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エッセイ|ファーストタッチであるということ

(なぜ僕はショートショート(ごく短い小説)を書いて公開しているのだろう?)と思うことがある。ネクタイを締めている時間なんか特に。姿見でネクタイが曲がっていないか確認する際、自分と対面する瞬間が訪れるからだ。物理的に自分を見た後、精神的に自分を見つめ直す機会を得る。
 実際に書いたことはないですが、例えば美味しいレストランを紹介するみたいに今回は直接的に実用性のある文章ではないかもしれません。ですが他人の書いた文章を読むことで、それがどんな種類の文章であれ、ある瞬間に思わぬ内省をもたらしてくれることが確かにあると僕は思います。読んでくださる方にとって何らかのかたちで有用であることを意識しつつ、また願いつつ書いていきます。

 冒頭の問いは自問するほど大したものではないが、これをするのには理由がある。僕はこれまでの人生において、ある時まで〈動機〉について深く考えていなかった。〈あるべき生き方〉という規範を心中に構築し、漫然とそれに則って過ごしていた。同時にそれが性格の一面だと捉えていた。しかし16歳の時に、ぼちぼち否応なしに子どもから卒業しなければならない日が来ると意識し始めてから、この性格も変えなければならないと焦るようになった。大人を大人たらしめる要素はいくつかあるけれど、〈ノートの罫線1行分以上の動機を持つこと〉はその中核を担うものだと思う。そのための自問だ。

 今一度(なぜ僕はショートショート(ごく短い小説)を書いて公開しているのだろう?)と考える。シンプルな答えは「物語が好きだから」だ。だが、これではあまりに漠然としすぎている。国語の試験だったら正解は貰えないだろう。物語が好きなら編集者や翻訳家を目指してもいいし、あるいは物を書く以外の数多あるクリエイティブな活動に没頭してもいい。僕が身につけている、それから身につけていない諸般の能力との相談もあったが、結局それに本腰を入れることはなかった。考えるに、現状と照らし合わせることで先述の問いはより具体的な2つの問いに分解できる。〈何をきっかけにショートショートを書き始めたのか?〉と〈なぜウェブ上で公開しているのか?〉だ。

 まずはきっかけから。昔を振り返らせてほしい。ショートショートを書き始める数年前、急に幼少の頃から好きだった読書への関心が薄くなってしまった。理容室の待合スペースで順番待ちをしている時、持参した読みかけの小説のページを開くよりも、(月曜日を定休日にする理容室って多いよなあ。日曜日が客の書き入れ時で忙しいから次の日を休みにして疲れを癒そうということなのかな。いや、もっと歴史的深い理由があるのかも)などと、どうでもいいことを考える方を選んでいるのを自覚した瞬間に、ふとそのことに気がついた。未踏の物語に胸が高鳴らなくなったのだ。これには落胆した。子どもの頃に好きでやっていたことが大人になってできなくなったのだから。自身における変容の大部分は成長であると割り切ることができたが、こればかりはそうはいかなかった。
 この現状を打破するためにどうすればいいか考えた。そして、文章を書くという方法に行き着いた。リハビリだ。作品の完成までには何日か費やす必要があり、1つの作品に熱を入れる訓練になる。また、リハビリとしていきなりフルマラソンをする人はいない。まずは比較的短い距離からだ。長編小説ではなくショートショートを選んだ理由もここにある。
 もちろん、「小説を書きたい」という実直な思いは10歳ぐらいの時から潜在的にあったと思う。それが先述のものを契機として顕現したという構図だ。現在は残念ながら違うが幼少期は読書家だった。声変わりする前に児童文学『ズッコケ三人組シリーズ』50巻を読破した。それで小説を書きたいと思わなければどうかしている。
 引力以上の力で僕とショートショートは惹かれ合った——詩的な表現が許されるならこう書きたい。
(ちなみに月曜日を定休日にする理容室が多いのは、戦時中の電力不足だった頃に政府によって休電日が制定されており、パーマなどに多くの電気を使う理容室もその日は仕事を休む必要があり、それが月曜日だった名残というのが1つあるんだそうです。関東の理容室で火曜日を定休日にするケースが多いのは関東の休電日は火曜日だったから。何にでも理由があるんですね)

 次に〈なぜウェブ上で公開しているのか?〉だ。その答えを探すには14歳まで遡らなければならない。
 その大きなインパクトから、触れた時点を境に人生を二分できるようなものが誰しもあるはずだ。ある人にとってはヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』を初めて読んだ時で、ある人にとってはエリック・サティの『ジムノペディ』を初めて聴いた時かもしれない。僕にとっては、作品ではないがインターネットに触れた、いや、飛び込んだ瞬間もそれに該当する。
 中学生の頃、担任の先生に頼まれて、ある1人の不登校の生徒の家に学校で配られたプリントを届けに行くのを習慣にしていた。それを何日か続けていたら、ある日その生徒に「これ貸すよ」と言われ、DVDを渡された。『涼宮ハルヒの憂鬱』(原作 谷川流 監督 石原立也 制作 京都アニメーション)だった。そのDVDが角川書店の販売したものなのか、それとも視聴者がテレビ放送をDVDに焼き、はるばる——というのも当時僕らの地元では放送されていないはずだから——田舎の僕らの手まで渡ったのか、今となっては憶えていない。この作品に熱中してインターネットにどっぷり浸かることになった。『涼宮ハルヒの憂鬱』の考察や二次創作やいわゆる聖地巡礼(ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒がエルサレムに足を運ぶように、作品のファンがその作品のモデルになった実在の場所に足を運ぶこと)なんかを誰かがしているのを見て、余韻にこの身を浸す楽しさを覚えた。書籍、音楽、映画、ゲームと熱中した作品は媒体を問わず数あれど、インターネットにのめり込むきっかけになったのは他でもないアニメだった。アニメという媒体が他のコンテンツとの高い親和性を持つからでしょうね。 
 インターネットに触れるきっかけというのは人それぞれだと思う。仕事のためにとか、娯楽としてとか。それはそのものに対する印象に大きく関わる。僕の場合、上記のように好奇心という良いきっかけに恵まれたおかげで良好な印象を持っている。だから、こうしてウェブ上で作品を公開するに至ったのだと思う。 

 サッカーで使われる言葉ですが、自分のもとに向かってきたボールを受け取ったまさにその瞬間のプレーのことをファーストタッチと言います。ショートショートを書くことになった経緯、インターネットに触れた発端、そして第1回目となるこのエッセイと、今回は〈初めて〉尽くしとなりました。ファーストタッチであるということの喜びを噛み締めています。
 ところで一応綺麗にまとまった後に書きにくいですけれど、僕自身、実生活でファーストタッチという言葉を発したことがないのに、先にこのエッセイでしたり顔をして使ったことを白状しておきます。こういう虚仮威しは〈初めて〉ではありません。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ