ぼうか?」

「あなた、お願いだから止めて。私、皆様が楽しんでいるところをブチ壊しにしたくないんです」

「そうか、終わるまで我慢するか?」

また、私と目があった。今度は私が同情の意味をこめて目礼した。

舞台はいよいよ最高潮だった。ジュリアの神がかったバイオリンの音色はいよいよ冴え渡り「天上の調」にも聞こえるレベルだった。パヴォは私を含めた全聴衆の「気」で支えられ、恐らく世界中で彼にしかできない史上最も控えめな指揮で、名門オーケストラを自在に指揮している。

万雷の拍手の中で、最初の演奏が終わり、休憩となった。その途端、すぐさま車椅子が来て、老婦人は場外に搬送された。

後半はショスタコービッチの曲で、ジュリアのバイオリンは退場し、指揮者のパヴォがボストン・シンフォニー・オーケストラの実力を十分に引き出す番だった。

高い椅子に3分の1ほどしか腰を掛けていないため左右に転げ落ちたり、楽譜を捲る時は前につんのめりそうになりそうで、相変わらず聴衆をハラハラさせた。パヴォは、ボストン・シンフォニー・オーケストラの元常任指揮者小澤征爾などの指揮に比べれば、2割くらいのタクトの振幅しかなかったが、見事にオーケストラの実力を引き出した。カラオケしか知らない私でさえも感動と興奮の渦に飲み込まれる程の出来栄えだった。

演奏の最後は、パヴォとしてはやや大きめの振りの指揮で「ピタッ」と締めくくった。

万雷のスタンディングオベイションだった。しかし、パヴォはすぐには観客の方を振り向くことができない。介添え者に指揮台から下ろしてもらい、ようやく観客と対面することが出来た。再び、感動の嵐だった。

身体障害者のパヴォが、そのハンディを克服して指揮する様は音楽を楽しむ以上に人生における挑戦する勇気の大切さを感動的に教えて貰ったような気がした。聴衆全員が同じ思いだったにちがいない。

ジュリアとパヴォのカップルの名演奏と同時に発作を起こした老婦人夫妻のカップルが繰り広げたパフォーマンスは、私の忘れ得ぬクラシックコンサート初体験になることだろう。

増淵博士ご夫妻のご好意で、クラシックを通じアメリカ文化の一端を見ると共に、障害を克服する勇気を持つ者に対する心からの尊敬・共感をアメリカ人も持っていることを目の当たりにすることが出来た。



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