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類似したものごとの相違点(4)「戦う」と「闘う」はどう違う? ~ #箱根駅伝 が面白い理由~

箱根駅伝は「戦い」と「闘い」のバランスがよい。だからこそ面白いんだろうな――2日間の箱根駅伝を見ながら、私はそう思いました。

国語審議会漢字部会 「異字同訓」の漢字の用法(昭和47年6月28日)によれば、次のような書き分けが示されています。

たたかう
戦う─ 敵と戦う。
闘う─ 病気と闘う。

文化庁『言葉に関する問答集 総集編』では、一般の国語辞典に掲げられた意味として、次の3つを挙げています。

たたかう
① 武器などを用いて相手に勝とうと争うこと。
② 互いに力や技を振るって優劣を争うこと。
③ 障害を打ち破ろうとして努力すること。

同書によれば、漢字の本来の成り立ちに照らして整理し、①が「戦」、②・③が「闘」に当たると考えてよさそうです。そして、それぞれについて同書では、次のような例を挙げています(抜粋)。

◯戦う ①の場合……敵と戦う 国のために戦う 野球で戦う 意見・議論を戦わせる
◯闘う ②の場合……牛を闘わせる 派閥の闘い 精神と肉体の闘い ③の場合……病気と闘う 自然との闘い 貧苦と闘う

①と②の違いにやや分かりづらいところがありますが、③はだいぶ明確です。
そこで、私はひごろ、次のように使い分けています。

戦う……有形の(外的な)敵が存在する場合に用いられやすい。
闘う……無形の(内的な)敵の場合に特に用いられやすい。

この解釈は、冒頭の「敵と戦う」「病気と闘う」の違いにも合致します。
ただ、たとえばその病気を「外的な敵である」と想定し比喩的に用いるならば、「ガンと戦う」というような表記でも全く問題ありません。そこで、

戦う……広い意味で用いられる。
闘う……狭い意味で用いられる。

ととらえておくのが、無難でしょう。
前掲書『問答集』には、こうも書かれています。

「戦闘」という形が見られるのは、「道路・単独・増加」などと同じように、似た意味の漢字を組み合わせた熟語である。(中略)「闘」の意味が、基本的には「戦」と異なりながらも、似た要素を持つからにほかならないのである。

ということで、「一概にどちらが正しい用い方とは言えない」(『問答集』)わけですね。

とはいえ、「じゃあ同じでいいじゃん」ととらえるよりは、先に書いた「有形・無形」「外的・内的」といった対比の観点を頭に入れておくほうが、ものごとを考えるヒントにはなるでしょう。

そこで箱根駅伝の話に戻ります。

箱根駅伝では、明確に外的な敵が存在します。それは、前後を走っているランナーとの熾烈な順位争いを見ていれば分かります。それはまさに「戦い」です。
一方で、長距離を1時間ほどもかけて走る中で自分自身との内的な「闘い」を乗り越えなければならないのもまた、はっきりしていることです。先の例にもありましたが、これは「精神と肉体との闘い」です。

他のスポーツをイメージしたとき、外的な「戦い」の側面が強いスポーツもあれば、内的な「闘い」の側面が強いスポーツもありますが、駅伝ほどにその両者が拮抗しているスポーツはあまり浮かんできません(「他のスポーツ」の例は省略します。ぜひ考えてみてください)。

箱根駅伝が見る人の興味を引きつける理由はたくさんありますが、そのうちの1つは、こうした「戦い」と「闘い」のバランスにあるのではないかと私は思います。

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