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エッセイ|翻訳家に憧れる日もある

 外国語を理解することや、外国人にこちらの言葉に含まれた意図を汲み取ってもらうことの難しさを指して「言葉の壁」とよく言うが(ベルリンの壁や万里の長城を想像してください)、実態はそんな甘っちょろいものではなく、エル・キャピタンやセブン・シスターズのような言葉の岩壁あるいは絶壁と言う方がピッタリではないか……心を穏やかにするため本棚に地理の参考書を片します。
 さて冷静になって自分を見つめ直せば、文句を書いてしまうのは外国語ができないコンプレックスの裏返しだ。ただ、そういった自己嫌悪だけを無闇に膨らませるのは好手ではない。ネイティブを驚かせるぐらいにその言語を使いこなすという遠いゴールはとりあえず置いておいて、少しでも身につけようと意気込むことこそがスタンディングスタートの構えをとるに等しいのかもしれない。外界に示す優しさでもあるはずだ。クイーンの『テヲトリアッテ(レット・アス・クリング・トゥゲザー)』を聴いている時とかにそう思う。

 作品が出た流れで書くと、漫画『よつばと!』(あずまきよひこ 著 KADOKAWA)の主人公は幼児のよつばちゃんだが、その保護者(あまり詳しく書くべきではないため最低限の情報を提示すると、既刊から推測するに法律上の父ではないらしい。作中では「とーちゃん」と呼ばれている)の職業が翻訳家だ。読んでいてその仕事を含めたライフスタイルに憧れた。とーちゃんが翻訳家の仕事をしているシーンはそれほど多くなく、現在のところ何語を何語に翻訳しているかも明らかになっていない。しかし、僕の漠然とした翻訳家への憧憬は初めて『よつばと!』を読んだ高校時代に始まり、以降育まれたのではないかと思う。

 時を経て僕は大学生に。その頃、英書講読という英語の文献を和訳する授業があって苦労した。しかも同時期に複数だ。必修科目ではなく選択科目だけれど、漢文を含む外国語や古文の授業ばかりの群があってその中から一定数選んで単位を取る必要があり、これは避けては通れない道だったのだ。
 先生が学生を1人指名して、指名された学生は英語の1文を和訳して読む。先生はそれに訂正や補足を加える。その文が終わったらまた先生が学生を1人指名して、を繰り返す。教材の1つは確か『アメリカ教育使節団報告書』だった。毎回の授業の終わりに「次回はこの章から読みますよ」と先生が予告するので、学生は家に帰って各々和訳しておく。僕自身その予習に大変長い時間を費やすことになり骨が折れたのは間違いないけれど、それは中高生の時の英語の授業でボンヤリしていた僕のせいだ。読み終わった『週刊少年ジャンプ』を渡す代わりに英語の課題を写させてもらうのを火曜日の習慣にしていた高校時代は特に良くない。
 大学の話に戻ると、一番の問題は期末試験に受かるかだった。和訳の試験。予習だったら辞書や文法書が使えるからまだ何とかなるが、試験は持ち込みNGだからそうはいかない。
 どうやって乗り切ったか? 文献の内の30ページくらいが新たに指定され、その中から一部が出題されると告げられたので、僕は当日までにそれら30ページくらいをすべて和訳し(書くまでもなく睡眠時間は無情にも削られた)、日本語として丸々覚えるという荒技を使った。僕は記憶力が良くないので睡眠不足と注力で目を血走らせながら。それぐらい英語が苦手なのだ。
 僕と英語の相性が悪いだけかもしれないという一縷の望みをかけて中国語やフランス語にも手を出してみたが、あらかじめ設定した目標は達成できなかった。大学のフランス語の授業で、文学部生だったか商学部生だったか忘れてしまったが中国人の留学生と仲良くなったのだけれど、彼は母国語の中国語、それから英語と日本語を話すことができ、さらにフランス語まで勉強していて頭が下がった。家が貿易を生業としており、それを継ぐために外国語を勉強しているのだという。「日本人が英語を喋れないのは英語を喋る必要に迫られないからだ」という意見はよく聞くが、あながち間違いではないのかもしれない。彼には「中国語を勉強する日本人にとって一番発音が難しい単語は『リーベンレン(意味は〈日本人〉で、この発音はピンインのローマ字読みであり、正しく中国語の発音をしないとなかなか伝わらない)』なんだよ」と教えてもらった。

 たまに追想すると願望が顔をのぞかせて、ある瞬間に異国の言葉に思いを馳せている自分に気づく。翻訳家に憧れる日もあるし、仮に目指したとしても機械翻訳の隆盛もあるからこれから翻訳家になるのは無理だろうな、という寂しさを覚える日もある。1つでもいいから日本語以外を自由自在に操れたら日本語の使い回しにも良い影響を与えるはずなのに。また、外国語ができないならば絵や音楽といった言語だけではない表現にも挑戦する必要があるのでは、と焦りを感じることもある。
 そんな折、運転免許の更新のために長崎県のとある警察署に行き講習を受けることになったのだが、その講師の方の長崎弁が強くて度肝を抜かれた。僕は生まれて18年間はずっと長崎県で過ごし、両親も長崎県出身だけれど、それでも一部聴き取れないのだ。そして思った。僕は標準語でショートショートやエッセイを書いているが、それは自らが長い歳月をかけて吸収した長崎弁を標準語に置き換える作業でもあり、その際に僕は少しだけ翻訳家になるのではないか。よかった、これで僕も安堵でき……ないか、流石に。

人生に必要なのは勇気、想像力、そして少しばかりのお金だ——とチャップリンも『ライムライト』で述べていますのでひとつ