見出し画像

これは詩だ(ビーレビしろねこ社賞参加作品)

加藤万結子として最近生まれた
出生名でもなく、婚姻後のファミリーネームでもなく 
加藤万結子として生まれた
物書き、詩人、歌人の加藤万結子
自分自身が名づけて生み出した 

歌人である加藤治郎によれば
歌人は職業ではない、概念だという
実際に文筆だけでメシを食っている人以外も
歌人にも詩人にもなれるんだと思えば
それは実に力強い言葉ではないだろうか

雑多な小文を投稿しているときに
主婦のお遊びなんて辛辣なことを書かれたことがある
結社にも俗さず年齢的に遅いと
ほっといてくれ、あなたはあなた
わたしはわたしだ

煮物を煮ながら本を読むわたし
洗濯をする間に文を編むわたし
自転車で大根と切手を買いに行くわたし
静かな夜に詩を書くわたし
それはわたしが物書きだからだ

物書きには国家資格も学歴も必要ない
当然、免許もいらない
年齢制限もないし体重制限もない
容姿や振る舞いなどなど面接もない
自分で今日から名乗ることができる

わたしは加藤万結子として第二の人生を歩む
母でも妻でも嫁でもそれは一瞬置いておく
書いている時は加藤万結子なのだ
スマホからパソコンから万年筆から
加藤万結子は放たれていく

はじめまして どうかよろしく

なお、この散文に見えるものは詩だ
なぜならわたしが詩だと定義したからだ//

----

加藤万結子「これは詩だ」詩評
(しろねこ社・クロさんより @painter_kuro )

加藤さんの詩には力がある。エネルギーがある。それは「生きる」ということをとてつもなく理解しているからだ。

谷川俊太郎の有名な詩「生きる」のあまりにも有名なフレーズ「生きているということ いま生きているということ」を彼女は十分に咀嚼し、だから故に彼女の詩の「根っこ」にはそれがある。

「雑多な小文を投稿しているときに
 主婦のお遊びなんて辛辣なことを書かれた事がある
結社にも属さず年齢的に遅いと
ほっといてくれ、あなたはあなた わたしはわたしだ」
まるで決意表明のような彼女の言葉は、強烈に自己肯定せざるを得ない、人生の不条理性に対してのささやかな反抗である。

大人になると僕達は否応なしに社会の不平等さに気づく。幸運と不運の欺瞞を知る。なすすべもなく運命に翻弄される。

谷川俊太郎があるインタビューでいみじくも語ったように
「僕には「書く」より「生きるが大事でした」」

「生きる」を知る加藤さんだからこそあえて、「書く」と宣言したかったのだと思う。

だからこの詩「これは詩だ」は加藤さんだから書ける詩だ。これは大事なことだ。原点であるこの詩は大事な詩だ。
谷川俊太郎の言葉を最後に贈りエールとしたい。

「自分が宇宙の中の存在であると同時に
 人間社会の中の存在であるという二重性がある。詩を書くときは、その両方をちゃんと持っていなきゃいけない」

しろねこ社 Painter kuro

-----
谷川俊太郎「生きる」
あまりにも有名だ。もちろん好きな作品だ。教科書で読んで朗読した記憶がある。
いつ読んだか調べたら小学校6年生の教科書だった。
実に30年前だ。そして今、まさに娘が同じ時期だ。

死にたかろうが全てが嫌になろうが食欲がなかろうが喉だけは渇く。
水を飲もうとする時に
「それはのどがかわくということ」というフレーズを思い出す。
手術あとに許された水の一滴は体が繋がれていて痛みがあっても生きていることを鮮烈に痛感する。

市井の片隅の小さな営みに光を当てるような温かい講評をありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?