『ごめんね青春!』第5話をレビューする

■第5話「仲間のため学校のためプライドを賭けて走れ!運命の駅伝スタート!」(2014.11.09OA)

りさ「初めて心を許した相手を生涯かけて愛し、添い遂げることが幸せなんです

私は不勉強ながら、厳格なカトリックにおける恋愛観、結婚観をよく知りません。実際、時代によっても教義の解釈は刻々と映り変わってきたでしょう。
しかし、少なくともこのドラマの中で、りさ(満島ひかり)は“運命の相手と生涯添い遂げること”を宗教規範としてなによりも重視し、それを“恋愛をして相手を好きになること”という個人の感情よりも優先すべきだと考えていることがわかります。
しかし、そのせいで彼女の恋はちぐはぐで、おかしな迷走をすることになります。

りさ「結婚はするんです、それは決定なの。問題なのは、好きじゃないってこと、相手のことが。好きじゃないのに、好きって言えないでしょ? でも、好きって言わないと、好きな気持ちは伝わらないでしょ」

りさは、“ハートの吊り革”という天啓(それがはたから見てただの迷信であったとしても)によって平助(錦戸亮)に一方的に運命を感じ、彼を異性として意識するよりも前に結婚を決める、というねじれた決断をしてしまいます。
外から与えられた規範と、自分の内なる感情が衝突を起こして、折り合いがつかなくなっているのです。

りさ「今の私には、聖書の言葉も、そらぞらしく思えて仕方ないんです」

“結婚したい相手のことが好きじゃない”という圧倒的な理不尽と不条理を前にして、今のりさに聖書の言葉という“正論”は役に立たないのです。

一方で、生徒の古井(矢本悠馬)もまた、悩みを抱えていました。
彼がビルケン(トリンドル玲奈)と交際していることに嫉妬した西高生たちによって、彼は電車の中で暴行を受けてしまいます。
しかし、警察が学校にくるほどの事件だったにもかかわらず、“昔気質のヤンキー”という自分で勝手に背負ったキャラを守りたい古井は、暴行を受けた事実を認めようとしません。

古井「ざけんなコラ、俺のメンツ丸つぶれやんけ!」
吉井「あなたのメンツなんて、知らない!」

吉井校長(斉藤由貴)にとって、これはれっきとした暴行事件ですから、きちんと被害届を出して警察に対処してもらうことが当然の“正論”です。
しかし、“キャラ”という規範を内面化している古井にとって、“ヤンキーのメンツを守ること(規範に従うこと)”は、はたから見たらただの不条理であっても、“正論”の正しさより優先するべきことなのです。

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私たちはときに、たとえわざわざ損をしたり労苦を背負い込んででも、合理性や理屈、正しさや正論より、自らが内面化した“不条理な規範”のほうを優先させようとします
これを第5話では、メンツ(面目、体裁、世間体)やhonor(名誉、誇り、信用)といった言葉で説明しています。

古井は、“ヤンキーキャラ”の他にももうひとつ、この“不条理な規範”を抱えていました。
それは、彼が実は三島市のご当地キャラ「みしまるくん」のスーツアクターであり、その仕事に誇りを持っているということ。
そして、子供の夢を壊さないために、自分がその「中の人」である事実を決して口外してはいけないということです。

東高と三女の合同クラスの生徒たちは、古井に暴行した西高生に一矢報いるために、地元のイベント“箱根まで駅伝”で勝つことによって古井の仇を取ろうとします。それは、足の速い古井が参加してこそ勝利できる競技であり、彼らなりの心憎い意趣返しでした。
ひとりの男子生徒のために、女子が初めて男子と手を組み、自主的に団結しようとする姿に、平助も感動を隠しきれません。

ところが、古井はそのイベントで「みしまるくん」としての仕事が入ってしまうというダブルブッキングを抱えます。
悩んだ末にやけになった彼は、半ばわざと警察沙汰になって停学処分を食らうことで、駅伝への出場を辞退。
つまり、クラスの団結より、西高に勝つことより、みしまるくんとしての勤めを果たすという彼にとっての“メンツ”を選ぶのです。

「俺は出れないけど、お前らには俺の仇を取ってほしい」と、自分抜きでの出場を望む古井に、クラスの生徒たち、特に女子は猛烈に反発します。
当然です。元はといえば古井のために出場を決めたこと。ただでさえ古井が走らなければ勝てないとわかっているのに、その古井が停学処分といういわば自業自得で参加できなくなったのですから、自分勝手にもほどがあります。

生徒会長の中井(黒島結菜)は、その持ち前の正義感と公正さで、古井と、彼をかばう平助を責め立てます。

中井「参加するなら最後までやらなきゃ意味ないと思います。途中でやめるなんて無責任だし、理由もちゃんと説明できない古井君を、先生がなんでかばうのか、腑に落ちません

ぐうの音も出ません。その通りです。彼女の言い分は、息苦しいほど圧倒的に正しい。異論の余地もありません。

あるいは、古井がみしまるくんの中の人である、という事情を正直に説明すれば、おそらく中井や他の生徒たちは、彼を許してくれるでしょう。
しかし、それは三島市との間で取り決められた契約(まさに理不尽な“大人の事情”です)によって、家族や恋人にも明かしてはいけない秘密。
そのことを知る平助も、生徒たちに本当の理由を話すことはできません。腑に落ちない理不尽を押し付けることしかできないのです。

りさ「腑に落ちないくらい我慢しなさい、青春なんだから!

結局、平助の意を汲んだりさ(しかし彼女もまた本当の事情は知りません)のこの一言によって、生徒たちは半ば無理矢理納得させられます。

子供の正論の前に立ちはだかる、大人の事情という理不尽。
クラスの友情と団結を貫くという“正しさ”が何よりも優先される青春ドラマのセオリーをねじ曲げてまで、“現実では腑に落ちない不条理が優先されることもある”ということを、クドカンはあえて描いて見せたのです。

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平助は言います。
西高と比較され、常にバカにされてきた東高生は、卑屈で自虐的になり、これまでメンツを持つことができなかった。
しかし、今では男子がバカにされたら、女子が腹を立てるようになった。共学クラスになって、メンツが生まれた。
すなわち、男子のメンツを守ることは、女子のメンツを守ることでもあるのだ、と。
だから、聖駿高校(男女共学後の校名)のメンツのために、古井がいなくてもみんなで駅伝に出場しよう、とつながるわけですが、正直、彼のこの説得は、理屈としては相当に無理があるとしか言いようがありません。

しかし、このドラマにおいて“男女共学・合併”が“結婚”のメタファーであるとするならば、平助の苦しい言い分は、男と女を連帯させる恋愛感情、または結婚制度というものが、正しさとは別の不条理な規範、いわば“共同幻想”によってしか成立しないものである、と言っているようにも聞こえます。

“ゆるキャラの中身”という、三島のご当地キャラをうまく織り込んだ、一見ほのぼのとしたネタを扱っていながら、第5話は、私たちがこだわりしがみつこうとしている名誉や誇りといった“メンツ”が、実は着せ替え可能な“着ぐるみ”によってもたらされたものであることを示唆しています。
つまり、ヤンキーキャラも、カトリック規範も、ジェンダーロールも、おそらくは外からかぶらされ、あるいは自らかぶることを決めているだけの、不条理な“着ぐるみ”なのです。


■第5話その他の見どころ

・“人格がキャラに縛られる”という題材は、2011年のクドカン脚本のドラマ『11人もいる!』で先行して描かれています。
真田家の四男・四郎(平岡拓真)は、学校でクラスメイトからいじめられているにもかかわらず、自分では単に“いじられキャラ”だと思っており、いじめられている自覚がありません
「ただのキャラなのに」「そのほうが楽だから」と言う四郎に、父の実(田辺誠一)は、「“キャラ”とは“殻”のことでもあるのではないか」と指摘し、「キャラも殻も自分で破ることができる」と言います。
結局、いじめの主犯格と河原で無理矢理決闘させられた四郎は、本気で殴り合うことで自分の殻=キャラを打ち破り、いじめっ子とも友情を形成する、という結末になるのですが、今作で古井は、逆に“ヤンキーキャラ”や“みしまるくんを演じ切る”という殻を守ることに自我の意義を見出しているのが興味深いです。

・三島市のご当地キャラ・みしまる子ちゃんがビキニを着ていることに気付いたりさに、淡島(坂井真紀)が言った「さーて、乳頭の色は?」は、往年の『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』で、パーソナリティーの鶴光がリスナーの女性に電話で尋ねたお決まりの質問。

・ヤンキー口調の古井の言葉遣いが移ってきているビルケン。そればかりか、神保(川栄李奈)に「あんた、こいつと付き合って日本語下手になってね?」と言われてしまいます。ドイツと日本のハーフなのに、アルバイトという単語が出てこず、遠藤(富山えり子)に「アルバイトって…ドイツ語じゃね?」とツッコまれる一幕も。
ちなみに、トリンドル玲奈は正直これまで役者としての活躍は目覚ましくありませんでしたが、このビルケン役は彼女の新しい魅力が開花したハマり役のような気がします。

・今まで好きになった男性の記憶を思い起こし、「長州とか、天龍とか、ヒクソンとか」と答えるりさ。どうやら格闘技ファンのよう。淡島には「服を着てる人はいないの?」とツッコまれます。

・一平(えなりかずき)と淡島が密会していた焼肉店は、なぜか蒲田にある炭火焼肉食道園。そして、そのことを調べていたら、このドラマのロケ地を割り出しているこんなサイトを見つけてしまいました。
http://loca.ash.jp/info/2014/d201410_gomenne.htm

・平太(風間杜夫)に「平助に勧めたことあんだよ、あんたのこと」と言われたときの「え、なに勝手に、やだ、なにやだ、もう」というりさのリアクションがかわいすぎます。満島ひかりは最初、クドカン作品に要求される演劇的・漫画的な演技に全然マッチしていなくてどうなることかと思いましたが、彼女は与えられた台詞を自分のリズム感に取り込んで独自の“ゆらぎ”を持たせるのが抜群にうまいですね。

・「まんざらでもない」という言葉の意味をスマホで検索するりさですが、「まったくだめというわけでもない。必ずしも嫌ではない。また、かなりよい」という辞書の記述(おそらく実際のgoo辞書が出典)に、「はあ!?」とキレ気味です。たしかに、はっきりしなくて何が言いたいんだかわかりません。

・“カバさん”ことカバヤキ三太郎の声を電話口で聞いたりさに、一発で「校長?」と指摘されてしまう三宮校長(生瀬勝久)。しかし、なんとかその場を取り繕い身バレを回避します。ちなみに、相手に一方的にしゃべられるのを極度に嫌うカバさんが、りさ、りさの父親と連続で一方的な電話を受けて叫んだ「なんて日だ!」は、お笑い芸人バイきんぐ小峠の持ちギャグ。

・前回ラスト(今回冒頭)の淡島への鬼気迫る壁ドンといい、今回の「エレナっちょーーー!」と叫んで頭から水をかぶるシーンといい、一平の言動は“えなりかずきいじり”とでも言うべきものになっています。
このドラマは、同じTBSの『渡る世間は鬼ばかり』によってえなりかずき自らが囚われてきた“えなりかずき像”の呪縛を断ち切り、いわばえなりかずき自身に“えなりかずき殺し”をさせることによって、彼を生まれ変わらせようとしているのかもしれません。そして私は、“えなりかずき”と繰り返すのがおもしろくなっているだけなのかもしれません。

・体育教師・富永(富澤たけし)が、足を骨折する=運動能力(男性が誇示できる特権的能力の象徴)を剥奪されることによって、アイデンティティ(自尊感情)を失ってひがみっぽくなり、「走りたくたって、走れない人もいるんだ」「並んで走れる人は、幸せですよね」といった被害者意識の強い自虐的な台詞を言うようになるのが面白いです。
彼は、セクハラ発言をされた淡島をかばったりする正義感の持ち主ですが、それは失われた運動能力の代わりに、“男が弱い女を守る”というマッチョな思想を実践することによって、自分の男性性を誇示する手段の穴埋めをしているにすぎない、と解釈することもできそうです。今回はついに、女子校のイケメン枠のお株を奪われがちな平助に対して、「いい気になってんじゃねえよ」という邪悪な台詞を投げかけます。

・みしまるくんは2011年に三島市制施行70周年を記念するマスコットとして一般公募で選ばれた、三島市の実在するご当地キャラ。ちなみにオンエア時、みしまるくんのwebページは、しばらくつながりにくい状態が続いていました。
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/mishimaru/

・古井をスカウトしたご当地キャラ専門のスーツアクター・中野さんを演じるのは、中川家のお兄ちゃん・剛。ちなみに、彼がかけもちしているという設定の栃木県の「とち介」、宮城県の「ざおうさま」、岡山県の「でんちゅうくん」、そして香川県の「とり奉行 骨付じゅうじゅう」は、いずれも全て実在するご当地キャラです。

・(※11/16追記)中川家・剛のキャスティングについて、知人から指摘がありました。なんでも、ジャニヲタ界隈では昔から平助役の錦戸亮が、中川家・剛に似ていると言われており、今回はそれを知ってのあえてのキャスティングだったのではないかと噂されているそうです。あの“へにゃっ”とした笑顔が似ているのだとか。本当に狙っていたのだとしたら、やりますね。

・みしまるくんの担当スケジュールが、中野のNから、古井のFに増えていっているのは、同時期に放送されているドラマ『Nのために』と『すべてがFになる』にかけているのでは、という指摘をTwitter上で発見しました。
https://twitter.com/munemaiken/status/531559417662042112
N(中野)のために、スケジュールすべてがF(古井)になる…ってこと? 本当にそこまで狙ってたのか? できすぎてない?

・これまで観音菩薩像が母・みゆき(森下愛子)に見えていたのは放火の罪を抱えた平助だけだったのに、淡島と道ならぬ関係に陥ってしまった一平にも、今回初めてみゆきの姿が見えるようになります。
https://twitter.com/kamitonami/status/531432898453188608
このことはライターの木俣冬さんもツイートで指摘されているように、罪を犯した人間にだけ母が見えるというわけです。こういう仕掛け作りが、本当にクドカンはうまいなあと思います。自分の罪悪感を咎める存在でありながら、同時にそんな自分を慰めて自己憐憫の気持ちを満たしてくれるのもまた“母性”である、というのが秀逸です。
レビュー記事でドラマの今後の展開を予想してしまうのはきわめて野暮ですが、おそらく礼拝堂焼失の犯人は平助ではなく、その真相が明らかになって罪の意識と青春時代の悔恨から訣別したとき、彼の目に母・みゆきは見えなくなるのではないでしょうか。


■第5話の名台詞

一平「一休さんでいい! 君の心の中の虎を、屏風から出してやる!

(一平のことを一休と呼び間違え、これ以上2人で会うことはできないという淡島に対して、一平がオラオラ系のノリで迫ったときの台詞)

その他の名言候補
・みゆき「ちなみにこれは…流しドンです」
・淡島「服を着てる人はいないの?」
・みゆき「一平の嫁・エレナの赤裸々な告白は、とても日曜9時のお茶の間に流せるものではありませんでした」
・吉井「なぜ鳴りもしない電話に出たのかはよくわかりませんけど」
・遠藤「アルバイトって…ドイツ語じゃね?」
・みゆき「生まれながらにして三島以外では生きられない、哀れな妖精です」
・中野「ゆるキャラが、てめえでてめえのゆるさを自覚しちゃったら、おしまいですから」

■この記事は投げ銭制です。これより先、記事の続きはありません■

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