【私案】ぢい と てん について
コアLv▶︎▶︎▷▷▷
こんにちわ、福之助福太郎です。
今日は"おつとめ"の第二節についてですが、"理を振る"に近付く一助になれば幸いです。
以前Twitterでこんなアンケートをしてみました。
天は上にあり地は下にあるのでこの結果は納得ですが、以前右を ぢい と解釈したお話を聞いた事もあったので0%だったのは少し驚きでした。
では、それぞれの解釈について書いていきます。
右がてん 左がぢい
まず一番大きな理由としては先ほど挙げたように、
・自然において空は上にあり地面は下にある
という事かなと思います。
(余談ですが、人間の頭より上が天、足より下が地という解釈も面白いと思いました。)
諸井慶一郎さんは 左は男の理、右は女の理 とした上で、
・おつとめは原則として右主導でそれが優先される
としており、
これを教祖は 主人に用があって行って、留守のときは家内に言うておけば用が通じるやろ、それと同じ理や、と仰ったそうである。
と説明されています。(『てをどりの道』正道社、2016年、298頁)
右がぢい 左がてん
右がぢい と捉える一番の理由は先ほど触れた、
・左は男の理、右は女の理
と言われるところではないかと思います。
また、
・元初まりの話において 'いざなぎのみこと' と 'いざなみのみこと' の宿し込みの時点では、まだ海山も天地も日月も区別できる段階ではない。
・天と地が逆転する手振りでも問題なく、むしろ泥海を表す手振りとも言える。
というのも面白い解釈だと思います。
(ちなみに以前聞いたお話は、右がぢい と解釈して「実は男は下から支えるべきとも言えるのではないか」という内容でした。)
右が てん 左が ぢい とする解釈は諸井慶一郎さんの説明で十分だと思うので、ここからは 右が ぢい 左 が てん という解釈もできるのではないかと思うポイントについて書いていきます。
天 と 地 について
天と地について『改訂 正文遺韻』(1953年)には、
てんは、にんげんのせいじんにおうじて、だん/\たかくはなれ、てんじたものゆゑ、てんといふ、ちいとは、もと/\より、ぢいとしてあるものゆゑ、ぢいといふ。(234頁)
とあり、手振りを見ると上に上がるのは右手ですが、転じる動きをするのは左手のように感じます。
また、天と地 ではなく 地と天 という事について、
ぢはぢっとしていたのでぢいと言う。天はてんじたのでてんと言う。そこで天地と云わず地と天と言わしてあると。
諸井慶一郎『てをどりの道』(正道社、2016年、298頁)
とあり、
でも書きましたが、『泥海古記について -中山みきの人間学-』(赤心社、1979年)には、
天はもともと上にあがっているものです。地は下に下っているものです。天地では上と下が離れていて、永久に交わらない。交わらないところからは何物も生まれてこない。
(中略)
地は下に沈もうとするもの、天は上に昇ろうとするもの、だから、下に沈もうとするものと、上に昇ろうとするものとが、「地天」ならば出合います。そこで天地が交わって、ものが生まれるわけです。すべて生産というものは交わりからおこる。(31-32頁)
とあります。
仮に、ぢっとする動きと転じる動きの手振りはそのままで上下の動きだけ入れ替えると、指の腹がどちらも外側を向くので上述の天地の交わりにはならないように感じます。
このように見ていくと ぢいとてん の手振りは、地歌がてん→ぢい ではなく ぢい→てん であるのと同じく、その順序を表す手振りとも言えるのではないかと思います。
かたどりて 問題
少し話は逸れますが、先ほど触れた
・宿し込みの時点では天地の区別はまだできない状態
について、
・天地の区別ができないのに かたどりて となるのは「元初まりの話」と第二節に矛盾が生じる
というのも時々話題に上がるかと思います。
つまり
元初まりの話:宿し込み→天地
第二節:天地→宿し込み
と、順序が逆で話の辻褄が合わなくなるというものです。
これについて、「かたどる」の漢字を
象る:ある形に似せて作る
ではなく
方取る:一つの方面にのみ心を向ける
という字を当てる事によって、
宿し込み→天地
の順番で整合性がとれる、とする解釈もあります。
しかし個人的には、第二節の ぢい と てん は
このよふのぢいと天とハぢつのをや
それよりでけたにんけんである
「おふでさき」第十号五十四
に出てくる ぢい と 天 と同義で、
この世の元初りは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、
(『天理教教典』25頁)
と出てくる月日、すなわち "くにとこたちのみこと" と "をもたりのみこと" を指すように感じます。
そう解釈すると「元初まりの話」も第二節も、
月日→宿し込み
の順序を示していると思います。
手振りに見る宿し込み六台
ぢい:日様・をもたりのみこと
てん:月様・くにとこたちのみこと
を表す手振りとして第二節の宿し込みに関する部分を考えると、
このよの:月(水・海)と日(土・泥)
ぢいと:をもたりのみこと [両指が下向きで ぢい]
てんとを:↑ + くにとこたちのみこと [左の指が上向きに転じる]
かたどり:くにさづちのみこと [繋ぎの手]
て:月よみのみこと [突っ張る手]
ふうふ:いざなぎのみこと と いざなみのみこと [宿し込みの手]
とも言えるのではないかと思います。
ふうふ について
「元初まりの話」では、
月様(くちとこたちのみこと)→いざなぎのみことの体内に(+"月よみのみこと")
日様(をもたりのみこと)→いざなみのみことの体内に(+"くにさづちのみこと")
と入り込んで宿し込むので、
ふうふ:右が突く手、左が受ける手
とすると
右が ぢい 左が てん とは矛盾しそうですが、「十全の守護」の配置では
北
くにとこたちのみこと
いざなみのみこと
いざなぎのみこと
をもたりのみこと
南
なので第二節の手振りが、
ぢい
をもたりのみこと [右手]
いざなぎのみこと [右手]
ふうふ
いざなみのみこと [左手]
くにとこたちのみこと [左手]
てん
を表しているとも解釈できるように思います。
最後に
今回は第二節の手振りについて書きましたが、大切なのは正解を見つける事ではなく(見つけようがありませんが)、いかに'おつとめ'に心を込めて"理を振る"に近付くかという事だと思います。
ざっくりと書いたので説明不足な部分もあるかと思いますが、その為の一助になれば幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?