【”不良品”の僕が世界に夢を見るまで】
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
”欠陥品”不備のある品、などの意味の表現
僕は福岡県のとある田舎で生まれた。
幼少期から学生時代はあまり思い出として楽しく生きた人生とは
心の底から思えず、”欠陥品”と思い込んだ人生だった。
その話を詳しく話そう。
■家族
僕の家族は父、母、僕と弟の4人家族
僕が”欠陥品”と思っていたのは弟の存在だ。
勉強も出来、スポーツもでき家族にも愛される
誰もが理想とする存在だった。
それもそうだ。僕と弟は血縁状母が一緒で父が違う異父兄弟なのだ。
僕が幼少期の時に実の父は母、そして母の友達からお金を騙し取り、
僕らを捨て浮気相手のところに転がり込み逃げたのだ。
僕が5歳の時に医療従事者の今の父親と再婚し弟が生まれた。
僕はニートで頭の悪い父、弟は医療従事者の頭の良い父の遺伝子
身内は僕よりも弟を大切に思っていると感じていたし、
勉強が出来なければ物を投げられ、実の父の血が通ってるからと否定された。
■弟との差
弟は成長するに連れ出来の良さがどんどん出てきた。
勉学だけでなくゲームやスポーツなどさまざまな環境で優等生となった。
隣町にの優良高校に受かり、県外の大学、大学院へ。
成人となった今では大手製薬会社の企業の研究員をしている。
本当に優秀な弟と無能な兄
そんななんでもできる弟に僕は憧れも羨ましさもなかった。
なんせ僕は母を裏切った最低の父親の遺伝子を持った人間だからと
ずっとおもってきたからだ。
人とは人生が違う、そう思って生きてきたからいじめにもあったりした。
■人生の終わりと始まり
そしてその思いのまま20才になって、飲食店で働き、22の時に十二指腸潰瘍になり
僕は死を目の前にしたが、なんとか一命を取り留めた。
医者さんからは「この数値はもう死んでる。君が生きてるのは奇跡としか言いようがない。」
神様は僕を簡単には殺させてはくれなかった。
その入院生活で思ったのは、家族の存在がデカかった。
”欠陥品”と思っていた人生。悲しむ人がいてくれた存在を今になって感じたのだ。
僕は愚かだった。無能だった。大切にしてもらっていた愛情を受け入れてなかったのだ。
それから僕はもう勉強した。今までやってこなかった勉学、
苦手な分野の数字もとことんやった。
人生20年無駄にした人生を今取り返すためにさまざまなことに挑戦した。
地元を飛び出し、制作会社に入り、
学び、地方の支社長代理にもなった。
そして個人で事業を初め福岡で学んだ
そして次のステージ東京・・・
僕はこの人生の転機で一つの夢を描いた。
人生一度死を体験し、生かしてくださった全ての方のために
この命が死んだとしても世の中の一つの歯車になることを残して僕の物語を終えたいと。
〜完〜
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
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