大学生発 福島キャリア新発見③ 一般社団法人 あすびと福島 國分隆成さん
記事:伊藤英聖(福島県立医科大学 2年)・遠藤春香(青山学院大学 2年)
取材日:2022年2月18日
『一度離れて気づいた、本当の“地元”の姿』
今回の取材対象は、「一般社団法人 あすびと福島」の國分隆成さん。この「大学生発 福島キャリア新発見」の事務局長でもあります。
郡山市出身の國分さんは高校を卒業後、福島から遠く離れた九州の宮崎大学に進学。4年間、地方創生について学び、2021年4月にあすびと福島に入社しました。一度離れた福島で自分のキャリアの第一歩を歩み始めた國分さんのお話から、私たち自身のキャリア形成を見つめていきます。
あすびと福島との出会い
國分さんがあすびと福島と出会ったのは2014年の秋頃。当時高校1年生だった國分さんは、文化祭が終わり自由な時間が増えたことで、「何か福島のためになる事がしたい」という思いを抱くようになりました。そんなとき、生徒会の友人から「福島の農家さんを高校生が取材し、情報誌として発信するプロジェクトが立ち上がる」という話を耳にします。実家が農家を営んでいることもあり、以前から農業に興味を持っていた國分さんは、プロジェクトに参加。そして、このプロジェクトに伴走していたのがあすびと福島でした。
翌2015年の春に食材付き情報誌『高校生が伝えるふくしま食べる通信』が創刊。國分さんは初代編集部員の1人として、季刊で計6回の取材・発信に取り組みました。そんな活動のなかで、県内の農家さんや福島のために働いているたくさんの大人たちに出会い、「福島にはかっこいい大人たちがいる。自分も福島の地で地元に貢献できるような、かっこいい大人になりたい」と感じたそうです。
高校卒業後は、「福島県内で就職することを前提に、一度福島から離れ、外からの視点で、日本の地域課題について学びたい」という思いから、宮崎大学地域資源創成学部に進学しました。
そして迎えた2019年の夏、当時大学3年生の國分さんは、「就職の前にしっかり福島と向き合いたい」と感じ、高校時代から関わっていたあすびと福島でインターンをします。インターンという立場から、あすびと福島の取り組みをより深く知ったことで、「福島に貢献しながら、自分より下の世代の役に立っていきたい。」と思い、あすびと福島への入社を決意しました。
福島で働くこと
國分さんは大学時代、あすびと福島以外にも、宮崎県内の町役場でのインターンも経験し、地域の課題を肌で感じたそうです。その中で「全国の自治体が抱えている課題は、その形が違っても、本質はほとんど変わらないのではないか、つまりある地域の課題を解決することが全国各地で応用できるのではないか」と考えるようになったそうです。
実際にあすびと福島で働くことで、「福島県、特に浜通りは全国の自治体と比べて課題を先取りしている地域、だからこそ、その課題と向き合い解決していくことでモデルケースを全国、あるいは世界に発信していける」と確信に変わりつつあるそうです。
あすびと福島では、小中学生向けの週末スクールなどの次世代育成や、社会人の研修など、幅広い年代を対象に事業を展開しており、様々な世代の人と関わることは、國分さんにとって、何よりも大きなモチベーションになっているといいます。また、仕事の中で、國分さんの興味・関心事やスキルを活かせる場面も多く、少しずつでも福島に貢献できているという実感が持てるそうで、このことは、地域に密着した小規模の組織ならではだと感じました。そして、國分さん自身も高校生の時に抱いた「福島のために何かできる大人になりたい」という目標をまっすぐに追いかけてきたからこそ、今、あすびと福島で國分さんが輝く事ができているのだと感じました。
また、郡山という同じ福島県の出身である國分さんに、社会人として福島での暮らしがどのようなものなのかもお聞きしてみました。読者の皆さんの中には、地方で生活するのは大変なのではないかと感じる人も多いかもしれません。一方、國分さんは社会人として地方での生活に不便さを感じることは、ほとんどないといいます。
國分さんが住む南相馬市は人口約6万人。普段は、あすびと福島から5㎞ほどのシェアハウス型の社宅に暮らしています。普段の買い物は近場で済ますことができるうえに、通販も活用すれば、都会ほどの便利さはなくとも、十分快適な生活を送れているとのこと。休日は、車を運転して温泉に行くなど、福島での生活を楽しんでいるそうです。
また、九州にいた大学時代とは違い、家族や地元友達との物理的距離が近いことは、安心感につながっているといいます。コロナの状況に注意しながら、地元である郡山との行き来も増やしていきたいという思いがあるそうです。
自分よりさらに下の世代に
國分さんは、仕事を通して福島と向き合っていく中で、自分たちの経験や思いを周りに伝えていくことが非常に大切であると強く感じているそうです。また、その原点は大学時代にやっていた飲食店のアルバイトにもあるといいます。ホールの仕事の中で、お客さんに満足してもらいつつ、効率を上げるためにはどうしたら良いかと日々考え、ほかのスタッフやキッチンとのやり取りを増やし、とにかく「伝えること」を大切にしていたといいます。
また、アルバイトで後輩ができ、指導する立場になった時、人に何かを伝えることの面白さに気づいたといいます。この経験は小中学生対象の事業において活かされており、逆に子どもたちの様々なものに好奇心を持ってワクワクする様子から刺激を受けているといいます。
今、大学生である私にとって、大学時代のアルバイトで得た経験が、國分さんの仕事の軸となる部分に生かされていることは少し意外に思いました。國分さんのアルバイトと現在の仕事では、業種も働くことに対しての感覚も、全く異なると考えていたからです。しかし、アルバイトなどを通して、大学時代から積極的に自分の視野を広げようとしていた國分さんだからこそ、今の仕事にもスムーズに応用する事ができているのだと感じます。私も、大学生活でのまとまった時間を通して様々なことを経験し、視野を広げていけるように努力していきたいと思いました。
「Career for Fukushima, 入社して3年で1度キャリアを見直しましょう」
あすびと福島では、新入社員が仕事を通して福島の創生に向き合い、入社3年後に1度キャリアを見直します。他企業や行政への転職や、大学院への進学、または小さくても福島に新たな価値を創出する起業という道があります。もちろん、そのままあすびと福島で継続して働くこともできます。「1度しかない人生だから、いろんなことを経験したい」と語る國分さんにとって、この仕組みは非常に魅力的だといいます。
実際に國分さんは、「入社から1年間で、小学生から大学生までの成長の場づくりと社会人の研修など多くの経験ができたのは、コンパクトな組織だからこそ。そして、代表者との距離が近く率直に意見を交わせるから、自分も成長できる」と語ってくれました。
今回の取材では、私の地元にある組織に新卒で入社した國分さんが、今どのような想いを持ち、今後どのようなキャリアを描いているのだろうかという好奇心を抱いていました。
東京の大学で学んでいる私には新卒でUターン就職をするという考えはなかったのですが、1つの選択肢として、南相馬で働くことの面白さに改めて気付かされました。話を聞き、福島の沿岸部特有の時間軸や人口減少による課題を少しずつでも変えていこうとする芯のある考えに大きな影響を受けました。
福島に生まれて
今回の取材の最後に、「今の自分を言葉で表すと、どんな言葉で表せるでしょうか」とお聞きしたところ、「今の自分は“考えたい人”、不易流行な人間でありたい」との答えでした。福島に生まれ、震災を経験し、一度県外に出て、外から福島を見つめ直したことで抱いた福島創生という自分の目標。それを自分の芯(不易)として持ちつつ、時には立ち止まって考えることを大切にし、様々なことにチャレンジ(流行)していきたいという國分さんの思いが強く感じられる言葉でした。
私自身、福島で生まれ育ち、高校時代に抱いた夢を追いかけて大学へと進学しました。しかし大学で勉強していくうちにその当時の思いを見失うことも多くあります。今回の國分さんのお話はそんな私にとって重要なことを教えていただく機会となり、自分をもう一度見つめ直す事ができたと感じます。今後も國分さんのように自分の芯をしっかり持った人間になれるように努力していきたいと刺激を受けた時間になりました。