向いていないな、と感じる新聞記者業を10年以上続けてみて

政府の全戸配布の布マスクがいよいよ配られる頃の2020年4月17日、僕は東京・池袋の交差点が見える、少し離れた手すりに腰かけてノートパソコンを開き、布マスクの寄付を受け付けている団体に電話して、記事を書いていました。  

1年前、池袋乗用車暴走事故が起きた現場の交差点です。仕事中、献花の前で手を合わせる人がいたら声を掛けて話を聞き、一部はTwitterでも実況しました。
その翌日、外で仕事をした理由をつぶやきました。

事故防止の発信を続けるご遺族に、あなたの言葉で行動を変えた人たちがここにもいますよ、と記事で伝えたかったこと。
そう考えたのは、自分の記事が誰かの行動のきっかけになったとき嬉しかったから

といったことを書きました。
この思いは、駆け出し記者だった2008年の体験が大きく影響しています。

自分は、大した記者ではありません。
電話で話すのが苦手で、小学校時代はクラスの電話の連絡網が恐怖でした。
活字に苦手意識があって、マンガを読む方が好きです。
注目される記者会見で鋭い質問をしたり、スクープを連発したりするような「できる記者」になれるイメージもありません。
それでも、新聞記者を続けているのは、誰かの行動のきっかけになる記事を書くやりがいを感じているからだと思います。

自己紹介の代わりに、つらつらと、記者としての原点や2019年4月の池袋乗用車暴走事故のご遺族への取材でしたことなどを書きます。書いているうちに長くなってしまい、こういうところも記者に向いてないよな、と思っていますが、よければお付き合いください。

原点・記者2年目の記事「蓄音機の音楽会続けたい」

中日新聞社に2006年に入社し、最初の担当は長野県松本市周辺の警察署でした。事件記者としては出来が悪くて、情けない失敗もいろいろありました。

毎日のように町の話題も書いていました。
その一つが、ボランティアで蓄音器を高齢者施設に持ち込み、レコードの演奏会をする夫婦の話題でした。テンポの良いMCの合間に懐かしの昭和の歌謡曲を流し、施設の高齢者たちと手拍子をたたいたりもして、高齢者たちにも人気でした。
開催300回目が近づいたころ、その夫婦から「レコードがすり減ってきちゃってね」という話を聞きました。
「それなら、レコードを募っている、という記事にしませんか?」と提案し、地元の紙面に載せました。

※2008年1月25日中日新聞朝刊中信版。画像は一部モザイク加工しています

この記事が、中日新聞のシェアが高い愛知県などの夕刊にも転載されると、夫婦のもとに愛知県豊橋市の方から電話が入りました。レコードを譲りたい、という連絡でした。
夫婦からのお礼状でそのことを知り、自分の記事を読んで動いてくれた人がいることに驚きと、ちょっとした感動も覚えました。

小さな成功体験が、読者をできるだけ具体的に意識し始めるきっかけになりました。高い志もない記者だったので、このとき初めて、自分の仕事の意義と責任を自覚できたように思います。

実践・池袋事故遺族会見記事に添えたチェックリスト

その後、4度の転勤をして、東京勤務で警視庁担当を命じられ、10年ぶり2度目の事件記者になりました。
できの悪い事件記者なのは大して変わっていませんが、自分なりの工夫を心掛けるようにはなっていました。

そして、2019年4月19日、池袋乗用車暴走事故が起き、母娘2人が犠牲になりました。
事故から5日後、ご遺族が初めて記者会見を開きました。会見を開く意向があることは、弁護士を通じて事前に連絡がありました。正直、驚きました。最愛の家族を亡くし、憔悴していることは想像できます。ご遺族の強い覚悟を感じました。

ならば、記者として何ができるか。
どんな会見になったとしても、ご遺族は、2人を失った悲しみは語るはず。記事を読んだ人たちは、事故のつらさを感じるだろうとも考えました。
事故を起こしたのは高齢ドライバー。新聞の主な読者は高齢者やその子ども世代です。読者の誰かが自身の運転を見つめ直そうかと思ったとき、その手助けになる記事を書くことが、ご遺族の覚悟に応えることなんじゃないか。

慌てて取材を始め、交通安全の専門家に助けられながら載せたのが高齢者の運転行動チェックリストです。紙面の写真の右下にあります。

※2019年4月25日東京新聞朝刊社会面。写真は一部、モザイク加工しています。
※※チェックリストの記事はこちらから読めます。

大げさに書いていますが、ごく普通の発想ですね。実際に読者の役に立ったのかも、残念ながら分かりません。
ただ、後日、ご遺族と話したらチェックリストを喜んでくれていたので、やって良かったなと思いました。

事故から一年後の2020年4月も、自分にできる工夫は何かと考え、このnoteの冒頭で紹介した街角取材をしました。

気候変動を担当しながら思うこと

2019年8月に事件担当を外れた後、地球温暖化、気候変動が自分の担当分野に加わりました。
取材しながら、深刻な気候変動が予測されていること、そこに強い危機感を抱く人たちが増えていることを知りました。
危機感の強い人たちは、さらに勉強を深め、情報共有をして、どんどん危機感を持つようになっている印象を受けました。

と同時に、気候変動をそんなに意識していない人たちの多さも感じました。そうした人たちは気候変動の情報を積極的に取りに行かないので、たいていは危機感のある人たちとの認識のギャップは広がってしまいます。

この溝に橋をかけるのがメディアの役割なんだろうな、と思っています。

関心のない人たちに興味を持ってもらうきっかけを提供する。
興味を持った人がもう一歩、深く理解する手助けをする。

どうすれば、役割を果たし、誰かに何かの行動を促せるのかは、答えは見つかっていません。
気候変動のスクープを掘り起こすことも一つでしょうし、切り口を工夫した記事を書き続けていくことも一つだと思います。
興味を持つ入り口を増やす意味では、noteでアボカドローズの記事を書きました。新聞紙面ではやりづらい表現ができるのもSNSの良さだと思います。

誰もがメディアになりうる時代ですから、いろんな人の情報発信に学んでいこうと思います。

書いた新聞記事のリンク集へ

このnoteの最後には、noteを書いた2020年あたりからの自分の主な記事を随時紹介しておこうと考えていたのですが、できませんでした。

その後、東京新聞webに僕を紹介する記者ページができたので、リンクを貼ります。最新の記事もこちらで見られます。

noteで紹介していた記事もいくつか残しておきます。

2020年1月の連載「地球異変 すぐそばの温暖化」の記事リンクまとめです。国内の身近な変化から地球温暖化を考えました。

4月24日に開かれたオンライン上で気候変動対策を訴える「デジタル気候マーチ」の特集です。

2019年10月に行った福島県大熊町と2020年1月の福島県双葉町の状況報告です。この2つの町境に東京電力福島第一原発があります。

2020年3月に連載した「フラ女将の街で 福島いわき湯本の9年」。いわき湯本温泉の旅館を中心に地域の営みについて書きました。


地球温暖化の基礎的な情報をまとめた「地球異変 温暖化のはてな」シリーズです。網羅は全然できていませんが。

2020年8月に書いた<地球異変・「コロナ後」と温暖化(上)>です。コロナ対策でCO2排出は減ったけど、その延長で脱炭素は無理、という話。

東日本大震災から10年では、

中間貯蔵施設用地に生家があり、今も防護服を着ないと帰省できない方の思いとか

市民目線で原子力災害を考える拠点の話とか

福島の取材で感じたことのコラムとか

などなどを書きました。

とても青臭い理想論ですが、世の中の人たち全員が社会の課題を改善しようと一歩ずつ踏み出したら、社会は良くなると考えています。その背中を押す取り組みを、少しずつでも積み重ねていければと思っています。

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