『ごめんね青春!』第8話をレビューする

■第8話「息子が女子? 合併解消! ついに告白!」(2014.11.30 OA)

いやあ、いわゆる「神回」ってやつだったのではないでしょうか。

ドラマのレビューをする際に、制作の舞台裏を勘案に入れるのは無粋またはルール違反、と思われる向きもあるかと思いますが、この第8話はクドカン自身が傑作だと自負しながらも、当初、放送尺を大幅にオーバーする脚本を書いてしまい、数十分にわたる分量を泣く泣く削った、とラジオで明かしていたいわくつきの回です。

今回、これまで漠然とゲイだと認知されていた村井 守(小関裕太)が、正確には「性同一性障害」であることが明かされます。

りさ「村井くんは、性同一性障害と思われます。生まれながらの身体的性別と自己意識、つまり、体と心の性別の不一致からくる違和感に悩まされているんです」

同じTBSの『3年B組金八先生』(2001-2002)で、上戸彩演じる鶴本直が性同一性障害の生徒をセンセーショナルに演じてから10年。
その認知度や理解は、10年前からは格段に前進しましたが、「知る」「わかる」ことと、それを「認める」「受け入れる」ことにはまだまだ隔たりがあります。
そこに横たわる、旧来のジェンダー規範や家父長制の根深さを体現する存在として描かれるのが、守の父であり、とんこーの理事長でもある晋太郎(津田寛治)です。

彼は、“息子”の守が、三女の制服を着て通学していることを知り、激怒します。

晋太郎「10日もあんな醜態さらしたのか」
   「人の息子のこと女っつったかこの野郎!」
   「男なら男らしくふるまえ。女の真似なんかするな。これ以上父さんに恥をかかせないでくれ」

こうした数々の暴言に表れているように、自分の子供の性指向を「醜態」「恥」と言い切り、「男なら男らしく」というジェンダーロールを押し付ける晋太郎は、トランスジェンダーへの典型的な無理解を象徴する“古い人間”として、最初はステレオタイプな“悪役”として描かれます。

「守くんと正式に付き合っています! 好きです! 守くんは僕が守ります!」という半田(鈴木貴之)の頼もしい宣言もむなしく、晋太郎は理事長権限で合併の中止、共学クラスの解消、合同文化祭の中止を言い渡してしまいます。

合同文化祭だけは絶対に実行できるように交渉する、と息巻く平助(錦戸亮)は、りさ(満島ひかり)と一緒に村井の家を訪れますが、そこで見たものは、不似合いな女装をする晋太郎の姿でした。

性同一性障害について手に入る本は片っ端から、100冊は読んだという晋太郎。

晋太郎「でもね、まっっっったく理解できませんでした。そのうちだんだんこっちが馬鹿にされてるような気がしてきて。そんなこともわかんねえのか、この石頭って

この台詞は、自分の理解が及ばないものや、自分が知らないうちに踏みつけていたマイノリティに対して、なぜか“自分が責められている/脅かされている”ような気持ちになって被害者意識を持ってしまうマジョリティの心理をうまく表しています。

しかし、彼の偉いところは、“理解できない”で思考停止するのではなく、少しでも息子の気持ちを理解しようと、自ら女装をして近所のマックスバリュに買い物に行ってみたことです。顔なじみの店員に何度も見られて、ものすごいストレスを感じたという晋太郎。

晋太郎「それで、ハタと気付いたんです。守が感じていたストレスも、これと同等だったのかって

待望の男の子が生まれて、理想の親子像を押し付けてきたという晋太郎。しかし、守にとって“男の子”を強要されることは、自分が女装するくらい苦痛だったことに彼は気付いたのです。

晋太郎「本100冊読んでわからなかったことが、マックスバリュ行ったらわかりましたよ

名言です。自分の立っている位置から理屈をもてあそぶのではなく、相手の立ち位置に立って実感してみることの大切さを、彼は悟ったのです。

この後、平助は、守と晋太郎を学校に呼び出し、ダメ押しの授業をします。
ケースは『ロッキー・ホラー・ショー』だが、中身は『稲川淳二の怪奇ホラーショー』のDVDを見せて、これが現在の守の状態だという平助。
稲川淳二にロッキーの服を着せ、ロッキーらしくしろと言っていたのが晋太郎であり、守はいわば「嫌だな〜、ロッキーじゃないのにな〜、怖いな怖いな〜」と思っている稲川淳二なのだと、説明します。
シリアスで説明的になりがちなシーンを、どこか間の抜けた喩えとやりとりでズラし、「もっといい喩えはなかったんでしょうか」とシスター吉井(斉藤由貴)にツッコませる流れは、クドカンテイストの真骨頂とも言えるでしょう。

平助「見た目と中身、どっちも大事です! 見た目が中身を作り、中身が見た目を選ぶ。村井は、中身が女の子だから、見た目もそれに近づけたいわけだろ?」
守「はい。心に合った体とか、心に合った服装がしたいです

ここで、守と晋太郎が無事に和解してめでたしめでたし。
普通なら、そういう大団円にしてもよかったはずです。
しかし、この後にあえて付け加えられたやりとりに、私は唸らされました。

しかるべきケースに収まった稲川淳二のDVDを尻目に、中身を抜かれた『ロッキー・ホラー・ショー』の空のケースを手に取り、いつまでも釈然としない表情でうつろに眺めている晋太郎。
彼は、うわごとのように、こうつぶやきます。

晋太郎「これの中身がどこに行ったのか、どうしても気になって…

『ロッキー・ホラー・ショー』の空のケース。
それは、彼が愛情を注いで育ててきた“男の子”としての守(つまりそれは自分自身の投影でもある)であり、彼がこれまでしがみついてきた“男は男らしく”という規範でもあります。
拠り所にしていたもの、信じて疑わなかったものが“本当は中身がない”と言われたとき、私たちはすぐにはその空のケースを手放せず、中身を探し続けてしまうのです。

本を100冊読み、自分が女装までして、すでに守の性指向のことを理解し、十分“わかって”いるはずの彼は、それでもこう叫ばずにはいられません。

晋太郎「わかってたまるか! 守は男の子なんだよ。生まれたときからずーっと男の子なんだよ。始めに抱っこしたの私だから。出産立ち会いましたから。そんときちゃんと付いてたんだよ。だから守は、こっちに入るはずだったんだ。そんなの、わかってたまるか!

私には、彼の悪あがきにも聞こえるこの叫びが、ジェンダー規範を内面化し、すでにアイデンティティそのものと分かちがたく結びついてしまったすべての男性たちの、悲痛な心の叫びそのものであるかのように聞こえます。

私たちは、自分が拠り所にしてきた規範の外にいる存在や、規範を無効化しかねない存在のことを、わかりたくないのでしょう。わかっているけど、わかりたくない。
わかってしまったら、自分自身の存在まで否定されてしまうような錯覚に陥っているから。だから、「わかってたまるか!」なのです。
そうして、いつまでも空のケースにしがみつく。

しかし、晋太郎も最後には空のケースを机に置きます。そして、「パパ、ごめんなさい」と号泣する守を見て、こう言うのです。

晋太郎「いいよ、謝らなくて。お前は全然悪くない。むしろお前に礼を言いたいよ。守、今まで息子のフリしてくれて、ありがとうな

不覚にも、私はここでちょっと泣きそうになってしまいました。
晋太郎を、ただの“無理解を反省する悪役”として描くのは簡単です。
しかし、彼もまた“救われるべき苦悩する存在”として描かれたことを、私は素晴らしいと思いました。

東京でかつてのクラスメイトたちと会った中井(黒島結菜)は、「男らしくとか、女らしくとか、そういうの捨てるために合併してたんじゃん」と言いました。
合併しなくても運営資金を調達できるとわかったシスター吉井は、それでも「もう伝統とか名前とかいらない」から、積極的に合併がしたいと言いました。
つまり、三女ととんこーの合併とは、一見“結婚”のメタファーのようでありながら、実は男と女の分断をやめ、必要以上に強いられている“男のフリ”“女のフリ”からお互いを解放し、村井守のような存在がただの同じ“人間同士”として共生できるようにするための、自由を獲得する試みでもあったのです。
無用な“男のフリ”“女のフリ”をやめたとき、果たして私たちはお互いを“騙してごめんね”ではなく、“幻想を見せてくれてありがとう”と言い合えるでしょうか。そうであればいいなと思っています。


■第8話その他の見どころ

・冒頭で「この家によくないことが起こる」と予告するみゆき(森下愛子)。「嫌だな〜、なんか嫌だな〜、怖いな怖いな〜」という稲川淳二の口調は、後半でちゃんと伏線として回収されます。

・クラスに重たい空気が流れるなか、手を挙げる海老沢(重岡大毅)を「はい、からくり人形」と指すシスター吉井。もう誰もツッコまないし、本人も受け入れてるのが妙にシュールでおかしいです。

・前回、感情をむき出しにしてキレた平助に、阿修羅像のような二面性とギャップを感じて恋に落ちたりさ。「もう会えないのかなあ、阿修羅の原には」と言うりさに、淡島(坂井真紀)が見せたのは「阿修羅・原」。天龍源一郎とのタッグで、全日本プロレスの一時代を築いたプロレスラーです。クドカン、これがやりかったんですね・笑

・淡島が体育教師の富永(富澤たけし)と付き合っていると知って驚くりさ。「だって、ここだけの話、トミーって…」と言いかけたときに、平助が保健室に入ってきて会話は中断してしまうのですが、トミーって…なんなんでしょうか。気になる!

・菩薩像に手を合わせてなにやらつぶやいていた平太(風間杜夫)。みゆきいわく、再婚することを報告していたそうですが、菩薩像がみゆきの姿に見えているのは、平助だけのはず。なぜ平太が菩薩像に再婚を報告するのかは、次回、何かが明かされそうです。

・転校してたった一週間で、東京に染まって感じの悪いキャラに変貌していた中井。あの感動の別れを描いた前回から、平気でこういうシーンを書いてのけるのがクドカンのすごいところなんです・笑。しかし、それも久々に会う緊張から「東京に馴染んでいる風」を装っていただけだということがわかり、一同はひと安心。ビルケン(トリンドル玲奈)の「ギスギスしてなきゃ会長じゃないよ! ギスギスしてろよ!」は、『あまちゃん』での「めんどくさいユイちゃん、おかえり」を彷彿とさせ、思わず「ギスギスしてる会長、おかえり」と言いたくなりました。

・りさがついに、平助に一世一代の告白! しかし、道の真ん中だったために両方から車がきて告白がグズグズになったり、「あんたのためじゃない。これ、私の告白です。うぬぼれなさんな!」(2回出てくる「うぬぼれなさんな!」は、2010年の『うぬぼれ刑事』からのインスパイアでしょうか)と悪態をついたりするなど、クドカンらしい“照れ隠し”にあふれた告白シーンとなっています。

・『ロッキー・ホラー・ショー』は1975年のイギリス映画で、同名のホラー・ミュージカルを映画化した作品。いわゆる“カルトムービー”の代表格とされ、コアなファンの間では、観客がコスプレをしたり、物語に合わせて台詞を叫んだりライスシャワーを投げたりする、観客参加型の上映会が定番。平助の「いろんな性癖の人が出てきてためになる」という雑な説明は、あながち間違いではありません。

・女装して守の気持ちを理解しようとする晋太郎のシーン、ロッキーと稲川淳二で性同一性障害の状態を喩えた授業シーン、りさらしく気持ちをぶつけた告白シーンなど、第8話はベタに陥りがちなところをうまく先延ばしたり、恥ずかしいところを先回りして登場人物にツッコませたりと、クドカンの筆致が冴え渡る名シーンの連続。「妖怪・先延ばし」と「妖怪・先回り」とは、他ならぬクドカンのことかもしれません。


■第8話の名台詞

晋太郎「本100冊読んでわからなかったことが、マックスバリュ行ったらわかりましたよ」

(守の気持ちを理解しようと女装をしてみた晋太郎が、他者の相互理解の本質を鋭く突いた台詞)

その他の名言候補
・淡島「恥ずかしながら近頃…リア充(みつる)でございます!」
・半田「守くんと正式に付き合っています! 好きです! 守くんは僕が守ります!」
・吉井「もっと、いい喩えはなかったんでしょうか」
・晋太郎「守、今まで息子のフリしてくれて、ありがとうな」
・サトシ「ソースかけないで、そのまま食ってみ」
 平助「(一口食べて)…うん、ソースかけたいね」
・ビルケン「ギスギスしてなきゃ会長じゃないよ! ギスギスしてろよ!」
・りさ「うぬぼれなさんな!」

■この記事は投げ銭制です。これより先、記事の続きはありません■

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