見出し画像

私の嫌いな 教育界の言葉(3)「おともだち」

私は、「おともだち」という表現を、一度も使ったことがない。
使うとしても、「ともだち」だ。
「おともだち」なんて、気色悪くて使いたくない。
低学年の担任だったとしても、絶対に使わなかっただろう。

世の教師は、「みなさん」の代わりにこの言葉を使うことが多い。
「はあい、じゅんびができたおともだちは、手をあげてみてくれるかナ~?」
こういう使い方、私は絶対にしない。
なぜ、単に「みなさん」や「人」と言わずに「おともだち」なんて言うの
か。
どうしても違和感がある。
私なら、こう言う。
「はい、じゅんびができた人、手をあげてごらんなさい」

だって、おかしいじゃないか。
なぜ最初から「みんな友だちだ」と決めつける?
1年生だって、わかっているはずだ。
◯◯太はキライ。◯◯子はイヤだ。
そういう相手は、必ずいる。クラスに数人、絶対にいる。
それが、人間集団の自然なありようだ。
なのに教師は、「全員がお友だちだ」と決めつけてかかる。
「みんな仲良しお友だち」。
私は、こういう思想が気に入らない。
これは、ある意味でマインドコントロールだ。
つまり、「友だちとは思えない子をも、友だちと思うべし!」という思想の
押しつけだ。

私は、3年生の子どもたちによくこう話した。
「先生はね、"みんな仲良く"っていう言葉が嫌いなんです。みんな=全員が、ほんとうの意味で完全に仲良くなれるなんてことは、あるはずがないんです。わかるよね? だれだって、すごく好きな友達、まあまあ好きな友達、普通の子、ちょっと嫌いな子、かなり嫌いな子、というように、いろんな気持ちを持っているはずですね。そういう気持ちを持っていること自体は、ふつうのことなんです。だから、あいつは友だちなんかじゃない、と思うような子がいても、別にいいんです。好きな人、嫌いな人がいるのは、当然です。先生にだって、今も、嫌いな人がたくさんいます」

ただし、さらにこうつけ加えた。
「ただし、ただしね。せっかくこうして同じクラスになった30人なんだから、できれば仲良くした方が、気持ちよくすごせるよね。みんなは、考えたことないかもしれないけど、みんなはただ単に、"近くに住んでいる"という理由だけで、こうして同じクラスに集まっているんです。知っていましたか。不思議だね。たまたま同じ年に生まれて、たまたま同じ地域に住んでいたという理由だけで、同じ教室に集まっているんです。ほんとに、偶然なんだよ。もしかしたら、一生出会うことがなかったような人たちが、今、きみたち1人1人の周りに、座っているんです。せっかくの出会いだからね。仲良くなれたら、そのほうがいいよね」
「でもね、全員と、いっぺんに仲良くなろうとする必要なんて、ないんだよ。先生は、一番の仲良し="親友"っていうのは、1人いれば十分だと思ってるんだ。だから、今、1人でも、仲のいい子がこの中にみつけられるなら、それでいいんだよ。こういう歌があるけどね。♪とっもだっち100人でっきるっかな♪ 100人も友だちがいる人なんて、この世の中、おそらく1人もいません」
そうは言っても、そのたった1人の友だちをもみつけられない子がいる。そういう子に、本当の「友だち」をみつけるチャンスを作ってあげるのは、教師の仕事の1つである。

まあなにはともあれ、学校という場は、「小社会」である。
好きな人も嫌いな人もいる、社会の縮図。
それを、妙な「理想郷」に見せる幻想の強要だけは、やめてほしい。


この記事は「小学校教育が危ない!」のログです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?