4月23日

 大学3年の冬、3年ぶりに高校時代の友達であるSに再会した。「今、Rとご飯食べてるよ!」と、少し酒に酔ったSから電話が来たのがきっかけだった。3年の間に偶然にも共通の友人ができていたらしい。
 この電話の直後に、誘ってくれたライブの会場で久しぶりに会ったSは化粧をしていた。

 同じ市内といっても近くに住んでいるわけではないので、それから3か月のうちに二度約束して一度会うだけだった(一度はSの体調が悪くて流れてしまった)けど、私はもっと会いたかった。決して充実していると言えないキャンパスライフを送っている私にとって、高校の思い出を語り合える存在は大きかった。

 一度会ったときというのは、共通の友人であるRと三人でカラオケに行ったのがそれだ。私とRは元々音楽の趣味で知り合ったのだったし、Sにはライブに連れてってもらったから、カラオケはちょうど良かった。春休みの終わるころ、3月28日だったと思う。夜10時くらいに集合して朝5時まで吞みながら歌って、ワイン瓶を抱きしめながら足が立たなくなったRを家まで送ったあと、二人でやよい軒に入ってあさりの赤だしをすすりながら昔話をした。
 昔の話をしている間は今のこと──友達がいなくて引きこもりがち、それを全部コロナのせいだと自分に言い訳している大学生活──や将来のことを考えなくていい。当時とくべつ幸せだった覚えはないんだけど、都合の悪い記憶はどんどん消えていくから全体として「充実した高校生活!青春!」の神話をなぞるようになっていく。記憶の隅にある黒歴史はお互い口に出さず、担任の先生のおもしろかった発言とか、当時の友達が今どうしてるかとかを話して、8時過ぎに解散した。

 それから一か月ほどたった4月23日、私の誕生日、覚えているのは家族と幼馴染だけなんだけど、家族も幼馴染も遠くに住んでいるので会えない。せめて誰かと話したくてSに連絡した。夕方なら会えると言うので彼女の大学に行って待っていた。少し時間を過ぎて現れたSは、やっぱり私の誕生日を覚えていなかった。それは別に構わなかった。とにかく話したかった。
 この翌日に次のライブの当落発表があるので、自然とその話題が中心だった。Sが私のと連番で申し込んでくれていたので一蓮托生の私たちは、なぜか二人とも楽観的で、当せんする前提で話していた。(実際、当せんしていた。)
 話していたのがサークルの部室だったので、そのサークルの人たちも話に加わってきた。そこの気風は上下関係が強くないようで、みんな敬語・ため口交じりだったから彼らとも気軽に話した。
 良い時間になったので退出して、Sと自転車を押して歩いた。ようやく二人で話せる、また楽しい昔の話をしようと思ったら、Sの方から高校の話を始めた。「Y高の図書館ってどこにあったっけ?」と言うから、思い出しながら説明しようとするんだけど、自分も高校の間取りを思い出せなくなっているのに気づいた。22歳になっていた。

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