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【対談前編】検察庁法改正案、この国そのものが崩壊する危機 宮台真司×福山哲郎 5月16日

今回は、忌憚のない発言と「宮台節」で知られる、社会学者で東京都立大学教授の宮台真司さんに、検察庁法改正案とコロナウイルスへの対策についてお話とご意見を伺いました。まずは、前編をお届けします。(後編はこちら

※実際の対案の様子はこちらからご覧いただけます。

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これぞ、「宮台節」

宮台:まず最初に「宮台節」問題についてお話しします。私は、「デイキャッチ」の時代から、安倍首相のことを「安倍」と呼び捨てにしています。それは、彼が犯罪者だと確信しているからです。本来なら、「安倍」と呼び捨てにしますが、今日は福山さんのことを考えて「安倍さん」と呼ぶことにします。ただ、ネトウヨは右翼ではないため、「ウヨブタ」というような言葉遣いをさせていただきますので、よろしくお願いします。

抗議のツイート1,000万件、なぜここまで広がった?

福山:この検察庁法の改正について、まずは、500~1,000万といわれる「抗議します」というツイートの数が大きな反響となっていますが、この現象をどのようにお考えでしょうか?

宮台:「コロナなのに桜かよ」みたいなことが言われていましたが、「コロナなのに検察庁法改正かよ」という問題ですよね。本当にひどい話です。”安倍応援団”と呼ばれるインチキ知識人たちは、昔から問題になっていた公務員法の延長の話なのだと、安倍さんに翼賛する形で言いくるめようとしている。でも、公務員定年延長と検察庁法改正とは、まったく違う問題です。自分が違法なふるまいをしていることを自覚しているのに牢屋に入りたくない安倍さんが、牢屋にぶち込まれるのが怖いという理由で、揉み消しの帝王として知られている黒川広務氏を検事総長にしたくて、定年延長をした。今回は、そこの経緯があまりにもつまびらかなので、人々が怒ったということです。
 ツイッターの1,000万件の抗議件数は、計算社会科学を研究しておられる鳥海さんが、「ふくらまし」ではないということを数理的に証明しています。Twitter社が明らかするツイート数の時間的な変化を数理的に分析すると、今回のツイートには「スケールフリー性」が存在するので、Botではないということが証明されました。また、全ツイートに含まれる新規アカウントの割合が0.3%であるという点からも、ふくらまし・ばらまきではないということが証明されています。ということで、与党議員の一部やウヨブタなど、僕の提唱する”安倍〓〓舐め勢力”による「ふくらましている」という言いがかりは、その言いがかりそのものが嘘であるということが証明されました。
 安倍さんの振る舞いは本当にヘタレで卑怯です。安倍さんが一般市民であればまだしも、彼は政治家なんですよ。それなのに、牢屋に入りたくないという私的な動機だけで検察庁法を曲げる、それは本当にとんでもないことです。マックス・ウェーバーは、「政治家には市民よりも高潔な倫理が求められる」と言いました。ウェーバによれば、法を守っているだけでは国民を守れない場合にあえて法を越えてふるまうことで国民を守るのが政治家であり、その場合成功しても失敗しても法を守らなかった咎で血祭りにあげられることを覚悟でふるまうべきなのです。そのような覚悟を持つ人間だけが政治家に値する、と言っています。それに比べると安倍さんというのは何なんでしょうね?ひたすらに嘘をつき、嘘をつかせ、そのことによって人を死に追いやりながら、何とか自分の保身を貫徹してきた。違法なふるまいをしているのに、法の内側にいるのだと言い続けるという、本当に政治家の資格もない、法を破っているのだから、もちろん市民としての資格もないことをしているわけです。

福山:嘘をついてきたという話で言えば、国会で役人が虚偽答弁をさせられるような状況を作った、さらには公文書を改ざんせざるを得ない状況をも作ってきたということですね。

法の大前提が崩壊の危機?

宮台:安倍さんは、保守主義の政治家としてあるまじきことをやっています。保守主義は、フランス革命の時代に、エドマンド・バークが提唱した比較的新しい近代の思想で、例えばそこに塀がある理由が100%明らかになるまでは、塀を一切いじってはならないという主張です。一般に物事は簡単にはいじってはいけない、何かを変えるときにも少しずつ変えなければならないという発想です。法というのは、法に書かれていない前提というものを必要としていて、それを「コモンセンス(常識・良識)」で補うという形になっています。なので、法にやってよいと書かれていないことはやらないということが、特に(保守主義の)政治家にとっては大切になってきます。ところが、安倍さんは、内閣法制局長官を従来の慣行を破り勝手に変え、宮内庁長官の人事にも介入した。法律に書いていないからやってもいいんだ、と考えているわけです。これは、保守主義どころか、私に言わせると痴呆そのものです。革新の政治家だってそんなことはやらない。法には、法自体を支えているプラットフォームとしてのコモンセンスという前提があるわけで、イデオロギーにかかわらず、それを壊して法治国家が機能するわけがないんです。安倍さんは、保守主義を名乗りながらそれがわからないひどい政治家なんです。
 今、プラットフォームの話をしましたが、これはすごく大切です。もし政治家が犯罪者になり、自分の犯罪を逃れるために法を変えるということをすれば、プラットフォームが変わってしまいます。すると、そのプラットフォーム上にある我々の市民生活はぐちゃぐちゃになってしまいます。例えば犯罪者の取り調べで、「安倍を先に捕まえろよ」、「国のトップも平気で犯罪をやっているじゃないか」、「なんで俺の小さな犯罪を裁くんだ」と供述する人間が出てくることも当然ありそうです。これは実は、プラットフォームの崩壊の問題で、人々から遵法努力がなくなる可能性があるということです。
 また、揉み消しの帝王黒川が検事総長になれば、当然、政治家案件を持って行っても潰されるわけです。それだけではありません。検察庁法が改正されてしまえば、内閣がOKと言った場合にはいくらでも定年を延長でき、延長を繰り返せる仕組みになっています。そのため、政治家案件なんか立件したら俺の立場がなくなるだろう、と検察庁の長官になれる人たちも思うに決まっています。それが行政官僚というものなのです。マックス・ウェーバーによれば、行政官僚というのは、予算とポストの動物に他なりません。そうであるがゆえに、行政官僚として機能します。それ自体は、ウェーバーも私も悪いことであるとは考えませんが、だからこそ政治家が行政官僚を上手く使わなくてはいけないのです。政治家の役割とは、人事と予算の動物である彼らを、その逆機能、まずいところが出ないようにいかにコントロールするかという点にあります。

”劣等感”を利用する、安倍政権の「人心掌握術」

宮台:ところが、安倍さんは、まさにそういう行政官僚の、予算と人事の動物だという習性を利用し、とんでもないことをやろうとしている。劣等感を持った人間は、人の劣等感がよくわかるので、そこに付け込むわけです。例えば一度人事で政治家を干したとします。干した後に立てると〓がついた〓〓でも舐めるようになるんですよ=従順になります。行政官僚たちも同じように振る舞うわけです。これは、安倍首相自身が劣等感の塊であるということ、菅さんも同じような人間であることが背景にあると思います。やはり劣等感を持った人間たちというのは、劣等感を持った人間がどのように振る舞うのかということをよくわかっている。なので、非常に問題ある人身操縦をするのです。ところが、行政官僚性は、この形相を自動的に広げてしまいます。例えば、入省順位1位2位の官僚にしてみれば、自分より遥かに能力もなければ道徳的にも劣る人間たちが官邸に入って偉そうに振る舞っているわけです。すると、「なんであんな奴がのさばっているんだ」というふうになり、それまで能力もあったし倫理的にもそれなりに高潔だった人間がどんどんどんどん劣化していきます。「だったら俺も〓〓を舐めるぜ」というふうになっていくんですね。
 こうして、霞が関全体のモラルハザードが、安倍さんと菅さんによって拡大されているということが言えると思います。これは本当に大問題です。民主主義に必要な知識社会化、つまり、知恵(官僚の知恵も国民の知恵)を集めることができなくなってしまい、ものすごい勢いで墜落する可能性があります。コロナの問題を見てもわかるように、実際のところ日本はそうなりつつあります。
 日本はコロナ禍が起こる前にも、実は経済成長率が7.1%にまで下がっているという状態でした。日本は、既得権益を守るために産業構造を変えなかったせいで、経済の実力がものすごく落ちているわけです。これは、MMT(現代貨幣理論)の議論以前に、国全体の経済の実力が、もう見る影もないほどに下がってきているということです。他の国は原発事故で次々と構造改革をしたのにもかかわらず、日本だけがしていない。まだ系統を巨大独占的地域電力会社によって支配されているということは変わらない状況です。それに象徴されることだけれども、残念なことにもう日本は、個人別GDPは先進国の中で下から数えたほうが圧倒的に早いところまで落ちました。これは、安倍さん一人のせいではありませんが、安倍さんのような人が首相をやっているということに象徴される事態だと考えます。また、ある意味では、まさに安倍さんのおかげで、日本人の、あるいは、日本の組織のもともとの劣化がどんどんあぶり出されているわけです。安倍さんのおかげで、菅さんのおかげで人々が気が付くようになったということは、素晴らしいことです。だから、安倍さん、ありがとうございます。

福山:宮台さんの言われる日本社会の劣化みたいなものを国民がある程度感じていて、コロナで皆が協力をしよう我慢をしようと言っている最中に、検察庁法改正案を出してきたことによって、潜在的に感じていたものが顕在化したということでしょうか?

検察人事への介入が目的なのか

宮台:検察庁法は、広義の定年延長とはまったく別の問題です。検察庁法改正案の第22条を読んでみると、それがわかります。基本的に定年延長を内閣の恣意によって変えることはできません。規則によって変更されたものしか定年延長の事由になりません。

福山:国家公務員法に、検察はもともと適用されていなかったわけですからね。

宮台:そうなんです。ところが、それを全部書き換えて、公務の運営に著しい支障が生じると認められる事由として”内閣が”定める場合。あるいは、欠員の補充が困難となることによる公務の運営に支障が生じると認められる事由として”内閣が”定める場合。つまり、時の政治権力の中枢が”定めれば”、随時、任意に、恣意的に検事総長の定年延長ができてしまいます。どうしてこれが公務員の定年延長と同じになるのでしょうか。

福山:この基準が曖昧なんですよね。

宮台:そういうことです。その基準、つまり「内閣の定める事由」ってどう定めるんだよということです。基準を作りません、当たり前ですよ。だって、内閣が自由に、気ままに、検察の人事をいじることが目的なんだから。これを人事院規則のように定めてしまったら、検察庁法を改正する意味がないんですから。

福山:だから曖昧なままで、この間の答弁もやるということなんですよね。

宮台:曖昧なままにしなければ法改正の意味がなくなります。場合によっては、それを理由にして何か政治権力が絶対に検察によって妨げられない状況を作りたいと思っている勢力もいるのかもしれません。ここで非常に問題なのは、頭の悪い人が、検察官というのは行政官だから、行政官であれば内閣のトップが自由に人事をしていいはずだという理屈を言っていることです。検察の職員が行政官であるというのは国際標準としてはいいけれども、日本では違います。日本では起訴されると99.8%は有罪になります。それは、検察が前裁きをする段階で事実上ジャッジメントをしているからです。なので、日本の検察官は、身分上は行政官であったとしても、機能的には司法官なんですよ。三権分立の基本から言えば、内閣をチェックできるという機能を持っている、つまり司法権力と同じ機能を検察庁長官以下、トップが持っているということが非常に重要なんです。

福山:法的には、検察は唯一の公訴提起機関です。だから、裁判所に準ずる身分の保証が必要だし、一般の公務員とは違うわけですね。

宮台:そうです。司法官として機能していれば、司法官としての機能を妨げてはいけないんですよね。それが、まともに頭の働く人の考えること。安倍さんはその頭が働かない。ただ、付け加えておきたいのは、検察というのは今まで時々すごく暴走することがありました。例えば元民主党の小沢一郎さんが、国策捜査のでっち上げ調書によって、追い落とされるということがありました。そのため、検察の暴走を止めるために政治権力がコントロールするというのは当たり前なので、検察庁法改正は良いと言っている人もいますが、それは愚かなロジックです。検察の暴走がいけないとすれば、同じ理由で内閣の暴走もだめだからです。

検察の暴走、内閣の暴走、どっちが恐ろしいか

宮台:内閣の暴走はまずい、だからそれを止められない検察の機能を解除するのはまずい。しかし、だからといって検察は正義ではない。

福山:検察はすべて正義に基づいて動いているわけではないということですね?

宮台:そうですね。例えば鈴木邦男さんや佐藤優さん絡みの国策捜査は、実際に犯罪があったかどうかに関係なく、この人たちを陥れることが自分たちの国益になる、あるいは行政官僚制のためになると思いこんだ検察の暴走なんですよね。こういうのがこれからも次々と起こる。

福山:ホリエモンさんは検察の権力を抑えるために検察庁法は必要だ主張しており、Youtube上で非常に盛り上がっているわけですが。

宮台:いやー盛り上がっていないですよ。悪い人が賛同しているだけで、まともな人は、検察の暴走を止める必要があるが、そのために検察庁法を改正してしまえば、今度は内閣が暴走するようになると考えます。検察が暴走するよりも内閣が暴走することの方がもっと怖い。だって、検察を自由自在に操って、内閣の意向で検察を使って冤罪を自由自在に作りだせます

福山:そこの議論や可視化の問題は制度としてきちんと整えていき、検察の信頼性を高めていくことは日本の司法としてはこれからやらなくてはならない課題であって、この話を、今回の検察庁法改正がいいか悪いかの話にしていってはいけないということですね?

宮台:はい。黒川広務は両義的な存在で、揉み消しによって安倍内閣を守るために機能してきただけではなく、実は、検察の暴走を止めようという改革を止める役割も果たしてきたんです。そういう意味で言うと、検察にとっての論功行賞を持っている人です。

福山:三権分立も含めてそれぞれがけん制し合わないと、人間というのはそもそも愚かな存在だから、暴走してしまう。けん制し合うという話が、今この検察庁法改正では崩されようとしているということです。

宮台:行政官僚は、予算と人事の最適化を求めて動く動物です。なので、行政官僚の振る舞いはすべて予測可能になります。この予測可能性=計算可能性が実は、政治にとっては非常に大事なので、行政官僚の振る舞いはそれでいいんです。しかし、人事と予算の最適化のためには何でもするので、放っておくと暴走しますそれを、国民のためにコントロールするのが政治家の役割です。ところが、安倍さんたちは、どう考えても国民の利益を考えていない。自分の保身ばかりを考えている。つまり、行政官僚と同じような種類の人間が政治家をやっているわけです。これは、ウェーバーがもっとも恐れていた、駄目な国体なんです。これを、愛国者として憂えないわけにはいきません。

後編に続きます。ぜひご一読ください。



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